何も聞かずに傍にいて







 俺の姉は優しくて美人で気立ても良くて、この町にいる誰もが知っている人だ。
 町の若い男たちのほとんどは姉に惚れていると言ってもいい。けれど姉は告白してくる誰にも靡くことはなかった。それは俺にとってもいいことなのだけれど、俺にはその理由がどうしても理解できない。
「ただいまー」
「おかえり」
 姉が帰ってくると、いつも俺は姉を出迎えに行っている。そして決まって姉の顔を見るんだ。今日もいつものように姉の顔を見れば、その綺麗な顔に青痣が1つ出来ていた。絶対にあの野郎の仕業だろう。
「またやられたのかよ!」
「こ、これは転んで出来たのよ……」
 いくら問い詰めても姉が本当のことを言うことは一度もなかった。それが俺にとって一番腹立たしいことである。
 俺は絶対に認めないけど、姉には好きな奴がいる。そいつはこの町で一番の遊び人だった。これも俺は絶対に認めないことだけど、その男は俺よりも顔がいいと言われてる。俺だってこれでも姉の弟だ。それなりにもてるし、言い寄ってくる女がいないわけじゃなかった。それでもその男の方が俺よりもてているる。絶対に認めていないけどな。
 そして最悪なことに、その男と姉は恋人同士だ。けれどあいつはけして姉のことは好きではないだろう。でなきゃ、浮気を繰り返したり、姉に暴力を振るうはずがない。それをするたび姉は泣いているというのに、あいつはそれを分かってても止めることはなかった。
「何でそんなにあいつをかばうんだよ!」
「別にかばってなんか……」
「かばってるだろ!俺は見たんだ。あいつが姉さんを殴ってるのを!」
「……見間違いよ」
「……!!……分かったよ」
 今日も本当のことを言うことはなかった。なぜあんな男をかばうのか、俺には全然理解できない。だからこそ、俺はいつかあいつをぶちのめすと決めた。そうすれば、きっと姉は正気を取り戻してくれるだろう。そのために、俺は強くならなきゃいけないんだ。
 それからも毎日のように、姉は傷を負って帰ってきた。それを見るたびに、俺は胸を痛めながらも、あの男への憎悪でいっぱいになっていく。



 その日俺は近くの町に用事があり、家に帰ったのは夜も遅かった。この時間になれば姉も家に帰っているはずなのに、家の中は明かりがない。俺は疑問を感じながらも、家の中へと入り姉を呼んだ。
「姉さんー!」
 その呼びかけに応答する声はなかったが、奥の部屋に人の気配がいるのを感じる。俺はすぐにその部屋へ向かい、扉を開けて明かりをつけた。
「姉さん……?」
 その先ほどまで真っ暗だった部屋の隅には、姉がうずくまりながら嗚咽を漏らしていた。その姉の姿には俺は言葉も出ずに、呆然とする。
 今まで姉は恋人に暴力を振られようが、浮気されようが、決して泣いたことはなかった。それだけが、俺にとって唯一の希望でもあったのだ。その姉が今俺の目の前で泣いている。俺はこの瞬間、あの男を今すぐにでも殺したいほどに、憎悪がいっぱいになった。
「姉さん、どうしたんだよ……?」
 俺の呼びかけに応えて、姉は俺の方を向く。その顔は見たこともないように荒れていて、涙の跡がいっぱいだった。
「彼が……彼が…別れてくれって……」
 泣きながらのその言葉は少し聞きづらかったけど、俺はそれを聞いて正直驚いた。
「ねぇ、どうして……?私、彼の言うこと…何でも聞いてたのに……」
「姉さん……」
「好きなの……好きなのに……!」
 それから姉さんは一言も喋ることもなく、ずっと泣き続けた。時にはこの小さな町全てに響き渡るような叫び声を上げることもあった。
 俺はそんな痛々しい姿の姉の傍にずっとついている。それが姉も望んでいることだと分かっていたから。



 翌日、俺は朝早くにこの世界で一番に憎い男の家に向かって走る。
 そこで俺は初めて男が昨日の夜遅くにこの町を出ていったことを知った。




 俺はあの男を一生許さないだろう。

 町を出て行ってもいつか絶対にあの男を殺してやると、俺はその時誓ったんだ。