あなただけが何処にもいない







 今日もいつもと同じように私は仕事を終えた。仕事といっても町の畑を耕すのを手伝ったり、織物などを近くの女性の人たちと共に織るようなものだ。そして最近の私は何かが憑いたかのように仕事に没頭している。それは自他共に認めることで、今さらそれを止めようとは思わない。そうやって仕事をしていないと、頭の中が彼のことでいっぱいになるからだった。
「今日もこんな時間まで仕事してたのか?」
 家に帰ると私を出迎えた弟がいつもの言葉を放った。これも最近では毎日起こることで、私はあまり気にしていない。弟が私のことを心配してくれてるのは知っている。あの時は取り乱して弟にも迷惑をかけていて申し訳ないと思っていた。弟は優しいから気にするなと言ってくれたけど、思えば昔からいつも私のために弟の時間を割いているようで、これ以上は迷惑をかけたくないのだ。だからこそ、私はいち早く自立できるようになりたかった。
「無理するなよ。それで倒れたらどうするんだよ」
「無理なんてしてないわ」
 弟に心配をかけさせないためにも、最近の私は自分の言葉を嘘で塗り固めていた。それは弟だけにではなく、心配してくれる人全員に。
「……姉さん……」
 ため息を吐きながら私の名を口に出した。それが私を呼んでいるというわけではないことを知っていたので、私は気にせずに自分の部屋へと入っていく。そして一日の疲れを癒すかのようにベッドの中に倒れ込んだ。
 一日中汗を流して働くことによって、その日の眠りは疲れ果てて深いものになる。それは夢を見ないほどまでだった。そうやって私は一日の全てを出来るだけ忙しく過ごして、彼のことを思い出さないようにしている。その作戦は意外にも功を奏し、私は彼のことを忘れつつあった。もちろん完全に忘れることなど私には出来るはずもないけど、それでも頭の片隅に追いやることは出来たのだ。



 朝早くに私は起きだす。それは昔からの習慣であり、寝過ごしたことはこれまでの人生で一度もないのが私の自慢だった。顔を洗って、目を覚ました後は時期に起きてくるであろう弟の分と私の分の朝食を作り出す。
 料理もまた、私の自慢できるものの一つだった。子供の頃に両親が亡くなってから、弟のためにも私は料理を頑張って覚えた。きっかけはそれだけだったけど、思春期まで成長すると私は女の子らしく、彼を好きになったのだ。彼もまた小さいころに親を亡くして一人で暮らしていた。そんな彼に私は自分の料理を食べてもらおうと頑張ったものだ。今では町一番の腕にもなっている。
「姉さん?」
 考え事をしてボーっとしていた私に弟が声を掛けた。いつの間にか弟が起きだしていたようだ。時間も過ぎており、私は急いで引き続き朝食を作り出す。後ろでは弟が怪しげに私のことをジーっと見ていた。
 彼のことを忘れたつもりになっても、こうやって日常の些細な出来事でふと思い出してしまう。その度に私は憂鬱になり、胸が張り裂けそうな気持ちになる。
 小さいころから一緒に育ってきた弟には私の些細な変化にもすぐに気づいてくる。今だって私が彼のことを思い出していたのに気づいたのだろう。弟が彼のことを嫌っているのは知っていた。彼がいなくなってからそれがさらに強まったことも。私はそんな弟に何も言うことはしなかったが、出来ることなら二人には仲良くしてほしかったのだ。今となっては絶対に叶わないことだろうけども。
「ご飯、出来たわ」
 やっと朝食を作り終えて家のテーブルにそれを置いた。すでに弟は出かける準備も終えている。弟も私と同じようにすでに仕事に就いている。こんな田舎な町にいる私たちでは、学校にいくことさえ出来ないのだ。
 私もご飯を食べてすぐに仕事に出れるように準備をした。弟の方が先に家を出て仕事に行き、終わって帰ってくるのも弟の方が先だ。そのことに弟は少しだけ不満を漏らしていたようだが、私も姉の立場として収入源では自分の方が多くなるようにしている。頭もよく、運動も得意な弟に威厳を見せるためだった。



「おはよう。いつもいつも大変だねぇ」
 私が仕事場につくと畑の所有者でもあるお婆さんさんがいた。このお婆さんにはいつもお世話になっていて、頭が上がらない。町の中でも人気のある人物だった。
「おはようございます」
 私も挨拶を返してすぐに仕事へと取り掛かった。畑仕事は季節によってすることは変わるけど、そのどれもが意外に大変な作業でもある。今の季節は収穫時で、私はいつものように一つずつ畑の野菜を取り出した。この町で出来る野菜や果物は結構評判が良い。今ここで取った野菜や果物も、午後には近くの市場へと運ばれていく。その運ぶ仕事をしている一人が弟でもあった。
 私も熱心に一つずつ野菜を取り出していく。一見簡単そうに見えて、実際は気を遣うことが多い。この仕事には慣れているので、私はそうまで苦にもならないが初めての人には大変だろう。私も最初はそうだったのだから。
「ぁ……」
 そこで私はまたしても彼のことを思い出してしまう。
 私がこの仕事を始めてから、すぐに収穫時の季節がやってきた。その日は収穫するのは初めてのことだったので、思うように上手くいかずにいたのだ。近くで同じ事をしてるお婆さんは次々取り出していくのに、私は一向に進まない。気分を変えようと顔を上げて空を見上げようとした時だった。彼と目があったのは。
 その時にはすでに彼とは付き合いだしていた。今思えばそれは私だけの勝手な思い込みだったのかもしれないけど、少なくともあの時はそう思っていた。その日の彼は仕事が休みだったようで、遊んでいたようだ。隣に私ではない別の女の子を置きながら。彼が複数の子と遊んでいるのは知っていたので、今さら驚くことはしなかった。きっと彼にとっては私もその遊びの中の一人だったのだろう。
 知っていたからといって、やはり彼が私ではない女の子と一緒にいるのは見ていてつらい。それを忘れるかのように私は畑仕事を再会した。もちろん彼の方は見ないように。すぐに彼は私のことなど気にしないで離れていくかと思っていたために、私の後ろにいきなり彼が現れたことには驚いた。わけが分からずに彼を振り返ると、彼は面倒くさそうに前髪をかき上げながら、そして乱暴な言葉遣いをしながらも、私に収穫のコツを教えてくれたのだ。一度教えるだけですぐに彼は去ってしまったけど、それでも私は彼が時折見せる優しさが嬉しかった。
「仕事しなきゃ……」
 いつまでも昔を思ってはいれず、私は仕事を再開する。今日はなんでか彼のことを思い出してしまうことに胸がきつくなるが、それでも仕事に熱中し始めるとだんだんと忘れていった。



 午前の仕事を終えると、私はお婆さんと一緒にお昼ご飯を食べる。午後からはここではなく、近くにある建物の中で織物を織るのだ。私はお昼を食べ終えるとお婆さんに挨拶してすぐに移動を始める。
 その道中で私よりも少し小さな女の子とぶつかった。
「あ、ごめんなさい……」
「私こそ……」
 ぶつかってきた子が謝ってきたので、私も相手に返した。そこで相手の顔を初めて近くで見る。私は思わず小さな声を上げた。幸い相手はその声に気づかなかったようだが、逆に彼女が私の顔を見て声を上げた。
「あなたは……」
 お互いに顔は見知っていた。なぜなら彼女もまた、彼の虜となっていた一人だったのだ。顔を見合わせたまま、私たちの間に気まずい雰囲気が流れる。何を喋っていいのか分からないのだ。私はこの重苦しい空気に耐え切れず、逃げ出すように言葉を出した。
「それじゃ、私はこれで……」
 彼女の返事も待たずに私は歩き出す。心の中はすごいかき乱されていた。恐らく出会ったのが彼女ではない、別の子だったらここまでならなかっただろう。きっとここまで心が乱されるのは彼女だけなはずだ。なぜなら私はつい最近まで彼女にすごい嫉妬をしていたのだから。
 彼がいなくなる前、私は彼と共にいる彼女の姿をよく見かけた。その度に心の中に嫉妬が湧き上がるが、どうにかしてそれを抑えつけようとするのだ。彼女と共にいる彼は、私と一緒では見せないような笑顔を見せて彼女をリードしていた。きっと彼女が彼にとって本命なのだろう。私が彼に暴力を振るわれるようになったのも、彼女が現れた時期と同じころだった。私は彼女の存在を認識した時から、いつか彼との間に終わりが来るのではないかと思っていたのだ。
 そしてそれは予想通りになった。唯一幸いなことといえば、彼がいなくなった理由も彼が行った場所も、彼女が知らなかったことだ。もしかしたら嘘をついているのかもしれないが、それはないだろう。私は彼から別れを切り出されたとき、彼女と一緒になるのだろうと思っていた。実際は違って彼はこの町から姿を消したのだ。その直後に私は彼女と少しだけ話をしたことがある。彼の行方を聞かれたのだ。
「あの人は私のことなんて好きじゃありませんでしたよ!」
 彼女に背を向けて逃げ去ろうとすると、その背に彼女が声を掛ける。私は思わず振り返って言葉の意味を尋ねようとしたが、それは出来なかった。彼女の目から涙が零れていたのだ。私は言葉がつまり黙っていると、彼女はそのまま一礼して私とは反対の方向に歩き出した。私は訳が分からなく、心と頭がぐちゃぐちゃになっていく。それを無視するかのように私もまた歩き始めた。



 その日の午後はの仕事は最悪だった。昼の彼女との会話のせいなのか、仕事に身が入らず失敗を繰り返したのだ。その度に彼のことを思い出して自己嫌悪になり、また仕事で失敗する。見事な悪循環だった。
 家に帰ると弟が出迎えて、その姿に少しだけ癒される。辛い時はいつも一緒にいてくれた弟。弟は町中に知られるシスコンで有名だが、私もきっとそれに負けず劣らずのブラコンなのだろう。弟と共に夕飯を食べ終え、私は先に寝る準備を終える。今日はいつもよりも一刻も早く寝床に就きたかった。
「おやすみ、姉さん」
「うん。おやすみ」
 私は一日を振り返りながらベッドの中に入った。仕事で失敗は多かったが、それでも疲れていたようですぐに眠りに入っていく。

 久しぶりの夢を見ながら。


――ねぇ、待って!また違う女の人のとこに行くの!?

――いつもいつもうるせぇんだよ!俺が何しようと勝手だろ!

――今日もまたどっか行くの……?

――お前の顔見てるとむかつくんだよ!

――私たち付き合ってる……んだよね……?

――俺は別にお前じゃなくてもいいんだよ

――私は貴方のことが好き……

――本当に…懲りない女だな……



――ねぇ……貴方は私のこと、どう思ってるの…………?



 それは幸せの夢

 それは悲しい夢

 それは――――