指先の熱の行方







 小さな町がそこにあった。首都から遠く離れたその町の名は、国中で知っている者ですら限りなく少ない。目立った特産品も、綺麗な名所も、何もない寂れた町。
「でも落ち着くんだよな」
 度々その男はこの町へやってきた。供もつけず、お忍びで何度もこの町へやってくるのだ。その度に町はいつもより少しだけ賑わいを見せる。
「案外俺にはこういったとこで過ごすほうが合ってるのかもな」
「そうかもしれませんね」
「だろう?」
 男は笑いながら隣にいる女を見た。その笑顔が女は好きだった。
「ここはのんびりしていますから……」
 女もこの町が、この町の雰囲気が好きだ。幸せそうな顔をしながら町を見渡せば、そこにいる人たちも幸せな顔をしている。それだけで自分も幸せなのだと思うくらいにのどかな町だ。
「隠居した後はこの町で過ごすか……」
「隠居だなんて。まだまだ先のことじゃないですか」
「それはそうだけどな。だが老後のことも今から考えておくに越したことはないだろ」
「年寄りくさいですよ」
「……悪かったな」
 けれどその顔は子供じみていることに女はおかしくて笑ってしまう。そしてそれと同時にその時のことを考えると少しだけ気分が滅入る。きっとその時、男の隣にいるのは自分ではないのだろう。
「奥方も連れてくればよかったのではないですか」
「あいつか?あいつは今頃俺の分も仕事に追われてるんだ。さすがに一緒には来れないからな」
「そうですか……」
「やはり隠居した後はここで一緒に暮らしてみるか……」
 今ここにいない人を思い浮かべている男は優しくて、そして時に残酷だ。自分が付け入る隙なんて微塵もない。それ以前にこの気持ちを抱くことすら許されないことなのに。
 気分が沈みかけていくと、それをすぐに察知したように男は女を見る。
「大丈夫か?」
 あぁ、やっぱりこの人は残酷だ。そして、この鈍感なとこさえも愛おしい。
「……大丈夫です」
 女はいつもより極上の笑顔を男に見せる。そうすると男は安心するように同じく笑顔になるのだ。
「ならいいんだ。お前が悲しいときは俺も悲しくなるからな」
「ふふっ。そしたら私が幸せなときは貴方はいつも幸せなのですね」
「当たり前だ」
「でしたら安心ください。貴方はこの先いつだって幸せですよ」
 それは心からの本音。女にとっての幸せはいつだって男の側にいることだから。それを聞いた男は一瞬驚いた顔を見せ、そして今日一番の幸せな顔になる。
「……頼もしいな。お前に出会えてホント良かったよ」
「私もです」
 出会えて良かった。
 この男に出会えて。
 心の底から女はそう思った。
「エルシェリア」
 男が女の名を呼んだ。
「はい」
 男に付けられたこの名が女は愛しい。
「これからも俺の側にいてくれるか?」
「答えなど分かりきっているでしょう」
「お前の口から聞きたいんだ」
「……もちろんです。貴方がいなくなるまで、私はずっと貴方のお側に」
 幾度となく誓ったこの想い。男のためになら何だって出来るだろう。
「ありがとう……」
 男は何を思っているのだろうか。きっと自分の秘められた想いに何も気付きやしないのだろう。それが少しだけ恨めしい。
「さぁ、そろそろ帰りましょう。みんな貴方を待っています」
 女は笑いかけながら男を見る。男を独り占めする時間ももう終わりだ。
「そうだな……。ゆっくりと帰るか」
 女に手を伸ばして男も笑いかける。本当は触れることさえ叶わぬのに、女は自分の手をそれに重ね合わせた。



 その触れた手が、とても熱く 



 そう感じた