Mystisea

~想いの果てに~



八章 遠き道のり


02 ヘルムートの出自






 もはや誤魔化しも何も効かないだろう。マリーアの眼を見れば一目瞭然だった。周囲を見れば、当然のようにリュートたちは驚いているし、あのヒースでさえもそんな顔をしていた。そのことに珍しいものを見たなどと頭の片隅で思う。
「……最初から気づいてたのか?」
 その肯定するヘルムートの言葉に、マリーアは正直に答えた。
「確信はなかったわ。だけど小さい頃に見た貴方の面影と、ヘルムートという名前。同じ名前が結構あるといっても、ばれないと思ったの?」
 レーシャン王国ではわざと王族の名を我が子に付けるのも珍しくはなかった。むしろその名が多くなるほど、誇りだったとでもいえよう。
「いちいち偽名を考えるのが面倒だったんだよ」
 ヘルムートはすでに開き直ったように呑気な声を出していた。
「……まさか俺のことを知っていたとはな。そういうあんたは……」
「私のことはどうだっていい。レーシャン王国を味方に付けるかどうかはヘルムート……貴方にかかってるのよ」
 自分の言葉を無碍にされながらも、ヘルムートはマリーアに向き直る。
「どうかな。俺は国を捨てたんだぜ?五年もいなかったっていうのに何が出来るっていうんだ」
「……それは分からない。だけど、王国にはそんな貴方を慕っている人だって多かった!貴方が何を感じて国を出たかなんて分からない。でも貴方の帰りを待ってる人だっているはずでしょう?」
「……そこにお前は含まれてるのか?」
「え……?」
 その言葉の意味が分からず、マリーアは思わず聞き返してしまう。
「俺を慕ってくれる連中の中にあんたは入ってるのかって意味だ」
「なっ!?そんなの今は関係ないでしょ!」
「いーや、俺には大いに関係あるね」
 こんな時に不真面目なことを口にするヘルムートの神経が分からなかった。呆れ顔になるマリーアだったが、それはヘルムートにとって大問題なことでもある。
「ふざけてないで……」
「俺はいたって真剣だ」
「……ッ!」
「いまさら俺の気持ちが分からないとは言わないよな?」
 その瞳からマリーアは眼が離せなかった。知らなかったなどと言える場面でもない。だけどマリーアには素直に肯定することも出来なかった。
「……私は王国の生まれだけど、王子としての貴方に忠誠を誓ってるわけじゃない。……ただ大切な仲間として貴方を想ってるわ」
「……そんな答えが聞きたかったわけじゃなかったんだけどな」
 苦し紛れの、けれど偽りのないマリーアの言葉を聞いてヘルムートもそれ以上何かを口にはしなかった。
「……」
「まぁ今はそれでいいさ。俺の出自を知っても仲間だと言ってくれるならな」
「ヘルムート……」
「俺が行ったところで何かを成し遂げるなんて思わないでくれ。だけど、俺はお前のために出来る限りの力を貸す。……それでいいか?」
「……十分よ」
 マリーアも全てをヘルムートに任せる気なんてない。しかし王国を味方に付けるにはヘルムートの存在も大きいだろう。それはヘルムートの気持ちを知ったうえでの言葉であり、彼を利用しているのだという自覚もあった。
「それじゃまた一緒なんですね!」
 再びヘルムートが仲間になることに、リュートは嬉しそうに喜んだ。
「またよろしくな」
「はい!……それにしてもヘルムートさんが王子だなんて驚きました。王子ってみんなシューイみたいなもんを想像してたから……」
「俺はそう見えないって?」
「あ、いえ!そういうわけじゃないです!」
  慌てて弁解しようとするリュートだったが、ヘルムートは気にした風もなく軽く笑うだけだった。そう見えないことなど自分が一番良く知っているのだ。だから 言われても気にも留めないし、むしろ言われたいくらいでもある。それが伝わったわけでもないだろうが、珍しくヒースが軽口をたたいた。
「俺には見えないけどな」
「お、おい、ヒース!」
 遠慮のない物言いに少しばかり焦るリュート。しかしその言葉にヘルムートは耐え切れずに笑い出す。
「くっ…くくっ……さすがだな、あんたは」
 それはヘルムートにとっての褒め言葉であったのだが、ヒースは馬鹿にされてる気がして眉を顰めた。
「まぁいいさ。とにかくこれからもまたよろしくな。そこの二人もさ」
 改めてヘルムートは周囲を見回し、まだろくに話したこともないキットとキッドにも視線をやる。二人は緊張したようにかしこまって返事をした。






「セリア……」
 目の前にいる愛しい少女の名をシューイは呟いた。しかしその間には、二人の仲を引き裂くように牢獄の扉がある。それを何度も見るたびに、シューイはやるせない気持ちになった。
「シューイ……」
 二人の視線が交わり、互いの想いが交錯する。立場は違おうとも、相手を心配していることだけはどちらも同じだ。
「辛くないか?」
「私は大丈夫よ」
  シューイの心配がまるで無駄であるのかのように、セリアは気丈に振舞った。しかしそれは偽りのない本心でもあるのだ。不自由な毎日を送ってはいるが、食事 もきちんと与えられ何か仕打ちを受けているわけでもない。そして何より孤独だと思っていた牢獄の中で、秘めたる話し相手がいることだ。
  隣の牢には誰も知らない少女がいる。シューイはもちろん、この地下牢を取り仕切る看守でさえも知らないようだった。彼女は自分の存在が秘密であるかのよう に、誰にも口外しないでと願う。そのことにセリアは疑問でいっぱいだったが、それは少女と話をするうえでの唯一の約束事でもあった。
「ねぇ、シューイ」
 セリアは扉越しで痛ましい顔をするシューイに優しく呼びかける。
「どうした?」
 それでも愛しい少女に呼びかけられれば、自然とそれは笑顔になった。しかしそれもすぐに変わっていく。
「……そうやって無理して頻繁に来なくてもいいのよ?本当に私は大丈夫だから」
「セリア?何を言ってる……」
 その言葉が本当にセリアの口から出たのかシューイには信じられなかった。
「貴方はこの国の王子だけでなく、今は騎士団長でもあるのよ。こうやって罪人に会うのはまずいわ。貴方の立場を悪くする」
「そんなことお前が気にする必要はない!俺はただ、お前が心配で……!」
「シューイ!」
 セリアはありったけの声を以ってその名を呼んだ。その声にシューイは僅かに瞠目する。
「どうして分かってくれないの?私のことはもういいの!」
「いいわけないだろ!今父上やアイーダと掛け合ってる。すぐにお前を出してやるから……」
 シューイは決意を秘めてセリアを見た。だけどその決意がセリアには痛ましくてしょうがない。
「……そんなの無理よ」
 それが唯一分かっているセリアの想いも、きっとシューイには届かないだろう。
  言えばいいのだろうか。アイーダが魔族だということを。この帝国で起こっている数々の惨状を。それが本当は一番いいことなのかもしれない。そうすれば シューイはきっとこの帝国を本来の姿に戻してくれるだろう。だけどその道は決して容易いものでなく、困難と、そして苦悩が付きまとう。分かってるからこ そ、セリアはそれをシューイに伝えたくなかった。例えわがままなことだと自覚していても。
「……俺を信じられないのか?」
「そうじゃないの……。お願いだから私一人のためにそこまでしないで」
「俺は……!」
 セリアに自分の想いが伝わらず、それがシューイにはもどかしい。どうしてこうなってしまったのだろうか。
「貴方は貴方のするべきことをして。それはこうやって私に会いに来ることじゃないわ」
「俺のやるべきこと……?」
「そうよ」
「だったら教えてくれ!俺のやるべきことって何だ!?俺にやれることなんてあるのか!?」
「シューイ……?」
 シューイは不安げな瞳の中にセリアを映す。初めて見るその様子にセリアは困惑した。
「俺はこの国の王子だ……。いつか父上の跡を継いで皇帝となり、そして父上のように国を繁栄させていくのだと思っていた。だけど本当にそれが俺に出来るのか?」
「何を言ってるの……?貴方にはそれが出来るわ」
「嘘をつかないでくれ!今この国で何が起こっているのかも知らないこの俺に何が出来るんだ!?」
 衝撃がセリアの中に走る。動揺を見せるセリアを、シューイはただジッと見つめていた。
「シューイ……」
「教えてくれ、セリア。お前は何を知ったんだ……?なぜお前が罪人にならなければならなかったんだ……?」
「そ、れは……」
 どうすればいいのか分からない。セリアは真実をシューイに教えたくはなかった。知れば絶対にシューイは迷ってしまうだろう。そしてその決断の先には、愛する父との別れがある。その確信があるからこそ、決して口を開こうとはしなかった。
「セリア……」
「……」
 シューイにはなぜセリアが言おうとしないのか分からない。ただ互いの気持ちがすれ違っていくだけだ。いくら時間が経とうと、セリアが口を開く気配はなかった。シューイは諦めるようにセリアにもう一度だけ声をかける。
「……お前が言いたくないならもういい。二度と同じことは聞かない」
「……」
 そしてシューイは振り向いて、牢獄の扉に背を向けた。その背中にセリアはとつてもなく遠い距離を感じてしまう。思わずセリアはシューイの名を呼んだ。
「シューイ!」
 呼ばれるシューイはその声に微笑み、そして次の瞬間には決意を秘めた顔をする。
「セリア。しばらくここへは来ない」
「……分かったわ」
「お前が言わないなら、俺は俺のやり方で真実を見つけてみせる。次にお前に会うときは……お前を救い出すときだ」
「……ッ!!」

 その言葉を聞いた瞬間、セリアは堪えていた涙が溢れ出す。その言葉の意味するものに、悲しくあり、けれどそれ以上に嬉しくもあった。セリアはここを去っていくシューイの足音を耳にしながら、この先の未来を想って、今はただ泣くことしか出来なかった。