Mystisea

〜想いの果てに〜



二章 悪魔の子


10 魔の子








 八十年前、アルスタール帝国の北にノーザンクロス王国という国があった。そこに住んでいる者は誰しもが黒い髪や瞳を持っていた。片方だけが黒かったり、黒いといっても薄かったり、人それぞれではあったが、それでもその国の民たちは全てが黒を持っていたのだ。
 黒とは魔を象徴する色で、この大陸では黒を持つ人間は魔の子と呼ばれている。ノーザンクロス王国の人間はみんなが黒を持っていたことにより、昔から悪魔の国と呼ばれ続け、忌み嫌われてきた。大きな差別を受けながらも、彼らは懸命に生き続けた。
 しかし八十年前、アルスタール帝国は東にあるレーシャン王国、西にある魔導国家マール、南にある自治都市セクツィアの三国と共に、ノーザンクロス王国を攻め入った。黒を持つ人間全てを、女子供関係なく皆殺しにしたのだ。
 戦える者は最後まで抵抗した。彼らの中には特殊な術を使う者たちがいたのだ。魔法と同じようで、どこか違うものを、攻め入った人間たちは呪術と恐れた。その呪術が思いのほか強力だったが、一国が四国の連合軍に対して勝てるはずもなく、すぐに滅んでいったのだ。この戦いで大陸に住む黒を持つ人間はみな死に絶えたという。今ではノーザンクロス王国があった場所は荒れ果て、魔獣が徘徊している場所になっている。誰もが、騎士団でさえも近づこうとはしないでいた。
 もともとこの国に住んでいた人間は少なかった。そして彼らは死んでいく最後まで叫び続けたのだ。私たちは魔の子などではない、と……。



 動き出そうとした悪魔に気づき、リュートは瞬時に押さえる。腕も押さえつけ、何も攻撃を出来ないようにした。それでもリュートは悪魔の顔を凝視する。
 漆黒の髪と瞳――それは絶えたはずであるノーザンクロス王国の人間である証だった。いつも勉強をさぼっているリュートでさえ、さすがにこの事件については覚えていた。けれどその時は特に何も思わなかった。自分が生まれてくる前のことで、黒を持つ人間など見たことがなかったからである。
 その人間が今目の前にいた。驚かないわけがない。よく見ればその顔は幼く、まだまだ少年とも思えた。
 マリーアも、レイとセリアも二人の方へ近づいてくる。セリアの顔色は悪く、今にも倒れそうだった。セリアの顔を見て、リュートは少しだけ我を取り戻す。
「解毒薬はどこだ」
「……」
 悪魔――少年は黙ったままである。一度もその声を聞いていなかった。漆黒の髪と瞳を持った少年をみんな信じられない眼で見ていた。
「リュート、持ってるかどうか調べて」
 リュートはマリーアに言われて体を調べる。だが持っていたのは短剣と小さな宝石のようなもので、解毒薬らしきものは見つからなかった。
「小屋の中かも……僕、見てきます」
 少年が持っていなければ確かに小屋しか見当がなかった。レイはすぐに小屋に向かって走る。その間、リュートは少年を見続けた。
「貴方、名前は?」
 マリーアが聞いても少年は無表情で黙ったままだ。
「喋れないの?首を振るだけでもいいのよ」
「……」
 それでも少年は黙ったままだ。首も振っていない。それを見てマリーアは少年が喋れないわけではないと分かる。自分たちに反抗しているのだろう。
「お前……人間なのか?」
 リュートが思っていた疑問を無意識に口に出してしまう。そして少年は捕まってから初めて表情を変えた。一瞬のことだ。だが、そういうのはシェーンで慣れているリュートにはよく分かった。とても悲しい表情をしていたのだ。慌てて謝ろうとする。だが、それよりも先に少年が始めて口を開いた。
「俺が、悪魔に見えるのか?」
 その声は思っていたよりも高く、幼かった。声にはマリーアも驚いている。
「わ、悪い……そういう意味じゃなくて……」
 何か言い訳をしようにも、言葉が出なかった。少年は再び無表情に黙っている。
 沈黙が続いて、レイが小屋から走ってきた。
「あの中にはなかったよ……」
「そう……」
 探せるところは探した。あとは少年に聞くしかなかった。
「解毒薬はどこにある?このままじゃ、セリアが死んでしまう!」
「……」
「教えてくれ!」
 少年は黙ったままだ。リュートはそれでも言い続けていた。しつこいリュートに、少年は苛立ったのかやっと口を開く。
「……お前たちは俺を殺しに来た。だから俺がお前たちを殺しても文句はないはずだ」
「それは……」
 リュートは押し黙る。そこにマリーアが口を出す。
「けれど君は私たちに負けた」
「……」
「このまま殺されたくなかったら、解毒薬の在処を言いなさい」
「たとえそれを言ったとしても、その後にお前たちは俺を殺す」
「そんなわけないだろ!」
 リュートは思わず叫ぶ。そんなリュートを少年は見続けていた。
「そうよ。セリアを治してくれたら私たちは君を殺さないわ」
「どうしてそう言える。証拠など何もない」
「約束だ」
「約束……?」
「あぁ。俺はお前殺したりなんてしない。だからお前もセリアを助けてくれ。俺とお前との約束だ!」
「何を言ってる。そんなもの信じるわけないだろう」
 少年の眼は本気でそう言っていて、リュートもマリーアもどうすればいいか分からなかった。その時、つらそうにしているセリアがゆっくりと喋りだす。
「お願い……。私はまだ死にたくないし、死ねないの。リュートの言っていることだって本当よ。リュートは君を殺したりなんてしない。先生だって、レイだってそうよ。万が一そんなことがあったとしたら、私が今度は自分で死ぬわ」
「……」
 少年は黙ったままセリアの眼を見る。その眼に何かを感じ取ったのか分からないが、言葉を発した。
「……分かった」
「本当か!?」
「だから体を離してくれ」
 抵抗できないように、いまだリュートは少年の体を抑えている。言われて素直にリュートは少年から退こうとした。
「けど、いきなり攻撃してきたら……」
 レイがそれには反対する。確かにレイの言うことはもっともでもあったけど、リュートは少年を信じていた。
「大丈夫だ。こいつはそんなことしない」
「……」
 そしてリュートは体を放す。少年は立ち上がり、改めて見ても背は低く、本当に少年なのだと再認識する。そのまま少年はセリアへと近づいていき、その様子をみんなが見守っていた。少年は座り込み、セリアに手をかざす。
「……中和せよ」
 その言葉と共に、セリアの毒は消えていった。次第にセリアの顔色も良くなっていく。
「そっか。魔法だったのか……。どうりで解毒薬がないはずだ」
「……」
 リュートは笑っていた。少年が黙っているのを見て、マリーアは訝しげに声をかける。
「どうしたの?」
「……もう毒はない」
「そうね。お礼がまだだったわね……ありがとう」
「……殺さないのか?」
「ちょっ!何言ってんだよ。殺さないってさっき言ったばかりだろう」
 リュートはいきなりの少年の言葉に驚く。さっき約束したばかりなのだ。その質問は自分が信用されていないのだと分かる。会ったばかりなので当たり前ともいえるが、なぜだかリュートは落ち込んだ。
「そんなこと信用できるわけない。それにお前たちはレンベールの町から俺を殺しに来たんだろう?」
「それはそうだけど……俺たちは悪魔を退治しにきたんであって、お前を殺しに来たんじゃない」
「その悪魔は俺だ」
「違う。お前は人間だろ」
「だがお前は俺を殺そうとしたし、俺に人間かとも聞いた」
「あ、それは、だから……悪かったって!つい……本当に思ったわけじゃないんだ!ただ、黒の髪や眼を持っている人間を見るのは初めてだったから……」
 リュートは焦り、言い訳をする。どうにかして信用してもらいたかった。
「そして……その人間を眼の前にして悪魔だと思った」
「だから違うって言ってるだろ!何度言えば分かってくれるんだよ!」
「……」
 少年は黙る。リュートは自分の気持ちが分かってもらえず、もどかしかった。
「もう止めなさい、リュート」
 見かねたマリーアがリュートを止める。マリーアには少なくとも少年が何を思っているのか、なんとなく分かっていた。
「先生……」
「きっとこの子は私たちを信じないわ。私たちだけじゃない……誰も信じていないのよ」
「何でですか!?」
「リュート……貴方は分かっていないわ。黒を持つことがどれだけ意味があるのかを……」
「分かるわけないじゃないですか!そりゃ俺だって今まで黒を持った人なんて見たことないけど……だけど、こいつはどう見ても人間ですよ!」
「リュート……」
 リュートにとって黒を持っていることなど何の意味も無かった。シェーンやシューイのこともあるのかもしれない。彼らも金と銀を持っている神の子だが、リュートはそんなこと関係なしに接していた。
「……もういいだろ。殺さないのならとっととここを出て行け。殺すと言うのなら……その前に俺が殺す」
 少年は素早くリュートたちから退き、いつでも戦闘が出来るような体勢をとった。リュートは少年の眼を見て、いたたまれない気持ちになる。
 その眼は孤独で、そして全てに絶望しているようにに感じられた。