Mystisea

〜想いの果てに〜



三章 セクツィアの国境へ


05 憎悪の深さ








 どれくらいの時間が経っただろうか。
 リュートとガルドーは互いに睨み合い、その場から動かなかった。リュートは自分から仕掛けることなどできず、ガルドーの行動を待つしかなかった。出来ることならば、このまま退いてくれることを願っている。こうして目の前に、知り合いが敵としていることにリュートはいまだ信じられずにいた。
 それでもリュートの願いもむなしく、ガルドーが先に動き出す。
「覚悟は出来ているんだろうな!」
 斧を構えながら、ガルドーはリュート目掛けて走った。その大きな斧を軽々と振るっているガルドーに、いつ見てもリュートは感嘆の息をもらした。目の前に迫ろうとしている今でさえも。
「ガルドー!」
 ガルドーの斧はリュートを捉え、真っ直ぐ頭上から振り下ろされようとしていた。リュートは素早く後ろへ跳ぶ。
「本気なのか……?」
「当たり前だ!さっきから何度も言っているだろ!さぁ、早くお前も剣を構えろ!!」
 リュートは先ほどのガルドーの攻撃に、あきらかな殺意が込められていたことが分かってしまった。だからといってリュートがガルドーを殺せるわけもないのだ。それでもこのまま丸腰のままだと死んでしまうので、仕方なくリュートは剣を抜いた。
「それでいいぞ、リュート。今度こそ決着をつけようじゃないか!」
 ガルドーは横から斧をなぎ払うように振るう。それをリュートは剣で受け止めた。しかしその大きな斧とガルドーの馬鹿力が合わされば、リュートでは完全に受け止めることは出来なかった。そのまま後ろへ押される。リュートはすぐに体勢を直し、ガルドーを見た。
「どうした!動きにキレがなくなっているじゃないか!」
 ガルドーはいまだ本気を出していないリュートに苛立っている。こんな状態のリュートを倒しても、勝ったとはいえないのだ。本気のリュートを倒した時、初めてガルドーはリュートに勝ったことになる。
 ガルドーは再びリュートへ豪快に斧を振り払った。リュートはそれを避け、後ろへ跳ぶ。そのリュートをガルドーは追いかけ、次々と攻撃を加えた。それでもリュートには反撃など出来るわけもなく、ガルドーの斧を避け続けることしか出来なかった。
「ふざけるな!!なぜ俺に攻撃してこない!」
 自分を攻撃してこないリュートに対して、ガルドーの怒りは次第に大きくなってきた。
「出来るわけないだろ!今までのような模擬戦ならともかく、こんな殺し合いなんて……俺には出来ない!!」
 リュートはガルドーに自分の想いをぶつける。けれどもその想いすらガルドーにはもう届かなかった。
「言ったはずだ!お前には出来なくとも、俺には出来ると!」
「なぜだ!そんなにお前は俺が憎いのか!?俺がお前に何をしたと言うんだ!」
「憎いさ……お前を今すぐにでも殺したいくらいにな!!」
 ガルドーの眼には、会った時からリュートへの憎悪が浮かんでいた。戦い始めてからは、ますますそれが色濃くなったほどだ。リュートには自分がなぜそこまで憎まれているのが分からなかった。
「何をしただと……?お前にとっては、それほどのものなんだろうな。だが、俺にとってはお前を憎むのに十分なものなんだよ!!」
「ガルドー!」
「知りたければ、自分で思い出せ!どうせお前には一生分かることもないだろうがな!」
 ガルドーは走り出し、斧を振るった。リュートが避けても、受け止めても、構わずに何度も何度も。リュートが本気になるまで、振るい続けるほどの勢いだった。
 リュートもそれをいつまでも避けたりするのは時間の問題でもあった。ガルドーの斧は、攻撃力も大きく、そして素早くもあった。避けるのにはそれなりの神経を使い、体力も少しずつ減っていた。何よりも、今まで山を降りていたのだ。もとからリュートの体力は万全ではなかった。
 少しずつリュートの動きが鈍くなってきていることに、ガルドーは気づき始めた。それを見逃さず、ガルドーはさらに攻撃の手を速めた。リュートにも自分とガルドーの動きに差が大きく出始めているのが分かっている。分かっていても体が思うように動いてはくれず、ガルドーの攻撃をギリギリで避けていた。
「早く本気を出したらどうだ!」
 不利な状況でも、リュートが本気を出して攻撃することはなかった。さらにガルドーの攻撃は休む暇を与えずに、繰り返される。
「くそっ……どうすれば……」
 このままでは危険だとリュートにも分かっていたが、だからといって反撃に転ずることもリュートには出来なかった。そう思っていると、ガルドーの斧が突然目の前に現れる。リュートはそれに目を見張り、とっさに腕を前に出し、防御をしながら後ろへ避けようとした。
「……っ!!」
 リュートは苦痛の表情を浮かべる。避けきることは出来ず、ガルドーの斧はリュートの腕に深く傷を残していた。傷口からは血が止まることなく流れ続けている。避けようともしなかったら、命はなかったかもしれなかっただろう。リュートは間一髪だったことに、安堵をすると同時に戦慄もした。
「ガルドー……」
「どうだ……本気を出さなきゃ次は本当に死ぬぞ」
「それでも……俺は……」
 リュートは剣に手をやった。しかしそれを構えることはいまだ出来ずにいる。それを見たガルドーはさらに苛立ちが増した。
「ふざけるな!ここまできて、まだ剣を構えないのか!どれほど……どれほど俺を蔑むつもりだ!!」
「何を……俺はお前を蔑んだことなんて」
「黙れ!言い訳などいらない!どうしても構えないと言うなら……もうそのまま死ね!!」
 ほとんど無抵抗のリュートを殺すことに、ガルドーは躊躇っていた。しかしいつまで経っても、リュートは剣を構えやしない。ガルドーは覚悟を決めて、リュートを殺そうと決意した。
「ガルドー!」
 最後のリュートの制止もガルドーの耳には入らない。ガルドーは斧を振り上げ、リュートの頭上から一気に振り下ろした。
「ぐあぁぁっ!」
 いまにも斧がリュートに当たろうというときに、いきなりガルドーの斧が爆発音と同時に燃え出した。ガルドーは右手を押さえながらうずくまっている。何が起こったのだろうか。一瞬のことだったので、ガルドーは分からなかった。リュートもいきなりの爆発に驚いている。
「何をしてる。殺されたいのか!?」
「ヒース……?」
 リュートは声が聞こえた方を向くと、そこには右手をガルドーに向けているヒースがいた。その手からはまだ炎が浮かんでいるのが見える。さきほどの爆発はヒースがしたことだと、リュートは理解した。
「何だてめぇ……!」
 ガルドーがヒースを射殺すように睨んだ。右手を見れば、火傷を負っているのが分かる。邪魔をされたことに、爆発によって右手がやられたことに、ガルドーは怒り狂うほどの勢いだった。
「なぜ攻撃しない」
 ヒースはその場から動かずに、リュートを見ていた。
「俺には、ガルドーに攻撃することなんて出来ない……」
「やらなければ殺される」
「そんなことは……!」
 分かっている、と言いたかった。けれど、リュートにはそれが言えなかった。
「ふざけるな!ガキのくせに、いい度胸じゃないか!」
 ガルドーは痛みを無視して、再び斧を手に持った。その標的はリュートではなく、ヒースに向けられている。
「さっきの礼だ……。リュートの前に、お前から殺してやるよ!」
「なっ!止めろ、ガルドー!そいつには……ヒースには手を出すな!」
 リュートは今にもヒースに向かっていきそうなガルドーを制止しようと叫んだ。
「なんだぁ?何をそんなにムキになっている」
「何……?」
「そんなにあのガキを守りたいのか?そもそも何であんなガキと一緒にいるんだ」
「お前には関係ないだろ!」
 そのリュートの意外な態度に、ガルドーは思わず笑みを浮かべた。
「……面白いな。あのガキを殺せば、お前も本気になるかもな」
「何!?」
「リュート……お前はそこで黙って見てな!」
「止めろ、ガルドー!」
 動き出したガルドーを止めるために、リュートも走ろうとした。しかし思ったよりも腕の傷が痛み、思うように動けなかった。
「炎よ」
 今まで黙っていたヒースは、自分へ向かってくるガルドーに魔法を放つ。
「生意気な奴だな」
 ヒースの魔法を見たガルドーの呟きだ。今さっきもその魔法で自分の手がやられたとこだった。苦々しい思いをしながら炎を避けて、ヒースに向かって走る。そしてガルドーの斧がヒースを捉え、そのまま勢いをつけて斧を振った。
「……!」
 ヒースは素早い身のこなしで斧を避ける。そのヒースの動きにガルドーは内心で驚いていた。それでも構わずに、ガルドーは次々とヒースに攻撃を続けた。だがその攻撃も、一度も当たることなく避けられてしまった。
「くそ……あんなガキになぜ俺の斧がかわせる……」
 ヒースとガルドーの少しの対峙。



 その時、その場に大きな風が一瞬訪れた。



「なっ……!!」
 ヒースもガルドーの斧を避けるのは簡単だったわけではない。度重なる攻撃を避けて、身体を動かし続けていた。そしてその時訪れた風によって、ヒースの黒い髪を隠していたバンダナが落ちていったのだ。
「馬鹿な……漆黒の髪だと……」
 ガルドーはその露になったヒースの髪を信じられないような目で見ている。思わず武器も知らぬ間に下げていた。誰が見ても、驚きを隠せないのだろう。次第にガルドーはヒースを慄くように、そして人でないものを見るような目になった。
「ヒース!」
 リュートがヒースに駆け寄る。ガルドーの反応を見てヒースが傷ついたのではないかと心配になっていた。しかしヒースはその反応に慣れていたので、いつも通りでいた。
「ヒース……」
「慣れてる」
 その呟きにリュートは心を痛める。リュートにはガルドーを責めることは出来なかった。自分も初めて見たときは同じような目をしていたと思っている。何も言えずにいた。
「なぜ……なぜ魔の子が……」
「ガルドー……」
「なぜ魔の子がお前たちと一緒にいる!?いや……そもそもどうして存在しているんだ!」
「止めろガルドー!」
「お前は……そのガキが魔の子と知ってて一緒にいるのか!?」
「いい加減にしろ!」
 何を言っても黙らないガルドーにリュートも怒りを隠せない。顔では無表情を通しても、その一言一言にヒースは傷ついている。そんな気がするのだ。
「……どけ、リュート」
「何……?」
「何を惑わされたか知らないが……その悪魔は生かすべきじゃない!今すぐ俺が殺す!」
「ふざけるな!ヒースは悪魔なんかじゃない!」
「すでに悪魔の術にかかってるんだろう」
「ガルドー!」
 ガルドーはヒースを睨みつける。その目は悪魔への恐怖と嫌悪が滲み出ている。斧を持ち、今度こそ仕留めるべく動こうとした。
「そうはいかないわ」
「……!」
 いきなりの第三者の声にガルドーは後ろを振り返る。そこにはマリーアが拳をガルドーに向けていた。両脇にはセリアとレイもいる。一緒に来た騎士たちの方を見ると、みんな地に伏していた。中には死んでいるものもいるかもしれない。
「先生……」
「後は貴方だけよ……」
「……」
「退きなさい。これ以上手を出せば……殺すわ」
「くっ……」
 マリーアが本気だということはガルドーにも、リュートたちにも分かった。ガルドーは心に複雑な想いを浮かべながらも、斧を下げる。
「なぜだ……なぜ悪魔がいるのに殺さない!」
「ヒースは悪魔なんかじゃないわ」
「……!」
 ガルドーはマリーアの言葉を聞いて、もう何かを言うことも諦めた。マリーアにその気がなくても、その言葉はガルドーの心を深く傷つけていたのだ。ガルドーは黙ったまま、リュートたちから背を向けて歩き出す。その背中に声をかけることは、リュートにもマリーアにも出来なかった。