Mystisea
〜想いの果てに〜
三章 セクツィアの国境へ
07 妖精族
今リュートの目の前にいるのはは、羽が生えて浮かんでいる少女だった。つまり人間ではない。
この少女は一体何なのだろうかと、リュートは半ば混乱している頭で考えていた。そして一つの結論が出る。
「……妖精…族?」
この答えにリュートはものの数分かかった。本来ならすぐに分かるはずなのだが、リュートにとって妖精族は初めてみるものだし、何よりこの帝国領にいることがおかしいのだ。
「あ……えっと……さ、さようなら!」
「え?……ちょ、ちょっと待ってよ!」
少女――目の前にいる妖精もリュートに見つかって混乱していたようで、気を取り直すとすぐにここを立ち去ろうとした。けれどリュートはそれを咄嗟に呼び止める。妖精もその声を聞いてビクッとしたように立ち止まり、恐る恐るリュートを振り返った。
「君……妖精だよね?」
「うん……」
「何でこんなところに……」
妖精という言葉に肯定したのを見て、事実なのだと納得する。そしてその妖精に対しての疑問をリュートは聞いた。けれど妖精は予想外の疑問を逆にぶつけてくる。
「私を捕まえないの?」
「何言ってるんだ。何で俺が君を捕まえるんだ?」
「だ、だって……人間は私たちを見つけたら捕まえて殺すんだって、お母さんやお父さんが……」
「ちょっと待って!そんなことするわけないだろ」
リュートは妖精の口から出た言葉に驚いた。いったい誰がそんなことをすると言うのだろう。でまかせもいいとこだった。それでも渋っている妖精にリュートは優しく話しかけた。
「少なくとも、俺はそんなこと絶対にしない」
「お兄ちゃん……」
「なぁ!俺妖精見るの初めてなんだ。もうちょっと話さないか?」
初めて見る妖精にリュートは興味津々だった。いろんなことを話したいと妖精に言う。その笑顔が妖精にとっては、リュートのことを信じられる人だと認識させていた。
「私も人間に会うの初めてなの。けど、そろそろ帰らないとお母さんたち心配してると思うから……」
「あ、そっか……そうだよな…」
「ごめんなさい」
「いや、大丈夫だよ」
言われて初めて気がついた。いくら妖精でも少女であることに変わりはないのだ。こんな夜遅くにここにいることはおかしかった。少し名残惜しい気持ちになりながら、リュートは妖精を見送る。
「あの、助けてくれてありがとう」
「別にいいって。それよりさ、俺の名前はリュート。君の名前は?」
「え……?」
「だって俺たち友達だろ。俺にとっては妖精で初めての友達で、君とっては人間で初めての友達」
「友達……」
小さな声で呟いているを聞いて、リュートは少し不安になる。たとえ初対面でも誰とでも仲良くできるのは、リュートのすごいところでもあった。
「もしかして嫌だった……?」
「ううん、そんなことないよ!お兄ちゃんと友達になれて嬉しい!」
「そっか。良かった」
「私の名前はリリだよ。ありがとう、リュートお兄ちゃん!」
リリはそう言って、すぐにリュートの前から去っていった。それを後ろから見ていたリュートは、こんな夜中に1人にして大丈夫かと心配になる。やっぱり近くまで送っていけば良かったかなと思ったが、すでにリリは見えないとこまで行ってしまったので諦めた。リュートもそろそろ帰って寝ないと明日の朝起きられなくなりそうなので、すぐに町の中へ帰っていく。新しい出会いに心を浮上させながら。
まだ陽も完全に上っていないほどの朝早くにヒースは目を覚ます。昔からの習慣として、いつもこの時間帯に起きているのだ。それは寝ている間も無防備にならないように、睡眠が浅い証拠でもあった。それ故に、昨日の深夜にリュートが部屋を出て行ったことにもヒースは気づいている。今では隣のベッドで熟睡していた。
ヒースはベッドから起きだし、これからの支度を始める。支度といっても、することなど一つしかない。バンダナで頭を隠し、魔法で瞳の色を変えるだけ。それは小さいころからずっと漆黒の髪と瞳を隠しているものだった。
七年前に両親が殺され、それからはずっと一人で生きてきた。リュートたちに出会うまでの七年間、誰にも助けられることなく生きてきたのだ。魔獣とも殺し合い、そして同じ人間とも殺し合う。それが唯一ヒースが生き残るための術。そして、魔の子の宿命でもあった。
自分が魔の子に生まれきたことが嫌なわけではない。それでも時々、どうして自分が魔の子として生まれてきたのか思わずにもいられなかった。自分がこれまで必死に生きてきたのは両親との約束があったからであり、それがなかったら潔くその身を差し出していただろう。この一人ぼっちの世界に、何の未練もないのだから。
「ん……」
掠れ声が聞こえてきたので、振り返ってみるとレイが起きだしていた。レイも一人起きていたヒースを見たので、少しの間眼が合う。
「……おはよう」
「……あぁ」
レイはその挨拶だけをして、すぐに自分の支度をしはじめた。ヒースはレイが自分を良く思っていないことに気がついている。今までまともに話したこともなかった。ヒースも特に自分から話しかけることなどしない。それはレイの反応が、一番普通のことでもあったからだ。むしろリュートたちのほうがおかしい反応なのだ。
「リュート、起きなよ!」
レイがいまだ熟睡しているリュートの体を揺する。すでにマリーアとセリアは起きているだろう。いつものことながら、寝ているリュートに呆れる。学生のころから、同室のリュートを起こすのはレイの役目でもあった。レイはため息を吐きながら、慣れた手つきでリュートをベッドから落とす。
「ってぇぇ!!」
鈍い音がすると同時に、リュートの声も上がった。
「早く支度してよ」
「え?もしかして時間過ぎてる!?」
「まだだけど、もうちょっとだよ」
「やっば!」
慌ててリュートは立ち上がり、急いで支度を始める。もっと早くに起こしてくれよなどという呟きも聞こえてきた。
「先に行ってる」
焦っているリュートとその手伝いをしているレイを見ながら、付き合っていられないという感じでヒースは扉に手を掛ける。
「お、おい!待ってくれよ、ヒース!」
一人先に行こうとするヒースをリュートは呼び止めた。しかしヒースはそれを一瞥しただけで、部屋の外へ出る。無情にも追いかけようとしたリュートの目の前で、部屋の扉はバタンと閉じた。
「そろそろ国境に着くわね」
リュートたち五人はすぐにジュエンの町を出発して、セクツィアの国境へと向かった。ジュエンの町からはさほど遠くもないのですぐに着き、魔獣ともそれほど出会わずにすんだ。しかしリュートの顔は晴れない。寝坊したことをセリアにこっぴどく怒られたからだ。自業自得なことは分かっているので、それはささやかな抵抗だった。そんなものなど、みんな無視していたが。
「やっと着くんですね……」
この逃亡の旅に疲れ始めていたレイからは期待に満ちた声が出ていた。
「そうね。やっと……」
セリアも昨日よりかは晴れやかな顔をしている。
「あ!あれじゃないですか!」
いち早くリュートが国境を見つけた。それを見たみんなも嬉しそうな声をあげる。
セクツィアには国境のすぐ後ろに大規模のアルデリア砦が築かれている。それは妖精族にとって、帝国からの攻撃の防衛の要でもあった。国境からセクツィアの自治領に入った人間は、すぐにアルデリア砦に駐留する軍から攻撃を受ける。そのため、国境といってもそこに帝国の人間はいない。妖精族の数人が誰も自治領に入らないよう見張るためにいるだけだった。
「そこの人間ども、止まれ!」
国境から聞こえてきた声にリュートたちは歩を止めた。すぐに国境から六人の妖精族が出てきて、五人の前まで進んでくる。
妖精族の六人は弓を手に持ちながらいつでも戦闘に入れる準備をしている。彼らの姿は緑の髪に耳が長く、人間とそう変わらない姿でもあった。妖精の中でエルフと呼ばれているものたちである。その中で一番立場が上と思われるエルフが前に出てきた。
「人間がここに何の用だ」
そのエルフに対応するように、マリーアも一歩前へ出る。
「貴方がたセクツィアの住人たちにお願いがあって参りました。私たちはこの帝国、そして東西の国に追われている身です。我々に行き場はなく、どうかこのセクツィアへ亡命させていただきたいのです」
マリーアはエルフへと頭を下げた。
「亡命だと?」
「はい。どうか、お願いできないでしょうか」
「はんっ!笑わせるなよ、人間が!なぜ我々がお前たち人間を受け入れなければならないのだ!」
エルフはマリーアを見下すように言う。その言葉からは、エルフの人間に対しての嫌悪が滲み出ていた。
「お願いします!私たちには行く場所がないのです!」
「我々が知ったことではない。すぐにここを立ち去れ!」
「……では、せめてこの子たちだけでも!」
「先生、何を!?」
マリーアは必死にエルフに頼み込む。しかしエルフはそんなマリーアの願いを少しも受け入れることはなかった。
「ふざけるなよ!人間であれば女子供だろうとここを通すわけには行かない!」
「おい、あんた!何だよさっきから聞いてりゃ人間人間って」
一歩も譲らないエルフに、じれったくなってリュートは横から出てきた。マリーアはリュートを止めようとするが、それで止まるはずもなかった。
「何でそんなに人間を目の敵にするんだ!?俺には納得できない!」
「何でだと……?お前たちは自分たちがしてきたことさえ忘れたというのか!!?」
「リュート!」
それを聞いて、険しい顔でマリーアは腕ずくでリュートを引っ張る。しかしすでにエルフの怒りは頂点に達しているようで、矢を番えていた。後ろにいるエルフも同様だ。
「今すぐにここを立ち去れ!さもないとこの場所であろうとお前たちを射抜くぞ!」
「なっ……」
エルフたちからは今にも矢が放たれそうだった。殺気を感じたマリーアは、すぐにこの場所を立ち去り始めようとする。それにリュートは抗議しようとしたが、マリーアの気迫がそれを止めた。セリアとレイも何が起こったのか分かっていないようだ。マリーアに付き従い、国境から離れるしかなかった。
「先生、俺まずいことしましたか……?」
「リュート……」
国境から離れると少し落ち着いたようで、リュートは先ほどの行動を振り返って気落ちしていた。
「あれを聞けば彼らが怒るのは当たり前なのよ」
「何でですか……?」
「いずれ分かるわ。私の口からはまだ言うことは出来ないから……」
何が悪かったのかもリュートはいまだに分からなかった。セリアとレイを見ても首を振るだけだ。
「それより、恐らくセクツィアへはもう入れないわね」
「そんな……!それじゃぁ僕たち……」
「俺が……悪いんですか?」
「そうじゃないわ。あのままでも駄目だっただろうし。とにかく、これからどうするか決めないと……」
昨日は絶対にセクツィアへ入れるのだと確信していたリュートたちは、いきなりの現実に打ちのめされていた。マリーアでさえも、途方にくれている。必ず入れるという確信はなかったが、それでも何とかなるだろうと思っていた。妖精族の人間に対する感情が思ったよりも強すぎたのだ。
リュートたちは国境から少し離れている森の中で、絶望の淵に立たされていた。