Mystisea

〜想いの果てに〜



四章 覚悟と命


05 リュートとシェーン 2


別たれた道







 ユーベルト平原にリュートたち反逆者が辿り着いたことに、シェーンはすぐに感知していた。けれどすぐに捕まえることはなく、部下には犠牲者が出るようなことがあれば捕縛の命令を出しただけである。心の中ではそのまま何事もなく過ぎ去ればいいと願っていた。けれどその願いもむなしくかき消される。副団長という立場から部下の犠牲をそう簡単に見逃すわけにもいかず、ある目的でユーベルト平原に来ていた第三騎士団全員で反逆者を包囲させた。
 リュートと会話したのはリュートが反逆者となる前日の夜以来で、こんなにも長い間リュートと会わなかったのは初めてかもしれない。その事実に今までどれだけ一緒に育ってきたのかを思い知らされる。
 久しぶりに会ったリュートはいつもと変わることはなく、純粋な光を放っていた。光とは無縁の場所にいるシェーンにとって、それは眩しくて、まともに対峙することは到底無理なことだった。昔と比べれば比べるほどリュートは光のように輝き、そして自分は闇のように堕ちている。それは仕方のないことだけど、出来ることなら闇の中の自分をリュートに知られたくはなかった。自分勝手な願いと分かっていながらも。
 頭の中でいろいろな想いが交錯しながら、シェーンはローレル砦へ向かっていた。これ以上あの場所にいることは出来ず逃げ出したのだ。あの時リュートが動いた気配もしたが、恐らくは他の騎士によって阻まれただろう。この平原に来ている騎士のほとんどが精鋭であり、反逆者のリュートたちが敵う相手ではないのだから。だからこそ、今ここで有り得るはずのない声を聞いたことに驚きを隠せなかった。
「シェーン!!」
 もうすぐでローレル砦に辿り着こうという時、自分の名を呼ぶ声が聞こえてシェーンは慌てて後ろを振り返った。そこには予想もしていなかった姿があり、戸惑いを隠すことはそう簡単に出来ない。ましてや今までその本人のことを考えていたのだから。
「リュート……」
 立ち止まったシェーンにゆっくりとリュートは近づいていく。けれど数メートルの距離の所でリュートも立ち止まり、それ以上の距離を埋めることはしなかった。二人が無言でお互いを見つめあう。リュートはやっと出会えた歓喜の表情とシェーンとの距離を考えた複雑な表情を織り交ぜながら、そしてシェーンはリュートがすぐ近くにいるということの苦しい表情をしながらも。
「どうやってここまで来た。あれほどの騎士たちを退けたというのか?」
「シェーンに会わなきゃいけなかったんだ。それに、ヒースがここまで辿り着かせてくれた」
 シェーンは初めて聞く名前を訝しげに思いながら、それがリュートと一緒にいた少年のことだと理解する。そして、それと同時にリュートの持つ剣に目がいった。
「その剣……血に塗れているな……」
「これは……」
「……殺したのか?」
 痛ましげな顔をするリュートに、シェーンは確信を抱いて尋ねた。信じられないことだが、恐らくは事実なのだろう。
「……あぁ。俺は……人を初めて殺した」
「リュート……お前……」
「……」
 望んで斬ったことではないとシェーンにもよく分かった。けれど、今のシェーンにはリュートを慰めたりすることなど出来るはずがない。
 シェーンはリュートを見て、そして決断した。
 望みへの覚悟と共に。
「殺したというのなら、それは私の部下なのだろうな」
「シェーン!」
「ならば私は上官としても帝国騎士としても……お前を見逃すわけにはいかない!」
「シェーン!!」
 リュートの呼びかけも無視し、シェーンは自分の剣を抜く。それはリュートを敵と認めた証でもあった。
「待てよ、俺の話を聞いてくれ!」
「……」
「俺たちは、ずっと帝国に騙されてたんだ。お前も、俺も、先生たちも、この世界に生きるみんなが!」
 リュートの中にある希望。真実をシェーンに話したかった。あの夜の真実を。
「俺たちはライル先生を殺してなんかいない。全部あいつが……アイーダが仕組んだことなんだ」
「リュート……」
「アイーダの正体は魔族だったんだよ!皇帝だってそれを知っている。俺たちはずっと騙されていたんだ!!」
「……」
「シェーン、騎士たちを退かせてくれ。そして、俺たちと……俺と一緒に!」
 シェーンの反応は分からなかった。何も言葉を発さずに、無表情にリュートを見ている。リュートはそのままシェーンの返事を待っているだけだったが、その心には自信が満ち溢れている。

 けれども真実は残酷だった。

 その自信を粉々に打ち砕くように、シェーンが徐に口を開いた。
「……それだけか」
「え……」
「お前の話はそれだけなのか」
 リュートの話に動じず、落ち着いて同じ言葉を放った。リュートはそのシェーンの反応が予想外で、思わずたじろいでしまう。
「やはりと言うべきか……そこまで知ってしまったんだな」
「シェーン……?何を……」
 シェーンの言葉の意味が分からず尋ねようとするが、それもシェーンの次の行動によって阻まれる。シェーンが剣の切っ先をリュートに向けてきたのだ。
「構えろ、リュート」
「な、何言ってるんだ!俺の話を聞いていなかったのか!?」
「聞いていたさ」
「ならどうして!」
 シェーンに剣を向けられていることに訳が分からず、リュートの頭は混乱していく。そしてそれをさらに深めるかのように、シェーンは衝撃的な言葉を言い放った。
「それがどうしたと言うのだ」
「なっ……!この国は魔族に操られているんだぞ!それを聞いて何とも思わないのか!?」
「……知っていたさ」
「……!?」
「アイーダが魔族だということも、ライル先生やギレイン殿がアイーダに殺されたことも、この国が腐っていることなど、全てな!!」
「何を……知っていたって……そんな馬鹿なこと……!」
 今、何が欲しいかと言われたら迷わず時間と答えただろう。今のシェーンの言葉を理解することが、リュートはすぐには出来なかった。
 アイーダの正体やこの国の現状を知れば、シェーンなら迷わずに自分の味方になってくれると信じていた。それなのに、現実は違ってシェーンが自分に剣を向けている。それだけでもリュートにとっては信じ難いことなのに、ましてやリュートが話したかった全てを知っていたなどと言われては、混乱しない方がおかしかった。
「構えないと言うならばそれでいい。だが、武器を構えないからといって手加減はしないぞ!」
 リュートは呆然とした感じで、シェーンが走ってくるのをまるで他人事のように見ていた。剣を構えて突っ込んでくる。リュートはそれでも剣を構えずにいた。こんなことあるはずがないと思っているから。けれどリュートが今まで抱いていた自信は、この瞬間に全て打ち砕かれることとなった。
「防衛本能か……。お前は昔からそうだったな。防衛本能が人一倍強く、誰よりも心が生きたいと願っている…………」
「…シェーン……」
 シェーンの剣はリュートの肩を深く斬っていた。それでもまだマシな怪我ともいえる。なぜなら、シェーンの剣はリュートの心臓を狙っていたのだから。シェーンの剣がリュートを貫こうとする時、リュートの防衛本能が働いて、致命傷を免れることが出来た。それがなければ、すでにリュートの命はなかっただろう。今起きた出来事が信じられずに、リュートは愕然とした。
「構えなければ、次こそ本当に命はないぞ」
 リュートの頭を整理する時間などくれるはずもなく、シェーンはさらに第二撃を放ってきた。今度の攻撃も素早く、構えたくても構える暇もない。リュートは肩の傷口を押さえながらも、ギリギリでシェーンの攻撃を避ける。
「止めろ、シェーン!」
「見苦しいぞ、リュート」
「お前……急にどうしたんだよ!?俺には納得できない!全部知ってるって……!」
「言葉の通りだ。お前が知るずっと前から、私は知っていた」
「だから、それがおかしいだろ!知っていたなら何で!?」
 リュートは声を必死に張り上げて叫ぶ。しかしその全てもシェーンは冷静に切り返してきた。
「……!まさか、お前も皇帝のように操られているのか……?」
「操られるだと?私をあの愚帝と一緒にするな。それにあの男も、あれで操られてなどいない」
「そんな……」
 その事実は知らなかった。皇帝が操られているなどとはリュートが勝手に思い込んでいただけである。いまだ世間の皇帝の評判は良いほうで、悪い所は全て帝国から迫害を受けているとこだけだった。リュートでさえ、城を出るまでは賢帝だと信じていたのだから。
「だったらどうして帝国にいるんだよ!」
「そんなことお前には関係ないだろう!」
「関係ない……だと……?」
 その言葉にもショックを隠せない。自分だけが、相手のことを特別なのだと思っていたのだろうか。幼馴染だけではない、友情や恋情さえも超えた位置にある特別な存在。それがシェーンだと、リュートはずっと思っていた。そしてシェーンもまた、自分のことを特別な存在だと思っているのだろうと信じていた。
「いつか……いつかこの日が来るだろうと思っていた。お前が真実を知り、私と相反する道を行く時が……」
「分かんねぇ……お前の言ってることさっきから全然分かんねぇよ!!」
「リュート、すでに私とお前の道は分かたれたのだ。そして、その二つの道が交わることはもう……永遠にない!」
「……!!」
「死にたくなければ、本気で来い!」
 シェーンは走り出し、三撃目を繰り出す。リュートはそれを避けきれず、今度は腕に怪我を負った。その怪我も浅くはなく、出血も多量に出ている。リュートは自分の身体から流れる血を見ても、剣を構えることだけはしなかった。シェーンの剣はリュートの血で紅くなり、美しい銀の髪を靡かせながらその剣を携えている姿は、まさに戦場の女神とも言えた。
 リュートが剣を構えないのもお構いなしに、シェーンは次々と攻撃を仕掛けてくる。シェーンの強さは女とは思えないほどに凄まじく、リュートがシェーンに勝っている所は力だけだろう。他はどれもシェーンのが勝っていて、敵としてこれ程までに脅威だとは思わなかった。
 リュートはシェーンの攻撃を避けることしか出来ずに逃げ回っている。その合間に必死にシェーンに叫び続けるが、それを聞いてシェーンが動きを止めることは一度もなかった。胸、背中、腕、顔、足、次々と為す術もなく傷が増えていく。出血が多すぎるせいか動きも鈍くなっていき、さらに格好の餌食となっていた。
「はぁ…はぁ……シェー…ン……」
 リュートはついに立っていられなく、大地に腰を下ろす。もはやまともに見ていられないほどにリュートは全身血に染まり、そして傷一つ負ってないシェーンはその返り血に染まっていた。綺麗だった緑の平原も、二人のいる周辺だけが鮮やかな紅い平原になっている。
「なぜだ……なぜ剣を取らない!」
「んなこと……決まって…るだろ……」
「……そうか。だがな、お前がどう思おうと……私はお前を敵としか見ていない!」
「……いいさ……それ…でも……俺が……」
「っぅ……!!」
 それでも自分を信じようとするリュートが惨めで、シェーンは見ていられなく剣を振り上げた。
「終わりだ、リュート!!」
 そのまま剣をリュートの身体を貫こうと振り下ろす。しかし、その瞬間に遠くから短剣が飛んできて、それは勢いよくシェーンの剣にぶつかった。普通の人や騎士程度ならば剣を弾いていただろうが、シェーンの場合はそこまでいかずに、ただ剣の軌道をずらすだけとなる。それはリュートの心臓をすれすれでかわして、けれど致命傷ともいえるほどに胸を深く貫くこととなった。
「リュート!!」
 そこには短剣の持ち主でもあるヒースが、青褪めた顔で立ち尽くしていた。