Mystisea
〜想いの果てに〜
四章 覚悟と命
08 二つの銀
その日は砦から少し離れた場所に移動して平原で野宿することになった。数時間経てばサレッタの町に着くことは可能だろうが、重傷のリュートをそこまで動かすのは危険だと判断したからだ。本当ならベッドでゆっくりと治療したいところだがそうもいかない。セリアのおかげで何とか一命は取りとめたけれど、動けば傷口が開いてしまうのだ。
夜になってもリュートは目覚めずに気を失っている。ずっとリュートの傍にいたレイも疲れたのか、いつの間にか眠っていた。そんな二人を見ながらマリーアは寝ずの番をする。移動したといってもそれほどローレル砦から離れてはおらず、魔獣も出現する可能性もあるからだ。最低でも一人は起きていなければならない。
セリアはずっとリュートの治療をしていたにも関わらず、今はヒースの肩の傷口を癒している。すでに魔力は使い果たすほどに至っているが、それを止める気配は微塵も感じられなかった。
「セリア、そろそろ貴女も休みなさい」
「いえ、私はまだ大丈夫です」
マリーアが見かねて注意するが、セリアは頑なに首を横に振る。
「私は……何にも役に立たなかった。そればかりか、私のせいで先生にまで迷惑かけました。だから私の出来ることだけはしたいんです」
「セリア……」
セリアはセリアでいろいろ悩んでいた。もともと戦うことはあまり好きではないし、セリア一人では騎士相手に勝てるはずもない。そんな力のない、弱い自分が許せなかった。人を傷つけることを恐れ、自分だけそれから逃れようとしている。セリアの本来の仕事は戦うことでなく、人を癒すことだ。だから戦わなくていいのだとずっと思っていた。けれどそれはただのわがままで、本当はそれを理由に逃げているだけなのだ。マリーアもヒースも好きで人と戦っているわけじゃない。二人に任せ続けるのは絶対に駄目だと、今日セリアははっきり分かった。
戦わなければいけない時は、覚悟を決めて戦おう。例え相手が魔獣であろうと人間であろうと。
「ふぅ……これで大丈夫だわ」
「……ありがとう」
やっとヒースの治療を終えた。ヒースのお礼は小さな声だったが、ちゃんとセリアには聞こえている。微笑みで返しながらセリアは疲れたとばかりに横になった。本当に疲れ果てていたのか、ものの数秒でセリアからは寝息が聞こえてくる。それを聞いて思わずマリーアは笑ってしまった。
「やっぱり疲れてたのね……。ヒースももう寝なさい。明日は朝早くには出発するわ」
「……」
マリーアに言われてか、ヒースも横になる。数時間前の出来事があるからこそ、ヒースはまともにマリーアの顔を見れなかった。きっとしばらくは続くことだろう。
「おやすみ」
自分に背を向けたヒースにマリーアは声を掛ける。返事がないことは分かっていたので、特に気にもせずマリーアは夜空を見上げる。これから朝までは起きていなければならない。その暇つぶしにでも、マリーアは空に浮かび上がる星の数を数え始めていた。
「ん……」
明るい日差しがリュートの開きかけた目に当たる。その眩しさに目を再び閉じて眠ってしまいたくなるが、リュートはそれを思いとどめて身体を起こした。
「っつぅ……!」
まだ動かしても痛みはあるが、起きれないほどではない。痛みに顔を顰めながらもリュートはゆっくりと身体を動かした。そんなリュートを見ていた人物が優しく声を掛ける。
「無理はしないで。もう少し休んでもいいのよ」
「先生……」
身体を起こして初めて周りの状況を見た。マリーアが自分を心配そうに見て、他の三人はまだ近くで眠っている。リュートは少しずつ気を失う前の記憶が戻ってきた。
「俺……生きてたんだ……」
「当たり前じゃない。貴方はまだまだ死なないわ」
「俺たち何でこんなとこにいるんですか……?」
「騎士団は退き上げたわ。私たちは運が良かったのね」
「退き上げたって……何で……?」
リュートは目覚めたばかりで今の状況がよく分からなかった。そんなリュートにゆっくりとマリーアは説明していく。
「分からない……。けどその命令を出したのはきっとシェーンよ」
「シェーンが……」
シェーンの名前を出されてリュートは黙ってしまう。昨日起きた出来事はリュートにとって大きすぎた。そう簡単に整理できることではない。近くにいるヒースを見ると、肩に包帯が少し巻いてあった。それを見たリュートはやりきれない気持ちになる。きっとシェーンが傷つけたものなのだろう。
「何でだ……シェーン……」
「リュート……」
ヒースに聞くことはしなかったが、マリーアの予想通りリュートの傷はシェーンにやられたものだろう。シェーンに何が起きたのかは分からないが、まさか彼女がリュートに剣を向けるとはマリーアも思っていなかった。
マリーアは生徒の中で一番シェーンのことが分からなかった。初めて彼女を見たときは驚いたものだ。鮮やかで美しい銀の髪を持っていたのだから。きっと一目見た者は誰もが男女問わず一度は彼女に見惚れるだろう。マリーアとて例外ではなかった。けれど生徒として接していくたびに、シェーンは不思議な存在だと実感していく。
最初はどんな時でも無表情なシェーンに驚いた。幼馴染だというリュートが言うには昔はそうではなかったらしく、両親が亡くなってから変わってしまったらしい。けれどそんな二人が一緒にいるとこは全然見かけなく、たいていシェーンは一人で過ごしていた。
その強さもかなりのものだ。神の子だからなのかは分からないが、回りの男たちを跳ね除ける強さを見せつける。唯一シェーンに勝つことが出来る相手は同じ神の子であるシューイだけだった。けれどそれが実力なのかはマリーアには判断しかねていた。もしかしたら本当は手を抜いていて、本気を出せば自分をも越える強さなのかもしれない。一度だけライルにも相談したことがあったが、ライルもマリーアとほぼ同じ意見を言っていた。
シェーンが誰かと話しているとこなど滅多に見かけないが、それでも彼女が時折リュートに送る視線だけは違っていた。それを見かけるたびに、やっぱり二人は幼馴染なのだと実感する。二人が親しい様子を見かけることはそんななかったが、それでもお互い大切に想っているのだと思っていた。だからこそ、今回のシェーンの行動がマリーアにも信じられないのだ。
「……これからどうするんですか?」
リュートが顔を上げてマリーアに尋ねてくる。その顔はいまだ苦しそうにしていた。
「サレッタへ行くわ。そこで二、三日休んでから船で魔導領のノルンへ行く予定よ」
ノルンは魔導国家マールにある唯一の港町であり、セリアの実家もそこにあるのだ。
「俺は平気ですよ。こんな傷もすぐに治りますから」
「そんなわけないじゃない。死んでてもおかしくなかったのよ……無理はしないで」
「……はい」
気丈に振舞うリュートはマリーアが見てもつらそうだった。それにリュートだけではなく、ヒースたちにも休息が必要だろう。マリーアはすでに決めていたことなので、これを変える気にはならなかった。
「リュート、サレッタまで歩ける?」
「はい。大丈夫です」
「分かったわ。本当は動かしたくはないんだけど、こんな所じゃゆっくり休めないからね……」
「怪我するのには慣れてますから」
リュートは笑いながら口に出す。そしてゆっくりと立ち上がった。所々で身体が悲鳴を上げるが、それを我慢して顔に出そうとしない。それから少し歩いてみるが、そう簡単にはいかなかった。けれどそれすらも我慢する。
「それじゃぁ、みんなを起こして出発しましょうか」
「死んだのは十人ほどだな。怪我人をいれれば倍以上だ」
ユーベルト平原にいた第三騎士団はすでに全員ローレル砦へと帰還している。夜中には騎士団の犠牲などが、ハルトから詳しく報告されていた。それを聞くたびにシェーンは面倒な気分に襲われる。
望んだことなどないのに、神の子だからと与えられた地位。副団長という立場から、必然的に部下なども把握していなければならない。羨望と嫉妬の視線にもすでに慣れ、無表情にただ自分に与えられた命令をこなしていた。
「シェーン」
「……何だ」
一通り終えた報告の後に、ハルトはシェーンに呼びかける。
「あいつらは…………いや、何でもない」
けれど何かを言おうとしても、それを最後まで口にすることはなかった。ハルトにも何か明確に言いたいことなどなかったのだろう。シェーンはその先を聞こうとはせず、そのままハルトは部屋から出て行った。シェーンもまたハルトが出て行った後に続いて自分も立ち去っていく。
その行き先は砦を出た先にあり、シェーンが踏み込んだのはユーベルト平原だった。月が照らす平原に冷たい風が颯爽と吹いていく。その中をシェーンはゆっくりと進んでいた。行き先はそう遠くもなく、すぐに着くことになる。
「……」
そこは昼にリュートと戦った場所だった。夜のせいで周囲を見渡すことは出来ないけれど、近くに行けば紛れもなく分かる。リュートの血で染まった紅い平原。その一点をただ見つめながら、シェーンはそこに佇んでいた。
恐らくあの傷ではそう簡単に移動は出来ないだろう。きっと今もこの平原のどこかにいるのだとシェーンは確信していた。だからといって今さらリュートを探すことなどはしない。むしろシェーンは出来ることなら二度とリュートに会わないように願っていた。
幼馴染と決別したこの日。
それはメセティア暦242年春の7日。
この日をシェーンは一生忘れることはないだろう。
「……!誰だ!?」
ふと背後に人の気配を感じて、シェーンは振り返った。夜の闇でよく見えなかったが、その人物が一歩一歩近づいてくるのが感じられる。殺気はないけれど、慎重にシェーンはその人物を伺っていた。
「済まない。だがお前に危害を加えるつもりはない」
その丁寧の物言いと声に覚えのないシェーンは、相手が自分の知らない人物だと分かる。そしてその初めて会う人間の容姿が見えるところまで近づくと、シェーンは心の中で驚愕した。
「……銀の髪……!」
自分よりも背が高く、そしてシェーンと同じ美しい銀の髪を持った男だった。その男はシェーンとの間に距離を取って立ち止まる。シェーンはその男の髪を凝視して、何も言えずにいた。
「やはり銀髪だったのか……。この暗い中でも遠目からそうじゃないかと思った。それにしても……」
そこで男は言葉を一旦切る。いまだ信じられないものを見るかのようにしていたシェーンも、その続きを目で促していた。
「近くで見れば、俺よりも綺麗だな。俺の国でも過去こんな綺麗な銀髪は見たことがない……」
それは男にとってはシェーンへの褒め言葉なのだろうが、シェーンにとっては言われなれた言葉であり、それは自分を侮辱する言葉でもあった。
「お前はいったい……」
そこで初めてシェーンは言葉を発した。頭の中はかなり混乱している。
神の子。それは大陸に数人としかいない金と銀の髪を持つ人。それ故に神の子が生まれれば、その存在は大陸中にも広まるものだ。そして今は神の子がたった三人しか確認されていない。それが金の髪を持つ皇帝とシューイ、そして銀の髪を持つシェーンだった。だからこそここにいるはずのない四人目の神の子がいるのはありえないはずなのだ。銀の髪を持って誰にも知られずに生きることなど不可能だった。
「ヴァイスだ」
それは男の名なのだろう。やはり聞いたことがないと思った。
「お前は?」
「……シェーン」
見ず知らずの人間なのに、なぜかシェーンは自分の名前を教えていた。
「驚かせたのか?それなら悪かった。ここに来て最初に会ったのがお前だったから……」
「何……?」
「ところでここは何処だ?」
男の態度にシェーンは疑問が膨らんでいく。先ほどから意味の分からないことを言っていて、この男の正体が何なのか気になっていた。その怪しさからシェーンは思わず口が開いてしまう。
「お前はいったい何者だ?私以外の銀を持つ神の子なんて聞いたことがない!」
「神の子……?何だそれは。俺が何で神から生まれなきゃならない」
その返事はシェーンの頭をさらに深く混乱させていった。