Mystisea

〜想いの果てに〜



四章 覚悟と命


16 ガルドーの変貌








「死ねぇぇっ!」
 ヘレックが剣を振り回し、それをマリーアへ当てようとする。どんな状態になろうとも、ヘレックの腕はなかなかのものだ。その剣捌きも隙がなく、マリーアはなかなか懐へと潜り込めない。ヘレックの剣を何とか避けながら、マリーアは蹴りで相手を牽制していた。そのためにヘレックも迂闊に攻撃してくることはない。
 二人は一定の距離を保ちながら、対峙して睨み合う。昔に何度も手合わせしたこともあり、ヘレックの動きはだいたいは分かっていた。以前よりもその動きがよくなっているは分かるが、それでもそこにマリーアは勝機を見出している。
 先に動いたのはやはりヘレックだった。剣を掲げてマリーアに向かって走り出す。その攻撃をジッと見つめながら、マリーアは攻撃の瞬間を狙って横へと動いて避けた。すぐにヘレックもマリーアを追って再度の攻撃をしかけるが、それすらもマリーアは待ち構えていたかのように避ける。そこですかさずマリーアはそこを狙ってヘレックの身体へと拳を突き出した。
「はぁっ!」
 しかしヘレックも素早い動きでその拳を剣で受け止めた。鉄で出来ている剣にマリーアの拳は直撃したが、マリーアは痛そうな顔もせず次に蹴りを繰り出す。その蹴りが横からヘレックの身体に当たり、その反動でヘレックは後ろへとよろけた。すぐに体勢を整えて、再びマリーアを射殺すように睨み付ける。
「貴様っ!!」
 普通の人ならばその視線を受けただけで、竦み上がってしまうのだろう。けれどマリーアは涼しい顔をして、その視線を受け止めていた。
 今度はマリーアから動き出し、ヘレックへと攻撃を仕掛ける。今度はヘレックもそれに注意を促し、華麗に避けていた。そのまま横から剣でマリーアに攻撃する。マリーアもまたそれを避けて、後ろへと一旦下がった。しかしヘレックが逃さないようにとマリーアを追い詰める。
「くっ……!」
 それはヘレックの得意とする剣技でもあった。あまり力のなかったヘレックは、その高い素早さを活かした攻撃を得意としている。相手に休む暇を与えずに繰り出される攻撃は、見ている側からすれば綺麗の一言だ。しかしそれを受ける側としては、悪魔とも言えるような攻撃に大抵はやられていくものだ。しかしマリーアにとってはそれも熟知している攻撃で、回避する方法も心得ている。
 ヘレックの攻撃をかろうじて避け続けながら、その中で精神を高めだす。そして機を見計らって、掌を前に勢いよく突き出した。するとそこから見えない何かが現れ、それがヘレックの身体へと命中する。それによってヘレックは後方へと吹っ飛んで倒れこんだ。これこそが、<気>を使った格闘家でもあるマリーアの出せる技であった。
 ヘレックは傷ついた身体をゆっくりと立ち上がらせ、マリーアへと視線を向ける。その様子は先ほどとは打って変わって違っていた。
「マリーア……」
「ヘレック!?」
 以前の虚ろな眼もすでになく、はっきりとした表情でマリーアを見ていた。それは正気を取り戻したかのようで、マリーアはそれに安心する。
「俺は……お前に何を……」
 自分がしたことを悟ったのか、血を流すマリーアを見てヘレックは愕然としていた。そんなヘレックにマリーアは優しく言葉を掛ける。
「貴方が何も気に病む必要はないわ。正気を取り戻してくれただけで、それでいいから……」
「俺は……俺は……」
「もう止めましょう、ヘレック。ちゃんと現実と向き合って!アイーダの元から離れて!」
「アイーダの元から……アイーダ……アイーダ……アイーダ…様……」
 アイーダの名を繰り返し呟くヘレックの様子は、見ていて良いものではない。その様子にマリーアは不安が大きく膨らんでいた。そしてそれを的中させるかのように、ヘレックが再び叫びに似た声を上げる。
「俺は……俺は正気だ!お前こそ正気を取り戻したらどうだ!?そうだ……きっとあの悪魔に操られているんだろう?あの悪魔さえいなければ……」
「ヘレック!?」
 それは一瞬だけの幻であった。正気を取り戻したと思ったヘレックは、すぐに先ほどと同じようになる。その口から語られるのはヒースのことなのだろうか。ガルドーの上官であるのだから、ヒースのことが知れ渡っている可能性は大きかった。
「だが残念だったな。その悪魔も今頃死んでるはずだ」
「何ですって……?」
「どんな呪術を使おうが、アイーダ様に勝てるはずもないだろうよ……ハハッ、ハハハッ!!」
 まるで壊れたかのように笑うヘレックを見てマリーアは不気味に思うと共に、その内容に愕然とする。
「アイーダが……アイーダがここに来てるというの!?」
「そうさ!あの悪魔を狙いにわざわざここまで来られたんだ。そうまでしなくても俺がちゃんと連れて行くというのに……」
「嘘……そんな……」
 信じられないように、マリーアは呆然と呟いていた。向こうにはリュートもいるのだ。以前のようにアイーダに突っかかってしまえば、命はないだろう。急に二人の身を案じ、急いでマリーアは引き返そうとした。
「行かせると思うのか?」
「ヘレック!そこを通して!!」
 先ほどとは逆に、今度はヘレックがマリーアの進路を塞ぐように現れる。その先を進めないもどかしさに、マリーアは歯痒い思いを浮かべていた。






 数十人という騎士を相手に、ヒースはほとんど一人で戦っていた。マリーアとヘルムートが戦っている騎士たちに比べればまだ少ない方だが、それでも一人で戦う数ではない。なるべく囲まれないように動きながら、魔法で一斉に相手をなぎ倒していた。
「我が炎の導たちよ!」
 ヒースから放たれる炎は、容赦なく周りの騎士たちを燃やしていく。まだ小さな子供がそんなことをしている光景は、見ていて震え上がるほどに恐ろしいものだった。
 魔法を放った隙を狙い、騎士の一人が後ろからヒースへと攻撃していく。周りが敵だらけのため、そう簡単に避けて動くことなんて出来なかった。痛みを感じながらも、ヒースは自分を攻撃した騎士に短剣を放つ。もう長年使い続けている短剣は、手足のように思うところへと投げられた。一撃で急所へと命中し、一瞬で騎士は絶命する。その様子をヒースは冷めた目で見ていた。
「貴様ぁぁっ!!」
 たった一人に翻弄され続けている状況に怒りを覚え、何人もの騎士たちが激昂してヒースに襲い掛かった。しかしヒースはそれを冷静に対処して、魔法を軽やかに放つ。
「切り裂きの風よ」
 その呟きと共に、ヒースの周りにいた騎士たちが無数の風の刃に切り刻まれていく。誰も騎士たちに触れてはいないのに、その場で踊るように叫び狂っていた。
 すでに多くいた騎士たちの半分以上もヒースは一人で片付けていた。魔法がなければ、きっとすぐにやられていただろう。その迷いのない攻撃は、騎士たちをものともしなかった。
 ヒースが次の相手を見つけようと辺りを見回す。すると視界の隅で何かがキラリと光った。それを確認した直後、勢いよくヒースの足元へと矢が数本も突き刺さる。ヒースはすぐに矢が飛んできた方向を見ると、そこには弓を構えた騎士たちが笑ってヒースを狙っていた。ヒースは次を狙われる前に、急いで倒そうと魔法を放とうとする。しかしそれを防ぐように、また多くの騎士がヒースを取り囲んでくる。
「掲げ、灼熱の炎!」
 弓を持った騎士へと放とうとした魔法を、咄嗟に周りにいる騎士たちに標的を変えた。そうでもしなければ、確実に命を奪われていただろう。その咄嗟の判断もヒースの強さの一つだ。それはもう子供なんかではなく、屈強な騎士たちでもなかなか歯が立たないだろう。
 ヒースを囲むように現れた炎は、騎士たちへと纏わりついていく。その逃れることの出来ない炎を見て、すぐにヒースは弓を持った騎士へと注意を向けた。その判断は正しく、彼らは今にも矢を放とうとしているとこだった。放たれた矢を眼で捉えることなど出来るわけもなく、ヒースは本能的に後ろへと避ける。それと同時に短剣を弓騎士へと投げた。しかしそれは簡単に避けられてしまう。舌打ちをしそうになると、後ろから殺気を感じて咄嗟に今度は前へと転がった。
「っぅ……!」
 肩から血が流れていく感触を味わいながら、ヒースは後ろを振り返る。そこには別の騎士がヒースの血に塗れた剣を持って笑っていた。最初に比べればもうほとんど騎士たちも倒れていったが、まだ何人かの騎士が機会を窺うようにヒースを狙っていたのだ。今ヒースの目の前にいる騎士もその一人だろう。油断していたことに、ヒースは自分を叱咤した。
 容赦をしないように、また後方から矢が飛んでくる。ヒースはそれを感じて避けながらも、まずは目の前にいる騎士を至近距離から短剣を素早く投げて倒した。きっとその騎士は自分が何で倒れたのかも理解していないだろう。それほどまでの早業でもあった。それからヒースはすぐに弓を持った騎士へと構え直し、今度は確実に逃れることの出来ない魔法を放つ。
「大気を震わせる熱風よ。彼の身を熱く焦がせ!」
 騎士たちは周囲に現れた急の熱気に動揺する。何とか逃れようと動き出すが、そう簡単に見逃すはずもなく騎士たちは瞬く間にその場に倒れ込んだ。
 そこで初めて敵の攻撃が止み、改めてヒースは周囲を確認した。その光景は凄いもので、何十人もの騎士がジュデール橋の上に倒れている。まだ数人の騎士が無傷のまま立っていたが、ヒースが彼等を見れば彼等は一様に震え上がってその場にしゃがみ込んでしまう。戦意のない者まで倒すことはせず、ヒースは自分が戦っていた辺りから離れた場所にいる二人に眼を向けた。そこでもちょうど戦いが終わったようだ。思わずその勝者の名をヒースは呟く。
「リュート……」
 リュートの目の前でガルドーが倒れこんだのを見て、ヒースは心の中で安堵していた。しかしその次の状況にヒースは驚愕して眼を見張る。ガルドーが立ち上がり、ヒースのいる場所から見ても分かるほどに、その傷が眼に見える速さで癒えていったのだ。思わずヒースはリュートの元へと駆け寄っていく。
「リュート!」
「ヒース!?」
 リュートは自分を呼ぶ声に、ヒースが無事なことに安堵した。しかしそこで初めて周囲に騎士たちが倒れ伏している状況に気づく。その全てをヒースがやったのだと理解するには、少しの時間が必要だった。リュートは心の中でその事実を嘆く。
「ぐ、ぐぐ、ぐぁぁぁっ!!」
「ガルドー!?」
 その言葉に再びリュートはガルドーに眼を向け、その変化にリュートは信じられないという顔を浮かべる。ガルドーの眼は血走ったように普通じゃなく、傷もすでに完全に癒えていた。さらには口から涎のようなものを垂らし、その姿はまるで童話にある怪物を思わせるほどだ。
「ガ、ガルドー……?」
「うぅぅ、ぐがぁぁっ、りゅ……う…どぉ…!!」
 もはやそれは人間の言葉とは思えなかった。今目の前に起きている状況に訳が分からず、リュートは呆然とガルドーを見続ける。するとガルドーは斧を振り上げ、リュートへと攻撃を開始する。リュートはそれを反射神経で避けきったのだが、その攻撃の素早さに声も出なかった。
「ッ……!?」
 数分前のガルドーでは有り得ないほどの素早い攻撃だった。ちゃんと見極めていないと、絶対に避けきれないだろう。いきなりのガルドーの変化にリュートはどうしたらいいか分からず呆然としていると、その答えを持ってリュートにとって憎き人物がその場に姿を現した。
 まるで初めからそこにいたかのように。