Mystisea

〜想いの果てに〜



四章 覚悟と命


18 神の悪戯








 急激に襲ってきた痛みに耐えながら、何とかリュートは体勢を立て直す。するとすぐにガルドーがこっちに向かってきてるのを察して、受け止めようと剣を構えた。
「ガルドー……」
 以前とは違う巨体に似合わない動きでリュートを狙って斧を振り下ろした。リュートはそれを剣で受け止めるが、その力強い攻撃に耐えきれず体勢を崩してガルドーの攻撃を許してしまう。
「ぅっ……!」
 受け止めて分かったが、変わったのは何も素早さだけではない。その力も人間離れしている程に圧倒的なものだった。
「グルゥゥゥッッ!!」
 段々と声も身体も人間離れしていくのがよく分かった。ガルドーの斧を持つ腕さえも、有り得ないように何か角みたいなものが生えているのだ。その様子を見てリュートは何を言っていいのかさえも分からなかった。
 ガルドーが再びリュートに攻撃を仕掛ける。斧を振りかざしてリュートへと振り下ろした。それを間一髪で避け、リュートは再びガルドーの懐に潜り込んで身体を剣で鮮やかに斬りつける。そしてすぐに後ろへと下がった。
「グォォォ!!」
 痛みがあったのかどうか分からないが、ガルドーは叫び声を上げた。その様子を見守っていると、リュートはまたもや信じられないという顔を浮かべる。最初の時と同じように、たった今出来たはずの傷口が、物凄いスピードで回復していた。もはや人間では有り得ない自然回復に、リュートは深い悲しみに覆われる。
 ガルドーは完全に傷が癒えると、次々とリュートへ攻撃を再開していた。もはや理性はなく、本能で目の前にいるリュートを敵と認識しているのだろう。その事実にもリュートは打ちひしがれていた。
 斧が四方からリュートを狙ってくる。その攻撃を直撃すれば、軽症では済まないだろう。何とかして避けながら、リュートはどうすればいいかを考えていた。まともに攻撃を受けとめたって、防げるわけもないことは実証済みだ。
「ゴロズ……リュウド……ゴロズ!!」
 ガルドーは聞き取れないような声を上げながら、斧を豪快に振り回す。避けれずにそれを剣で受け止めようとしたが、力の限りに横へと吹き飛ばされた。
 直接的な接触はあまりないが、こうやって何度も吹き飛ばされてはたまらない。すでに身体には幾つもの痣が浮かび上がっていることだろう。身体中からも痛みが訴えていた。
「眼を覚ませ!ガルドー!」
 リュートは悲痛の叫び声を上げるが、ガルドーがそれを聞き入れるわけもない。
「グルァァッ!!」
 ガルドーは吹き飛んだリュートを見て、再度素早い動きで突進してくる。リュートに攻撃が当たろうかというとこで、リュートは前へと倒れこんで再びガルドーの懐へと潜り込んだ。そして今度は思いっきりガルドーの腕を狙う。けれどその腕の硬さにリュートは目眩さえしそうになった。それは人間とは思えないほどに、硬化していたのだ。リュートは瞬時にそこで標的を変えて、斧を持つ手に眼をやった。そして剣で斧を弾き飛ばそうとする。するとガルドーの手からは斧が離れ、宙を舞うように飛んでいった。その先はジュデール橋を越え、その下に広がる一面の海へと落ちていく。
「よしっ!」
 リュートは一旦離れ、ガルドーから距離を取って対峙する。きっと斧が無くなったのは大きいだろう。ガルドーは丸腰になりながら、リュートを睨んでいた。斧がなくなったからなのか、ガルドーは怒りに似た咆哮を上げ、リュートへと突進する。リュートは斧が無かったからか、それを剣で受け止めようと構えた。そしてガルドーの拳とリュートの剣がぶつかり合う。けれど斧がなかったとしても、ガルドーの力には何の変わりもなかった。
「くっ……!」
 何とかガルドーの攻撃を耐え凌ごうとするが、結局はリュートの力負けだ。力負けというよりも、ガルドーの力が異常なのだろう。何度目かの吹き飛ばされるのを受けた後、自分が手にしていた剣を見れば、その剣は有り得ないように曲がっていたのだ。恐らくガルドーによるものなのだろう。そこまで質のいい剣ではなかったが、さすがにその事実は驚くべきことだった。リュートは咄嗟にその剣を捨てて、近くで倒れているヒースが倒した騎士から新しい剣を奪う。さすがは騎士団の一員だろうか。その剣はリュートが持っていた剣よりも断然いいものではあった。
「ガルドー……」
 戦い始めてから何度目かも分からないほどの名を呟き、今度はリュートから攻撃を仕掛ける。走り出したリュートを見て、ガルドーは待ち構えるという選択肢はなかったのだろうか。ガルドーもまた走り出して、リュートとぶつかり合う。
 リュートの剣はガルドーの肩を突き刺していた。けれどまた、ガルドーもリュートの肩を突き刺していた。その恐ろしきことは、リュートの肩を突き刺したのはガルドーの爪であること。もはや人間の爪ではない。魔獣が持つような、鋭く尖った爪だった。今誰かがガルドーを見れば、あれが人間だったなどと誰が思うのだろうか。
 その状態のまま二人は何故だか制止していた。お互いの肩から血が流れ続け、どうしてかリュートは剣を退くことが出来ない。そしてガルドーが口を開いた時、リュートはハッとして顔を上げた。
「リュ……ト……」
「ガルドー!?」
 今までとはどこか違う声音にリュートはハッキリとガルドーなのだと確信を抱いた。
「俺……は…何を……」
 二人の体勢は変わらないまま、ガルドーは自分の身体を見下ろした。
 リュートの肩を突き刺している異常な爪。
 両腕や、背中からも生えている角のような形状。
 有り得ないほどに膨れ上がっている身体。
 海に映る自分とは程遠いような顔。
 そして、今までリュートと戦っていたおぼろげな記憶。
「ぅ……ぁ…俺…は……」
「ガルドー!!正気を取り戻したのか!?」
「リュー…ト……か…」
 ガルドーは切れ切れに言葉を繋げる。その様をリュートは痛ましげに見ていた。
「俺は……何て…愚かしいんだ……」
「ガルドー……?」
 それはまるで独り言のようだった。リュートはそれを聞いて、不安が胸中を漂わせる。
「ははっ……こんな力を…使って…勝っても……嬉しく…なん…て……ないのに…な……」
「何…言ってるんだよ……」
「殺…せ……」
「え……?」
 信じられないものを聞くように、呆然とリュートは聞き返した。
「リュ…ト……俺…を……殺せ……」
「な、何冗談言ってるんだよ……。ハハッ、馬鹿だなぁ、お前」
「殺……せ…」
「何か変なのでも食べたんじゃねぇか?ハッ……お前が…そんなこと……言うわけないだろ」
 空笑いを浮かべながら、リュートはやっとのことで声を絞り出した。けれどガルドーは無情にもリュートの言葉を無視して懇願する。
「頼む……殺し…て…くれ……」
 それはガルドーから初めて聞いた言葉だった。その想いを悟った時、リュートはその眼から涙を一筋流す。
「ガルドー……」
「俺…は……もう…元に……戻れ…ない……」
「そんなこと……分かんないだろ……!」
「だか…ら……は…やく……グォ…グォォ……!!」
 次第にガルドーに再び変化が訪れるのがよく分かった。リュートは肩の痛みが増していく。ガルドーの腕を動かしているのだろう。それによって傷口も抉り取られるようだった。
「グル……グルル……グルォォォォ!!!」
 ガルドーはリュートの肩から爪を引き抜き、止めを刺そうと腕を振り上げた。それを察してリュートもまた剣を引き抜いて、後ろへと下がる。その顔は、いまだ涙を流したまま。
 そしてガルドーは逃げたリュートを追うように、爪を光らせて獲物を狙うように走った。リュートはそれを避けてガルドーから距離を取ろうと動く。
 殺せるはずなど、なかった。
「ガルドー!正気を取り戻せ!!」
「グァァッッ!!」
 異常な腕を振り回し、リュートを少しずつ追い詰める。今のガルドーの素早さには、リュートも勝てなかった。だんだんと埋まっていく距離を感じながら、リュートは絶望にも似た感情に囚われる。
「どうして……どうしてこんなことに……!」
 勘違いから始まった、五年にも渡るリュートへの憎悪。全てはそれが原因だとでもいうのだろうか。
 リュートは覚悟を決めたような真剣な表情をして構えだす。そんな顔をして涙を流す姿は、男なのにどこか美しいと思うようなものだった。

 そしてガルドーがリュートを攻撃範囲へと捉えた。すぐに腕を振り上げ、爪をリュートの身体へ突き刺すように狙う。その素早い攻撃を横目で見ながらも、リュートもまた素早い動きでガルドーの懐へと潜り込んだ。ガルドーも渾身の一撃だったのだろう。空振りに終わったのだが、その攻撃によって周囲に大きな砂埃に似た煙が立ち込めた。
「ガルドー……」



 神は人間の味方なんかじゃない。それでも縋ってしまうのは人が弱いからなのだろうか



 その煙が霧散した後に残っていたものは、リュートの剣がガルドーの心臓を深く貫いている姿だった。
 リュートはゆっくりとガルドーから剣を引き抜いて、ガルドーを横たわらせた。するとガルドーはまだ息があったのか、声にもならないような声を上げる。
「……りがと…な」
「……!!」
 リュートはその瞬間、堰が切ったように涙が流れ始めた。どうしてこんなことになってしまったのだろうか。何がいけなかったというのか。それすらも分からないまま。
「ガルドー!!」
 遠くから聞こえてくるその高い女の声を聞いて、ガルドーはそのまま息を引き取る。その姿はいまだ異形にも似たままだけど、最期の顔は幸せそうな安らかな顔だった。
「ぅ…ぅぁ……あぁぁぁぁっっっ!!!!!」
 このやり切れない想いを叫ばずにはいられず、リュートは天に向かって大声を上げた。図らずも、それはジュデール橋の戦いの終了を告げる合図にもなっていた。






 ガルドーが扉の前から去った後も、リュートと同級生の会話は続いていた。
「けど、やっぱガルドーは強かったよ。今回は勝てたけど、次やったら勝てるか分かんないよ」
「確かにそうだよな。いくら動きが遅くても、ガルドーの攻撃喰らったら一発で終わりだっての」
「言えてる。ガルドーの強さは確かにすごいぜ。俺少し尊敬してるもん」
 もし、その後の会話をガルドーが聞いていれば、何かが変わっていたのだろうか。



 誰かが言った

 過去を振り返って違う未来を望んだとしても、未来は変えられやしないと