Mystisea

〜想いの果てに〜



五章 別たれる道


01 謎めいた少女








「マールへ逃げたと……そう言うのか?」
 心の中で怒っているのだろうか。シューイは静かな口調で、言葉を放った。それに対して目の前にいるアイーダは、いつものように妖しげな笑みを浮かべてシューイを見る。シューイはそれを自分のことを見下しているのではないかと感じられた。
「申し訳ありません。あの者たちを助けた愚か者がいましてね」
「愚か者……?」
「はい。ですが今頃は海の底で沈んでいるでしょう」
「……」
 その報告にシューイは眉を顰める。目の前にいる男は堂々と自分が殺したと言ったようなものだ。シューイにはそこまでするべきなのかどうか分からなかった。ただ罪人を捕らえればいいことではないか。けれどその想いを内に止め、発言することはなかった。
「第四騎士団もたかが数人によって半数近くが壊滅です。ですのでこれからは反逆者の捕縛をシューイ様の率いる第二騎士団にお願いしたいのです」
「……それは私を試しているのか?」
 公にしているわけではないが、シューイとセリアとの仲などアルスタール城にいる者であれば周知の事実だ。反逆者の中にセリアが含まれていると知って自分に言うのだろうか。前から思っていたが、シューイはどうしても目の前にいる宰相が好きにはなれなかった。
「そういうわけではありません。これは陛下からのご命令でもあるのですよ」
「父上からの?」
「はい」
「……そうか。ならばその任、私が遂行しよう」
「そうですか。ではお願いしますよ」
 シューイにとって父である皇帝は絶対だ。例えどんな命令であろうと、シューイはそれを聞くしかなかった。例えそこに理不尽さがあったとしてもだ。
「あぁ、そうそう。反逆者の中に魔の子の生き残りがいることは聞いてますね?」
「……聞いている。信じられない話だがな」
「ですが事実です。その子供もちゃんと捕らえて連れてきてくださいね」
「……分かった」
 黒を持つ魔の子。やはり金を持つ神の子であるシューイにとって、その魔の子という存在はどこか無関係とは思えなかった。






 どれくらい走ったのだろうか。足が限界になるまで走り、そして少し休んではまた走り続けた。それを何時間も繰り返したおかげで、もう辺りは夜になりリュートたちは皆疲れ果てて声も出ないほどだ。
 途中で小さなボロ小屋を見つけ、マリーアがその中を勝手に調べ始める。どうやらそこは何年も使われていないようで、小屋の中にはかなりの量の埃が舞う。その小屋の中を簡単に掃除し、今日はここで休むこことなった。
 リュートたちは壁に寄りかかりながら、そのまま腰を下ろしていく。当たり前だがベッドや布団などなく、小屋の中にあった布などを引きちぎってそれを毛布代わりにした。マリーアは四人を見渡すと、誰もが何も喋らず動こうとはしなかった。ジュデール橋での戦いは思った以上に皆の心に翳りを落とした。マリーアもまた同じである。
 みんな疲れ果てていたのだろう。無言だったその場からやがて寝息が次々と聞こえてきた。その寝顔だけは幸せそうで、きっといい夢を見ているのだろう。マリーアはそれを見て自分は間違っているのではないかと思うこともあった。ここ最近、みんなの幸せそうな顔など今のような寝ている時だけだ。
 マリーアは何とかしてリュートたちを救おうと、これまで多くの命を見殺しにしてきた。けれど果たして本当にそれが正しかったのだろうか。ヘルムートなんて自分たちとは最初から無関係だったはずなのに、それでも命を張ってくれた。そうして逃げるたびに、きっとリュートたちは辛い想いを重ねていくのだろう。そうやって辛い旅を続けながら、関係ない人の命を奪ってまで生き抜く必要があるのだろうか。マリーアは最近そう考えるようになってしまった。
 けれど誓ったのだ。ライルだけではない。ヘルムートにも。その犠牲を無駄にはしたくなかった。
「疲れてるのかしら……」
 呟いて、その言葉にマリーアは妙に納得してしまう。きっとそうなのだろう。アルスタール城を離れてから、今日まで一度も休まる日がなかった。一人で神経を張り詰め、リュートたちを守りたいと願う。その想いに偽りなんてないけれど、その中でどこか疲れ果てている自分が見えるのだ。そう思ってマリーアは自分がどれだけ最低な人間なのかを理解する。
「ライル……どうして先に逝ってしまったの……?」
 その呟きに誰も答えてくれるわけがなかった。






 翌朝になれば自然とみんなが起きだしていた。あのリュートでさえも、寝坊することなく早くに起きたのだ。それはきっとこの逃亡生活で身についた体内時計が起こしたのだろう。いつも朝は早くにその場を発っていたからだ。
「問題はどうやってノルンへ行くかね。すでに私たちがマールへ入ったことは帝国にもマールにも知られてるはずよ」
 翌日になっても誰もが昨日の戦いのことを口には出さなかった。ガルドーの名前さえ誰も発することはしない。恐らくレイとセリアもあの場面を見ていたのだろう。昨日から時々痛ましげにリュートへ視線をやることがあった。
「ここがどこかは正確には分かりませんが……少なくとも北から迂回しないとノルンへは行けません」
「どうして?ノルンって確かこの辺りからずっと西の方角だよね?」
 マールでさえだいたいの地理が頭に入っているレイが、セリアの言葉を疑問に思った。北を迂回する必要などないのではないか。そう思ってのことだ。けれどそのレイの疑問に対してマリーアの呟きが答えていた。
「ミストの森……」
「……はい」
 それにセリアも同調する。その声音はどこか震えている響きを感じさせた。
「ミストの森?何なんですか、それ」
「マールの中央南部一帯を占める森よ。その中は常に濃い霧が立ち込めて、森に入った者を惑わすの。そこを素直に通れる者は高い魔力を持っている人だけ。そうでなければそこで死を迎えることも珍しくはない。マールの魔道士だって迂闊に近寄らない場所よ」
「そ、そんな怖い場所だったんですか?」
 レイは名前だけは知っていたのだろう。けれどその実態を聞いて、今にも震え上がりそうだった。
「それじゃそこは通れないってことですか?」
「それはそうよ。魔道師団の高位の人くらいでなければ、あの森は通れないわ」
「けどそこを通れるのなら、ノルンまで何日も短縮になるわ。追っ手だってまさかミストの森を通るなんて思わないでしょうし」
「先生!先生だってあの森の怖さは知っているじゃないですか!」
 マールに住んでいたセリアからすれば、ミストの森を通ることは愚かしい行為に等しいものだ。マリーアの発言に驚き、それを止めようと声を上げた。もちろんマリーアも本気で無事に通れるなどとは思っていない。ただ出来るなら、そこを通りたいと思っただけだった。
「分かってるわ。けれど……」
 その先の言葉をマリーアが紡ごうとした時だった。五人がいる小屋の外から声が聞こえ、そして扉が開いたのだ。
「あの森は人を惑わせる。まともに通れる人なんて滅多にいないわ」
「誰!?」
 小屋の中へと一歩進み出てくる人物に、マリーアが瞬時に警戒を浮かべた。しかしその姿を見て、驚きながら警戒が少しだけ弱まる。
「もう使われていないはずの小屋から声が聞こえて寄ってみれば、ミストの森についてじゃない。悪いことは言わないわ。あそこへ行くのは止めなさい」
 その言葉を言い放つ人物は、まだ年端もいかない少女だった。五人の中で一番低いヒースよりも、さらに低い背をしている。こんな小さな少女がここにいることに、リュートたちは驚いていた。
「貴女はいったい……」
「ただの通りすがりよ」
 マリーアが少女にした質問は、軽く受け流される。どこか余裕を持った少女にマリーアはどうしていいか分からなかった。すると少女はマリーアたちを見回し、その中の一人を見て眼を見張った。
「……その魔力……」
 少女はヒースを凝視して、小さな呟きを発した。それにマリーアたちが疑問を抱いていると、やがて一人納得したように、先ほどとは違う言葉を放つ。
「貴方ほどの魔力を持った人物を見るのは久しぶりだわ。貴方なら或いは……ミストの森を通れるかもしれないわね」
「え!?」
 それにいち早く反応したのはセリアだった。確かにヒースの魔力が高いのはセリアも知っている。けれどそれがミストの森を通れるくらいに高いのかは分からなかった。一目見ただけで簡単にその魔力を知った少女が、セリアはどこか不思議でならない。
「それは本当なの……?」
「絶対ではないわ……多分よ。最もあの森には強い魔獣も徘徊してる。危険に変わりはないわね。マールに住む人間は近づこうともしないわ」
 少女は軽い口調でミストの森の危険性を語った。やはりセリアは森へ行くことには賛成しないだろう。けれどそこを通れるのなら恐らく誰にも見つからずノルンへ辿り着けるはずだ。マリーアは考えあぐねていると、それを後押しするようにリュートが口を開く。
「先生、行ってみましょうよ!」
「リュート!あなたちゃんと話を聞いてたの!?ミストの森は危険なのよ!」
「けどヒースがいれば大丈夫なんだろ?だったら問題ないじゃないか」
「リュート!」
 セリアはそれに猛反対する。レイも口には出さないが、セリアの意見に頷いていた。二人に押されるリュートだったが、それを庇うようにマリーアもリュートに同調する。
「私もミストの森を通るのには賛成よ」
「先生……!!」
「よく考えて、セリア。確かにミストの森を通れば死ぬ危険だってある。けれど私たちにとっては迂回したとしても同じなはずよ」
「そ、それは……」
 少女が近くにいることから直接的な言葉を出しはしなかったが、セリアにはそれで通じたはずだ。押し黙り、俯いてしまう。
「本当に行くの?死ぬかもしれないのよ?その子を見失うだけで、ずっと森の中を彷徨うことになるのよ?」
 少女はマリーアの覚悟を試すかのようだった。けれどマリーアの考えは揺らぐことはない。渋々ではあるが、セリアたちもそれに同意した。もちろんヒースも異論を唱えるわけがない。
 リュートたちはすぐにでも小屋を後にし、ミストの森を目指し歩き始めた。その後ろ姿を見て、少女はどこか面白そうな顔をする。
「あれが……あいつが命を賭けてまで救った者たちか……」