Mystisea
〜想いの果てに〜
五章 別たれる道
02 ミストの森
「この先がミストの森……」
目の前から溢れる禍々しい気を受けながら、リュートは濃い霧が漂う森を見詰めていた。明らかに危険だと分かるその森からは、時折怪しげな唸り声も聞こえてくる。リュートの隣にいるレイは怖がって震えていた。リュートでさえも、武者震いをするほどだ。けれどその先を進むことをなぜだか怖いとは思わなかった。
「分かってると思うけど絶対に逸れないで。全員が常にヒースを確認するのよ」
「はい」
逸れれば森を抜けるのは果てしなく困難になるだろう。この霧もまた人を惑わせる原因にならない。セリアが冷や汗を掻きながらマリーアの言葉に頷いた。そして最後に五人がみんなの顔を見回しながら無言で頷き合い、ヒースを先頭にしてそのすぐ後ろを四人がついて歩き出す。
「うわっ!」
リュートはミストの森に足を踏み入れた瞬間、思わず声を上げてしまった。森に入るとすぐに五人の周りを濃い霧が流れてきたのだ。それは瞬く間にリュートたちの視界を狭め、数歩歩いて後ろを見ればすでに入り口は見えていなかった。
「思った以上ね……。もう後戻りは出来ないわ」
マリーアも予想以上の霧の濃さに不安になりながらも、ヒースを視界から外さないように前を見ていた。みんながそうしている中、ヒースだけはいつもと歩みも変わらずに、ただ黙って歩き続けている。その様子にリュートは疑問に思い、ヒースへと声を掛けた。
「ヒース、お前普通に歩いてるけど前が見えるのか?」
リュートたちはみな前が見えずに恐る恐るといった感じで歩くので、ヒースの後に着いていくので精一杯だった。けれどヒースは淡々と歩を進める。リュートたちに少し合わせて遅くはしているだろうが、それでもリュートたちにとっては早いほうだ。
「いや、前は霧で見えはしない。ただ、どこへ進めばいいかは何となく分かる」
「何となくって……」
その答えに意味が分からないという顔をしながらリュートはヒースを見ていた。けれどそれをフォローするようにセリアが横から口を出す。
「きっとそれが魔力の高いヒースが感じるものなのよ。私たちだけだったら多分どこを歩いても迷うだけだわ」
その答えにリュートもまた何となく理解した。もともと魔力が全くないリュートとしては、そこら辺のことは意味がよく分かっていない。ほとんど耳から通り抜けているといってもいいだろう。
「それだけヒースの魔力は凄いんだな!」
まるで自分のことのようにリュートはそれを嬉しがった。このミストの森を抜けれるほどの魔力を持つことがどれだけの意味をするかは分からなかったが、ただリュートはそれが純粋に嬉しかったのだ。その中でセリアが思っていた一つの疑問をぶつける。
「でも……どうしてあの子はヒースの魔力の高さがすぐに分かったのかしら。そんなことが分かる人なんて滅多にいないと思うのだけど……」
今朝、突然現れた少女のことをセリアは片隅から消すことは出来なかった。それについてはマリーアも少なからず思うところはある。
「確かにちょっと妙な子だったわね……」
「そうですか?俺にはよく分からなかったですけど」
「僕もそこまでは……」
セリアとマリーアとは対照的に、リュートとレイは特に疑問を感じてはいなかったようだ。しかしそれはしょうがないことなのだろう。
「それに……」
「……?どうしたの、セリア?」
少し口籠っているセリアを気に掛け、レイが優しく聞いた。それによりセリアもゆっくりと不確かな気持ちで口を開く。
「それに……あの子どこかで見た気がするの……」
それがセリアにとって一番の疑問点だった。なぜだか記憶の片隅に先ほど会った少女が引っかかっているのだ。
「そりゃ、セリアはこの国に住んでたんだから会ったことあってもおかしくないんじゃないか?」
「違うわ。士官学校に入ってからは年に数回しかここへ帰ってきてないもの。その時にはあの子を見た覚えなんて全然ないし……そう、もっと小さい頃だったような……」
思い出せそうで、全然思い出せない。セリアはそんなもどかしい気持ちになっていた。けれどリュートはセリアの言葉を軽い口調で否定する。
「何言ってんだよ、そんなわけないだろ。セリアが子供の頃って言ったらあの子は生まれてるかどうかも怪しいだろ」
「それはそうなんだけど……」
だからこそ、どこか腑に落ちない。けれど考えてもその答えは出てくる気配は微塵も感じられなかった。考えすぎもどうかと思い、マリーアもその話題を一度止めさせることにする。
「まぁいいじゃない。確かに怪しいとこもあったけど、敵意は感じられなかったわ」
「はい……」
セリアもこれ以上は無駄だと感じたのだろう。素直に考えるのを止め、思考を別のことへと移していった。リュートもすでにレイと何かの話題で盛り上がっている。そしてマリーアは自分で止めさせておいて、その少女へ一つの考えが思い浮かんでいた。
(まさかあの少女が……)
それはあまりにも信じ難いことでもあった。
ミストの森に足を踏み入れてから一時間ほどが経ったころだろうか。ただ森を歩いているだけだというのに、この霧のせいなのか、体力の消耗は山を登る時よりも大きかった。相変わらず五人はほとんど間隔を空けずに歩いているので、そのせいで少し暑苦しい部分もあるのだろう。だからといって安易に距離を取るわけにもいかなかった。
「……!」
その途中、突然先頭を歩いていたヒースが立ち止まった。それに続いて他の四人も立ち止まり、突然止まったヒースを訝しげに見る。その視線に対してヒースは言葉一つで返す。
「魔獣の気配だ」
「なんだって!?」
「こんなとこで襲われるの……?」
周囲を見渡せないことから、五人の中に緊張が訪れていく。ヒースはすでに魔獣が自分たちを察知していることを理解した。それをみんなにも急いで伝え、いつでも迎撃出来るように準備を整えていく。
「……来る!」
そのヒースの一言にリュートたちは身構える。そして五人の前に現れたものは――
「<レイブン>!?」
「これが<レイブン>……?」
目の前にいる魔獣を見てリュートは不自然さを感じていた。明らかにこの森に生えている樹の一つにしか見えない。けれどその樹が独立して動いていて、根が足となり、蔓が手として動いている。樹の表面からは怪しい眼が光り、それは完全にリュートたちを獲物として狙っていた。
「特殊な環境化でしか発生しない魔獣、<レイブン>。まさか眼にかかる日が来るなんてね……」
このミストの森だからこそ、発生した非常に珍しい魔獣だった。マリーアですら実際にその眼にしたのは今が初めてだ。
「油断しないで。どんな攻撃をしてくるか分からないわ」
「はい!」
そのリュートが返事をすると同時に、<レイブン>が動きを見せた。手ともいえる蔓を突然伸ばし、それはリュートへと軽く打ちつけていた。
「うわっ!!」
「リュート!」
その素早い攻撃をリュートは許してしまい、身体に強烈な痛みが走る。すぐにセリアがそれを治療し、痛みを和らげた。
「この……!」
リュートも負けずに反撃へと出て行く。走り出し、<レイブン>へと剣で思いっきり斬りつけた。しかしリュートの攻撃はまるで効いてはおらず、その身体ともいえる樹は鉄で出来ているような硬さであった。
「何だよこの硬さ……」
「僕も手伝うよ!」
見かねたレイも剣を構えて<レイブン>へと攻撃していく。しかしやはりリュートと同じように、その硬さに驚いていた。それでも攻撃を止めることはせず、二人は次々と同じ箇所へと攻撃を仕掛けていく。しかし敵もそれを阻むように、身体を動かして二人を引き離そうとする。
「させるか!」
リュートは蔓に注意を払いながら、その動きを邪魔するように動いた。レイと挟み撃ちにして、まずは逃げ場を失くしていく。そこで一旦動きを止めた<レイブン>にすかさずマリーアが拳を叩き込んだ。しかしその攻撃でさえも、あまり効果は見られていなかった。
「まったく……これは結構辛いわね」
いったいどんな風に出来ているのか疑わしいものだ。自慢の拳でさえあまり効いているようには見えず、マリーアは小さく呟いていた。けれどそんな三人を助けるように、今度は後ろからヒースとセリアが共に魔法を放つ。
「閃光の刃よ!」
「炎の矢よ!」
二人から放たれた光と炎は一直線に敵の身体へと命中していった。そしてそれは狙い通りに<レイブン>に効果があったようで、見ても分かるほどにダメージを受けている。<レイブン>は自分の身体が貫かれ、そして燃えていくのを見て、今度は急に暴れだした。何本もの蔓を周囲に飛び散らしていく。それをリュートは必死に避けながら、その何本かのうちの二本がヒースとセリアがいる方向へ向かっていくのが見えた。
「危ない!」
危険を察知してリュートが叫びを上げる。二人もそれには気づいていたようで、その攻撃に眼を見張っていた。ヒースはそれを当たりそうな瞬間に見極めて避けるが、セリアはその素早い攻撃を避けることは出来なかった。セリアへと伸びた蔓は瞬く間にセリアの身体へと絡ませて巻き上げる。それを見たヒースも危険を察知して蔓からセリアを解こうと、その蔓へと手を伸ばす。
「ヒース!セリア!」
その場に空しくリュートの叫び声が散った。今しがた起きた出来事に、レイもマリーアも信じられない表情で呆然とする。
ヒースが蔓へと手を伸ばし、そしてセリアの身体を掴んだ瞬間、<レイブン>は勢いよくその蔓を上空へと上げたのだ。それにより蔓に絡まっていたセリアとそれを掴んでいたヒースも上空へと上がり、そしてそのまま放り投げだされていた。
二人はその反動で蔓から逃れることができたが、今いる場所から遠く離れた所へと飛んでいってしまった。
「そんな……」
マリーアはその事実に呆然と、そして驚愕を露にする。近くで未だ燃えながら暴れている<レイブン>を横目に見ながら、マリーアの頭の中はある言葉が反芻していた。
その子を見失うだけで、ずっと森の中を彷徨うことになるのよ?