Mystisea

〜想いの果てに〜



五章 別たれる道


05 理解出来ぬ心








「セリア……!」
 リンダが倒れそうになるセリアの身体を抱え、その名を叫んだ。ヒースも心の中で焦りを浮かべながら、その傍へと急いで駆けつける。
「どうして……どうして私を庇ったの!」
 セリアは声も出ないほどに傷つき、今にも気を失いそうだった。先ほど何が起こったかというと、ヒースがリンダを狙って放った大きな炎から、セリアがその身を以って庇っただけだ。恐らくあれがリンダに当たれば死んでいたかもしれない。死ななかったとしても、重傷は免れなかっただろう。それを瞬時に判断して、セリアは身体が勝手に動いていたのだ。もともと魔道士でもあるセリアは魔法の耐性が少なからずある。だからこそ死ぬまでには至らなかったが、それでも先ほどから傷を負っていたため重傷を負ってしまった。
「セリア!」
 ヒースも傍へと辿り着き、セリアの様子を覗き込んだ。そんなヒースをリンダは睨みつけようとしたが、自分にそんな資格などないことを理解していた。もともと自分を狙ったものなのだ。ヒースが悪いわけでもなかった。いくら魔の子だとしても、全てをそのせいにすることはリンダもしない。
「……だ、大丈夫……」
 何とか声を絞り出して、それだけの言葉をセリアは紡いだ。けれどその後すぐにその眼を閉じて気を失ってしまう。一瞬死んだのかと思い、リンダは驚いたがそうではなく少しだけ安心する。
「……」
 気絶したセリアをその眼に移しながら、リンダは自分の腕に抱えていたセリアをヒースへと無言で託した。そしてそのまま立ち上がり、先ほどまで一緒だった騎士たちに眼を向ける。しかしその全員がヒースによってやられていた。ヒースは警戒してリンダを見たため、リンダもヒースに眼を向けた時、二人の視線が無言で交わされる。やがてリンダは徐に口を開いた。
「セリアのこと……死なせないで」
「……どこへ行くつもりだ」
 リンダがそれだけを口にしてヒースに背を向けて歩き出したので、その背中にヒースは声をかけた。それにリンダは振り向きもせずに答える。
「退くのよ。これ以上ここにいても意味がないわ」
「逃げるのか?」
「……殺したいなら好きにすればいいじゃない」
 けれどリンダに殺される気がないことは、その後ろを警戒する姿から一目瞭然だった。ヒースとしても逃げる相手まで、いちいち止めを刺す気にもならない。すでにリンダから眼を離し、セリアへと向けた。その身体は矢が至る所に貫通し、そして火傷と見える傷も大きくある。ヒースはそれを見て自分のしたことに後悔しながら、何とかその傷を治そうと努力した。






 ミストの森は空高くまで生い茂る木々と周囲の視界を奪う霧によって陽の光が当たることはない。そのため一日中暗い天気となるために、時間感覚さえも狂ってしまう。ミストの森に迷い続ければ、そこに入ってから何日経ったのかさえも分からずに死んでしまう人も少なくは無いのだ。
 ヒースはこれまで生き続けた中で学んだ応急処置を、一晩に渡ってセリアに施していた。ミストの森に入ってからの時間を体内時計で数えれば恐らくすでに夜になっているのだろう。身体も先ほどから少しずつ眠気を訴えていた。それでもヒースはあれからずっと動かずにセリアの傍にいたのだ。リュートたちと合流する前に、まずはセリアの治療が最優先でもあった。
 幸いにもここは森の中であり、ヒースが求めていた薬草なども豊富に生えていた。さらには見たことのない新種の草花なども発見したものだ。恐らくはここの環境がそうしたのであろう。ヒースはそれらを自分で調合してセリアに使っていった。昔から人に襲われるたびに、こうやって増えた傷を治していたのだ。もはや慣れた手つきで鮮やかにその手を動かしていた。次第にセリアの顔色も心なしか良くなっている。
 そして治療を始めてから何時間も経ったくらいに、ようやくセリアに意識が戻り始めた。
「んん……」
 セリアはゆっくりと眼を開けていく。するとヒースの心配そうな顔が現れ、一瞬悲鳴を上げそうにもなっていた。しかしすぐにそれを押し止め、セリアはゆっくりと起き上がろうとする。
「大丈夫か?」
 痛みを感じながら起き上がるセリアに、ヒースがこれまでにない優しい声音で声を掛けた。その身体に走る痛さとヒースの様子で、セリアは自分があれから気絶していたことをすぐに理解する。
「大丈夫よ……」
 まだ少し切れ切れな声を出しながら、ヒースを安心させようと口を開いた。そして当たり前だが、ここにいない人物が気がかりになる。
「……リンダは?」
「……あの後にすぐ退いた」
「そう……」
 それは良いことなのだろうが、セリアはどこか複雑な気分でもあった。けれどリンダが死ななかったことだけには、心の中でホッとする。
「……悪かった」
「え……?」
「……あんたに当てるつもりはなかったんだ」
 セリアの顔をまともに見れず、ヒースは横を向いてそれだけを口にした。それに対してセリアも慌てて言葉を出す。
「違うわ!あれは私が勝手にリンダを庇ったことだから、ヒースのせいなんかじゃない」
 それは分かっていたのだが、やはりヒースはどこか割り切れなかった。そもそもどうしてセリアがリンダを庇ったのかもヒースにとっては理解できないことだ。
「何で……何で庇ったんだ……?」
「……それは……死んで欲しくないって思ったから」
「だが、あいつは敵じゃないか。あいつだってあんたを殺そうとしていた」
「それはそうかもしれないけど……それでも私はリンダに死んで欲しくなかったの」
「……」
「昔からある理由があって会えば口喧嘩ばっかりしてたけど、でもやっぱり憎めなかったわ。友達とはちょっと違うのかもしれないけど……少なくとも私にとってリンダは大切な存在だったから。そんな人が目の前で死ぬかもしれないって分かった時、例え敵だとしても助けたくなるでしょ?」
 セリアの言葉は人として当然のことなのかもしれない。けれどヒースにとっては、全く理解出来ないことであった。自分を殺そうとする敵を庇うなど、到底有り得ないことなのだ。そもそもヒースには自分の身を犠牲にしてまで庇いたいという大切な存在すらいない。
「俺には……分からない」
「ヒース……」
 セリアは人よりも、人が傷つくことを好まない。ヒースは人よりも、人が傷つくことを厭わない。一見極端な二人に見えるかもしれないが、セリアにはすでに分かっていた。根本的なところでは、ヒースも心優しい人間なのだと。ただその生い立ちがそれを捻じ曲げてしまっただけなのだ。魔の子が忌み嫌われる存在にしたこの世界を、どうしようもなく理不尽だとセリアは感じた。
「……手当てをしてくれてありがとね、ヒース」
「別に……」
「後は自分で治せるわ。ヒースはもう休んで」
「だが……」
「いいから。休んだらまたリュートたちを探しに行きましょ」
「……分かった」
 渋々といった感じながらも、ヒースはそれに承諾した。自分が治療するよりも、セリアが魔法で治していくほうが遥かに効率がいいことが分かっていたからでもある。
「おやすみなさい、ヒース」
「……」
 そのセリアの言葉に返事することもなく、ヒースは横になった。よっぽど疲れていたのだろうか。横になってから数分としないうちに、小さな寝息がセリアのもとに聞こえてきた。それを聞いたセリアは自分の傷を回復しながら、ヒースの寝顔を見て微笑んでいた。






 どれくらいの時間を歩いていただろうか。もはや何日も歩き続けているのではないかと錯覚さえ起こりそうにもなる。大して傷を負ってはいなかったから良かったものの、もし大きな傷を負っていたならば恐らく倒れこんで魔獣の餌になっていただろう。この視界と方向感覚を遮るミストの森に、二度と入ることはないと心の中で誓った。最も無事にここを出れたらの話である。
 リンダは歩き続けるのに疲れ、もはや先ほどから襲ってくる魔獣に一発で殺されてしまおうかなどという考えさえ過ぎってしまう。しかしそれも一瞬だけで、すぐにセリアが救ってくれた命をここで失うわけにいかないという思いが強く現れた。
「ハァ……ハァ……」
 息も荒くなりながら、目的もなく歩き続けている自分が滑稽でもあった。だんだんと思考も危ぶんでいるのを感じ、リンダは立ち止まって少しの休憩を取ろうとその場に腰を降ろそうとする。すると近くの方向から何かの気配を感じた。リンダはそれに警戒しながら身構えていると、その霧からは今最も会いたい人物が現れる。
「リンダ!?」
 シューイはリンダを見つけてその様子に驚愕の表情を浮かべながら、すぐさま駆け寄った。シューイの後ろからは続々と帝国騎士たちが現れてくる。その中には魔導師団と思わしき魔道士も数人いるようだった。
「おい、大丈夫か!」
「シューイ様……?」
 一瞬幻覚を見たのかとも思ってしまったが、その声と存在にリンダは助かったのだと大きく安堵した。傍に駆けつけた魔道師団の回復魔道士がリンダの様子を念入りに見ていく。しかし大して異常が感じられなかったことにホッとしていた。
「少しの傷はありますが、ほとんどは疲労から来るものです。一晩休めば心配はないでしょう」
「そうか……。ならば今日は纏まってここで休もう」
 シューイもそれに安堵し、やっと気が少し楽になった。ミストの森に入ってからすぐに逸れてしまったリンダの部隊を心配していたのだ。会話をする分には問題ないようなので、シューイはリンダへといろいろ尋ねていた。
「今までどこにいたんだ。ずっと探し回ってたんだぞ。それに他の騎士たちは……」
「申し訳ありません、シューイ様……。気づいた時には逸れてしまって……それにすぐに魔獣にも大勢襲われて他の騎士たちはみんな……」
「……そうか」
 人の死の報せを聞くのはいつまでたっても慣れることではない。シューイは悲しみを浮かべながらも、まずはリンダが無事であったことに喜びも浮かべていた。リンダもまたセリアと出会ったことをなぜか話そうとはせず、嘘をついたことに罪悪感を感じる。
「シューイ様……」
「何だ?」
 リンダは周りに誰もいないことを確認して、小さな声でシューイに懇願するような形で尋ねる。
「私たちは……本当にセリアたちを捕らえなければいけないのですか?」
「……っ!」
 いきなりの質問にシューイも動揺を露にしていた。リンダはシューイがこの任務を進んでやっているのではないことなど分かりきっていたが、それでも聞かずにはいられなかったのだ。
「ここで引き返して見逃すことだって出来るはずです!」
「そうはいかない!これは皇帝である父上からの命でもあるのだ。それを俺が聞かないわけにはいかない……」
「しかし!シューイ様は本当にセリアたちが国家反逆罪に足る罪を犯したと思っているのですか!?」
「リンダ!それ以上は言うな……。言えば例えお前でも、俺は許すことは出来ない……」
「……シューイ様……」
 リンダのもとから去っていくシューイの後姿をその眼に映しながら、リンダはこれから起こることを予想して居た堪れない気持ちになった。