Mystisea

〜想いの果てに〜



五章 別たれる道


08 突然の別離








 ノルンから出航した大きな船が、サレッタに向けて海を渡っていた。その船上にいるものは屈強な帝国騎士と、縄で縛られ捕まった反逆者。その場に会話もなく、異様な沈黙が訪れていた。
 その場に赤い髪をした女の帝国騎士がやってくる。その表情は決して晴れやかなものでなく、陰りを落としていた。
「シューイ様……順調に進んでいます。直にサレッタへと着くかと……」
「……そうか」
 眩しい金色の髪を携えて、シューイは船上から遥か彼方の水平線を見つめていた。すぐ近くにいる反逆者たちに眼を向けることなど出来ないのだ。けれどリンダの報告を聞いて、彼らの反応を見ようとシューイは反逆者へと視線を向ける。ほとんどが暗い表情をして黙りきっていた。しかしその中で会ってからずっと無表情である人物と眼が合う。それは漆黒の髪と瞳を持つ魔の子だった。自分とは対に位置する人間だ。
「……」
 お互いに視線を交わし、居心地の悪くなったシューイが先に逸らした。自分が神の子と呼ばれることを嫌がるために、シューイもまたヒースが魔の子だからといって死ぬべきではないと思っている。その罪悪感からか、どうも相手を直視出来ないでいた。
「僕たち……死ぬの?」
 その沈黙の中でふとレイがその呟きを言葉にした。その瞬間、リュートたちもシューイもリンダも、眼に見えるほどに動揺を露にする。
「……そうはさせない。俺からも父上に進言する」
「本当に……?」
 レイは不安そうに何かに縋ろうとしていた。死にたいなんて、誰も思ってないのだ。けれどその希望もマリーアが軽く打ち砕く。
「無理です」
「何……?」
「シューイ様の言葉はもう陛下には届かないわ……」
「……そんなの分からないだろう!」
 本当は心の中で感じていたことだった。最近の父は自分の言葉を何一つ聞いてはくれないし、何一つ答えてもくれないのだ。けれど、シューイはそれでも父親を信じている。全てを知る人から見れば、それは余りにも哀れな姿であった。
「……シューイ様……本当にいいのですか?」
「何度も聞かないでくれ」
 リンダもまた何度もシューイに確認するように尋ねた。シューイの返答は毎回違っていたが、その意味はどれも同じことだ。決して自分の心を曲げようとはしない。
 その時、今まで静かに動いていた船が突然轟音と共に大きく揺れ始めた。
「な、何事だ!」
「見てきます!」
 急に騒がしくなり始め、突然のことにシューイも動揺していた。リンダが真っ先に何が起こったのかを確認しに走り出す。シューイはリュートたちを傍に置きながら、辺りに注意を払った。
「シューイ!空だ!」
「……!!」
 リュートの声にシューイが上を見ると、そこには<ピス>が何体も獲物を狙うように飛んでいた。船内はたちまち慌て出し、シューイのもとに帝国騎士たちが何人も駆けつける。やがて<ピス>が下降して騎士たちに襲い掛かった。それに応戦しながらも、シューイは素早く状況を理解しようとする。
「シューイ様!」
 そこにリンダが嫌な報告を持って戻ってきた。
「<ピス>と<フィーバ>の群れが!」
「やはりか……!すぐに全員で殲滅に当たれ!」
 空から<ピス>がやってくると同時に、海からは魚の姿をした<フィーバ>という魔獣が襲ってきた。恐らくはその群れが船に体当たりしたのが、先ほどの揺れの原因だろう。ないとは思うが、もし船に穴が開いては大変なことになる。シューイは騎士団全員を動因して、その殲滅に当たらせた。
「シューイ!俺たちの縄を切ってくれ!」
「何を……出来るはずがないだろ!」
「けど俺たちだって戦えるんだ!」
 突然リュートの放つ言葉にシューイは迷いを見せた。ここは海の上であって、例え縄を切ったとしても逃げられるはずがない。しかしそれをするのはやはり躊躇われた。
「……駄目だ」
「シューイ!」
 そうしてシューイはリュートに背を見せて、自分も魔獣の討伐にかかった。リュートはシューイの背に訴えるが、それをシューイが聞くことはない。
「……縄を解きたいのか?」
 ふとヒースが船に乗ってから初めて口を開いた。リュートはそれにいち早く反応する。
「ヒース……?」
「俺の魔法ならこれくらい簡単に解ける」
「ほ、本当か!?」
 その言葉にリュートだけでなく、他のみんなも驚いていた。
「でも解いてどうする気なの?ここは海の上よ。逃げるなんて……」
「そうじゃありません。俺はただ……魔獣に襲われてるのに何も出来ないのが嫌なんです」
「リュート……」
 どこまで純粋なのだろうか。マリーアは逃げることだけを考えていたが、リュートはそんなこと微塵も考えてなどいなかった。
「言っておくが後のことは知らないからな」
「分かってる」
「……少し熱いけど我慢しろ」
 そうしてヒースは身体を動かして、縛られてる手をリュートの縄へ当てた。
「炎よ」
 その詠唱と共にリュートの縄がたちまち小さくだが燃えていく。リュートはその熱さを何とか耐え抜き、縄がなくなり自由になった感じがした。すでに身体を麻痺させた薬の効果は切れているようだ。後は剣さえあれば戦えるのだが、今はシューイに没収されて持ってはいない。
「リュート、私たちの縄も切ってちょうだい」
「あ、はい……けど刃物が……」
「俺の懐に短剣が入ってる」
 そしてリュートはヒースの懐から短剣を取り出し、全員の縄を切り始めた。みんな自由になると、今度はリュートが武器を探し出す。手近に落ちていないかと淡い期待を持って探すと、そこへシューイがリュートたちに気づきやってきた。
「お前たち!どうやって!」
「シューイ……」
 いきなり自由になっていたリュートたちに、シューイは驚きを隠せない。どうやったかなど知るわけもないのだ。
「シューイ、剣を貸してくれ。俺たちも戦うから……」
「駄目だと言ったはずだ。どうやって抜けたのか知らないが……くっ!」
 すると再び船に大きな揺れが訪れた。いまだ魔獣は殲滅しきれずにいるようだ。<フィーバ>は大して力を持ってはいない。それでもこの大きな船がここまで揺れることは、それほどの数がいるということだ。
「シューイ!」
「駄目なものは駄目だ!お前たちは船内にいろ!」
 話すことはないというようにシューイはリュートとの会話を終えようとした。リュートはそれでも納得しきれない。何度もシューイに頼もうとするが、その時今までよりももっと大きな揺れが訪れた。余りにも大きい揺れのために、リュートたちはみなバランスを崩して膝と手を床に着ける。異常なまでの揺れに不安が胸中を漂い、シューイは船側に駆け寄り前方を見やった。その後をリュートもまた続いていく。
「あれは……!!」
「<アニラス>!!」
 それは巨大な魚をした魔獣であり、その体長はこの大きな船にもそうそう劣りはしない。<アニラス>が何度も船に体当たりをすれば、船が壊れることは分かりきっていた。ほとんどの騎士がすぐにでも<アニラス>の討伐に動き出す。
「俺たちも戦おう!」
「……リュート……」
 シューイもまたリュートの情熱に押され、この状況もあって戦闘を許そうとしていた。しかしすぐに悲劇はその場に訪れる。<アニラス>が再び船へと体当たりしたのだ。船はそれによって大きく揺れ、さらには海から波が船の上へと押し寄せてきた。
「うぉっっ!」
 リュートは波に流され、船上へと転げていき、シューイはしっかりと船に掴みかかり、持ちこたえていた。しかし問題は二人の方ではない。その大きな波は船上全てを流すかのような大きな規模だった。もはやそれは津波といってもいいくらいだ。リュートが心配してみんなの方向を見たときには、全てがもう遅かった。
「ヒース!!!」
 その大きな波は小さなヒースの身体をいとも簡単に流していく。気づいた時には船から放り出されるように、海の上を飛んでいた。続いてその場に響く、海へと落ちた証の音。それを見ていたマリーアも青褪めた顔をする。その手には近くにいたレイとセリアを離さないように掴んでいた。
「ヒース!!」
 リュートもまた気づいた時には身体が動いていた。一直線にヒースが落ちた船側の方に走り出す。その途中マリーアたちの側を通った時、レイがリュートの身体を押さえ込んだ。
「リュート、どうする気なの!?もう無理だよ!」
「離せ!!」
「……!?」
 自分の身体を押さえるレイにリュートは苛立ちを隠せずに突き飛ばそうとする。その時またもや船が揺れ、波が大きく押し寄せてきた。
「うわぁっっ!」
「レイ!!」
 その波が今度はレイの身体をも船の外へと流していく。何とか踏ん張ったリュートがそれを眼にした時にはもう遅かった。その名を叫ぶが、レイもまたヒースと同じように海へと無惨に落ちていく。
「くそぉっ!!」
 リュートは船側に急いで駆け寄り、そこから海を見下ろした。そこには何とか無事にヒースとレイの姿が見えたが、その近くには<フィーバ>二人を狙って寄ってきているのが見える。
「ヒース!レイ!」
 しかし二人は魔獣の接近には気づかず、何とか溺れないように海の中でもがいていた。それを見たときにはリュートの身体も動き出す。
「リュート!無茶よ!」
 それを察知したセリアがすかさずリュートを制止しようとするが、リュートはそれすらも耳にいれなかった。その間にも<フィーバ>は二人に近寄っていき、そして波によってレイとヒースの距離がかなり開いていく。
「……どうすれば」
 頭の中を迷いが掠めてリュートの動きを鈍らせる。その時後ろから頼りになる声が聞こえてきた。
「リュートはヒースを!レイは私に任せて!」
「先生!!」
 マリーアはそれだけをリュートに言い残し、リュートよりも先にその海へと自ら飛び込んだ。そしてレイに向かっていくマリーアを見たリュートも、ヒースのもとへと自ら飛び込んでいく。
「先生!!リュート!!」
 一人取り残されたセリアが叫ぶが、返事はもちろん返ってはこない。不安になりセリアもまた船側へと走り、そこから海の下を覗く。
「止めろ!お前まで落ちる気か!?」
「けど!みんなが!!」
 今にも後を追いかけそうなセリアをシューイが力ずくで止めた。それにセリアは抗うが、シューイに敵うはずもない。その間にも先ほど見えていた四人の姿が、波に流されてすでに見えなくなっていた。その海をセリアが見つめ、やがて船上に響く叫び声を上げる。
「嫌ぁぁっっっっ――――――!!」