Mystisea
〜想いの果てに〜
六章 為すべきこと
02 見知らぬ地で
額に冷んやりとする何かを感じ、それをきっかけにリュートはゆっくりと眼を開いていく。
「ん……」
そのかすかに漏れた声に、リュートと同じ部屋にいた少女は瞬時に気づいた。急いで駆け寄り、その小さな身体でリュートを心配そうに見下ろす。
「リュートお兄ちゃん!大丈夫!?」
「きみ…は……」
眼を開けたと同時に飛び込んだのは、
どこかで見た記憶のある顔だった。長い間気を失っていたせいか、なかなかその名前が浮かばない。リュートは黙り込んでゆっくりと目の前にいる少女の姿を確
認していた。少女はそれに不安そうな顔を浮かべるが、その少女の身体の特徴にリュートはその名前を思い出す。
「リリ……?」
「……!そうだよ。やっぱりリュートお兄ちゃんだったんだね!」
それはジュエンで出会ったあの妖精族だった。前に会った時と同じように、その背に羽を持ち宙を浮かんでいる。今は光があるために、以前よりもその姿ははっきりと見えていた。
「俺……何でこんなとこに……」
リュートは眼を覚まし、だんだんと気を失う前の出来事を思い出していく。すると慌てたように一人の名を叫んだ。
「そうだ!ヒースはどこだ!」
そこでリュートは初めて自分が海に飛び込み、気を失ったのだと気づく。気を失う前にヒースの身体をしっかりと抱きとめたのを感じたため、その姿を急いで探した。すると横に顔を向ければ、そこには先ほどのリュートと同じように、ヒースが横たわり気を失っている姿が見える。
「リュートお兄ちゃんと一緒にいた人なら大丈夫だよ。今は気を失っているだけだから、多分もうすぐ目覚めると思う」
「良かった……!」
リュートはその時初めてヒースを守ったのだという実感があった。あの時海に落ちたヒースを助けようと、何も考えずに飛び込んでいたのだ。助かる保障などあったわけでもない。けれど身体が勝手に動くように、ヒースのもとに向かっていたのだ。
リリもまた二人を見つけた時の様子は覚えている。最初は人間が海辺に流れ着いていたことに驚いたが、その姿を確認するとそれは見知った人物だったのだ。しかもリュートはヒースを離さないようにしっかりとその身体を掴んでいた。
「リュートお兄ちゃんはどうしてあんなところにいたの?」
「あんなとこ?」
「海辺だよ。最初見たときは本当にビックリしたんだから」
「……そっか。海に落ちて流れ着いたんだな……」
運が良かったのだろう。あのまま魔獣に食われてもおかしくはなかったはずなのに、無事に二人は陸へと流れ着いたのだから。
「なぁ、それより俺たちの他に誰かいなかったか?」
「ううん。リュートお兄ちゃんとそこのお兄ちゃんしかいなかったよ」
「そんな……」
一緒に海に落ちたレイとマリーアの姿
が見当たらずリリに尋ねるが、リュートたちと同じ場所へは流れ着いていないらしい。あれから二人がどうなったのかも気がかりであった。そしてセリアのこと
もだ。今彼らがどうなっているのかも分からず、それを考え出すと止まらなくなってくる。
「ぅ……」
すると隣にいたヒースが声を漏らした。リュートはそれを聞いて思考を中断してヒースの顔を覗き込む。やがてヒースも眼を開き、意識を回復させていった。
「ここは……」
目の前に現れたリュートの顔を眼にしながら、ヒースは辺りを見回した。自分が海に落ちた時、飛び込んだリュートの姿は覚えている。まさか助けてくれたのだろうか。
「大丈夫か、ヒース?」
「……あぁ」
状況を把握しようとすると、その眼に
リリの姿が映る。漆黒の瞳に見つめられたリリは僅かに身体を震わせ、近くにいたリュートの服を掴んでいた。その漆黒の色にリリは少し恐れるような眼を向け
る。しかしそれは魔の子だからではなかった。リリは魔の子という存在を知らないのだ。しかしそれでも恐れるのは、その色が全てを飲み込んでしまうかのよう
だったから。
ヒースもまたリリの姿を見て驚いていた。人と関わらないはずの妖精族が目の前にいることにだ。そして今いる場所を見れば、そこはとても小さな小屋のようだった。小さなリリだけならともかく、ヒースやリュートがここに入ってはそれだけで窮屈な感じがする。
まるでフェアリーのような小さな者たちに与えられる家みたいに。
「まさかここは……」
ヒースは自分たちがどこに流れ着いたのかをすぐに理解した。リリがそのヒースの呟きに応えるように、二人が今いる場所を告げる。
「ここはアリフィスだよ」
「アリフィス?」
聞いたこともない言葉にリュートは首をかしげ、リリはそれをさらに分かりやすく答えた。
「アリフィスは私たちフェアリーが住む集落の名前なの。セクツィアの中でも西に位置しているんだよ」
「セクツィア!?ここってセクツィアなのか!?」
予想もしていなかった言葉にリュートは驚きを露にした。本来ならば妖精族がいる時点でそう考えるべきなのだろう。しかしリュートは帝国領でリリに会っていたために、そう思ってもいなかった。
「そうだよ?お兄ちゃんたちはセクツィアの海辺に倒れていたんだから」
リュートがセクツィアにいることに驚
いたのに対し、リリは逆にその反応に驚いていた。ヒースもまた予想していたことに頭を悩ませる。人間を拒んでいるセクツィアに、無許可に入ったのだ。見つ
かればただでは済まないだろう。まだ幼いために人間を敵視しないリリが珍しい方で、普通ならば発見されたと同時に殺されていたかもしれないのだ。二人を発
見したのがリリで幸いだった。
「俺たちセクツィアに来てたのか……」
リュートがそれを聞いて真っ先に思い
出したのは、以前国境で会ったエルフの言葉だった。リュートは人間と妖精族との間に何が起こったかは知らなかったが、その激しく人間を憎む口調からきっと
大きなことが起きたのだろうと予想している。あの時のような憎悪がこのセクツィアに住む者全員から向けられれば、さすがのリュートも長居はしたくない。し
かしそれと同時に、自分は何もしていないのだから、そんな憎悪を向けられることを仕方ないと片付けることは出来なかった。
リュートがふとそう考えていると、突
然家の扉が勢いをつけて開かれた。扉といってもリュートたち人間が使っている木や鉄などで出来たものではない。ただ簡素に布が垂れ下がっているだけで、そ
れがなければ外がはっきりと見えるくらいだ。だからこそここから話し声が聞こえ、リュートとヒースが目覚めたことが分かったのだろう。そこに現れたのはと
ても友好的とは思えない顔をした、数人のフェアリーたちだった。
「眼を覚ましたのか、人間」
「……」
「ならばもうここにいる必要はないだろう。今すぐセクツィアを出て自分たちの国へ帰れ!」
そのいきなりの言われように、リュートは憤慨して強く反論したかった。しかしそれより前にリリが二人を庇うように前に出る。
「止めて!まだお兄ちゃんたちは眼が覚めたばっかなんだよ。もう少しここで休ませてあげてもいいじゃない!」
「ふざけるな!……約束したはずだ。ここへ置いておくのは眼が覚めるまでだとな。そもそも本来なら人間がこの地を踏むことすら許されるべきではないのだ。それなのにお前が人間を見つけるから……」
「いい加減にしろよ!さっきから人間人間って……昔に何があったか知らないけど、全ての人間が悪いやつじゃないんだよ!」
やはり黙っていることも出来ず、会話の中にリュートは割り込んでいく。しかしそれすらも妖精族の怒りをさらに燃やすだけだった。
「知らないだと……!?ふんっ、所詮は歴史を重んじない種族ということか。私らが争いを好まないフェアリーで良かったな。エルフであればお前たちの命はすでになかったぞ」
「何……!?」
「止めろ、リュート」
リュートもまた引き下がることも出来ずに言い返そうとしたが、それを後ろでヒースが止めた。その行動にリュートは何かを言いたかったが、ヒースの顔がそれすらも止めさせている。諦めて項垂れると、フェアリーがヒースを見て苦々しい顔を浮かべているのが見えた。
「お前は本当に魔の子なのか……?」
「見れば分かるだろう」
「……そうだな」
フェアリーがヒースに接する態度は、リュートへの態度と違っていた。今までならヒースの方が悪く扱われていたのだが、フェアリーの場合はリュートの方が悪く扱われている。どこか違和感を感じながらもリュートはそれを黙って見ていた。
「……だが人間であることに変わりはない。済まないが今すぐここを出て行ってくれ」
「どうして!あと少しくらい別にいいじゃない!」
「リリ!お前ももう人間には関わるな!」
「嫌!嫌よ!!」
「リリ!」
それは駄々をこねる子供を躾けるよう
な光景だった。リリは仲間の言っていることが理解できず、最後までリュートたちの肩を持つ。しかしヒースだけでなく、リュートもすでにここを出ることを決
めた。歓迎されない場所にいても、こっちだって息苦しいのだ。休憩ならここを出たとこですればいいだろう。
「いいんだ、リリ。俺たち出てくよ。……それでいいか、ヒース?」
「あぁ」
「リュートお兄ちゃん……」
リュートとヒースはすぐに立ち上がった。ヒースはともかく、リュートが立つとそれだけで天井すれすれな高さだ。改めてこの家の小ささを知る。
「すぐにセクツィアを去れ。それが人間のためでもある」
「……」
去り際にフェアリーはリュートにそう言い残した。しかしリュートはそれに返事をすることなく、その布で出来た扉を潜る。するとその先に広がった光景に驚き、思わずその場から落ちそうになった。
「何だこれ……これが本当にセクツィア……?」
フェアリーの集落であるアリフィス
は、巨大な数本の大木の上に出来ていた。何本かの並ぶ大木の上にそれぞれの家が築かれ、その間をフェアリーが飛び交っている。しかしその大木は緑が少な
く、枯れ果てていた。今にもその大木が死んでもおかしくないほどに。セクツィアは緑が溢れ、豊かな国だと聞かされていたのだ。聞かされていたことと大分違
う状況に、リュートは戸惑いを露にする。
そ
の光景に唖然としながらも、フェアリーの視線に追われてリュートとヒースはその大木から降り始めた。他の妖精族のためか、ちゃんとした降りる場所もあり、
そこを通っていく。その際、四方から他のフェアリーの視線も突き刺さっていた。もちろんそれは決して友好的なものではない。