Mystisea
〜想いの果てに〜
六章 為すべきこと
08 まだ見ぬ世界
眼が覚めた時、すでに陽も落ちかかっていた。
あの後リュートはユーラウスに運ばされ、今いる頂上へと連れてこられた。傷ついて眠っているリュートを起こすわけにもいかず、今日はこの頂上で夜を明かすことになる。その間リリはずっとリュートの傷を治すために付きっきりでいた。
厳密に言えばリリが使ったものはリュートが思うような回復魔法などではない。妖精族には何かしら種族ごとに秀でた能力を持っているのだ。例えばエルフは命
中精度が抜群な弓の腕だったり、ドワーフであれば軽がると重いものを持てる怪力だったりする。そしてフェアリーが持つものが治癒能力なのだ。それは人間が
使うものと似てはいるが、違うところもいくつかある。その一番の大きな違いは、魔力ではなく体力を使うことだろう。使いすぎれば体力を消耗しすぎて、何日
も眠るような状況に陥ることもある。下手をすれば命を縮めるような危険性もあるのだ。
リュートが目覚めたことにより、リリが嬉しさを滲ませた声を上げる。
「良かったぁ!傷は大丈夫?もう痛いところない?」
「あ、あぁ……リリが治療してくれたのか?」
「うん!」
「そっか。ありがとな」
笑顔を惜しみもなく見せるリリに、リュートもつられるように笑顔になった。傷も大分塞がっていて、動くことも容易だろう。
「無様だな」
リュートの眼が覚めたことに気づいたのだろう。ユーラウスがこちらにやってきて、嫌味な言葉をぶつけてきた。
「……悪かったな」
「……まぁいい。それよりも今日はここで夜を過ごすからな。明日の朝までにはちゃんと傷を治しとけよ
すでに辺りは夕陽によって紅く照らされていた。暗くなるのにもそう時間はかからないだろう。リュートはそこで初めて立ち上がる。するとそこから見える景色
に思わず息を呑んだ。リヴァディスを見たときも綺麗だと感じたが、その頂上から見える景色もまた言葉に表せないほど綺麗であった。
この聖峰リヴァディスはセリアンス大陸でも最南端に位置している。それより南には一面に広がる海しかないのだ。つまり今いるリュートの場所からは、紅く染まった広大に広がる海が見えていた。
「綺麗だよね……」
リュートがその景色に見惚れていると、リリが隣にやってきて同じくその先を見ながら呟いた。
「あぁ……こんな綺麗な景色があるなんて知らなかったよ」
ここからみえる景色を見たら、誰もがそう言ってもいいだろう。リュートやリリだけでなく、ユーラウスも後ろでその言葉に頷いていた。見渡す果てのない海は、その先にある未来の無限さを現しているのかもしれない。
「……リュートお兄ちゃんには夢ってある?」
「夢?どうしたんだよ、急に」
急にそんなことを聞かれてリュートは少しだけ戸惑う。それと同時に、どこか心の中でそれを考えていた。
夢。そんなもの自分にあるのだろうか。数ヶ月前までは、自分の夢は帝国騎士になることだった。それは間違いないことだろう。しかしそれが潰えた今、未来に描く夢もなくなっていた。
それじゃぁ子供のころの夢は。まだ両親とも、シェーンとも仲良く過ごしていた子供のころ。けれど昔を思い出そうとしても、今となっては鮮明に浮かぶこともなかった。何かを忘れていて、思い出せそうで思い出せない。そんな気分になる。
一度思い出すと、切りがなかった。浮かんでくるのは最後に出会ったシェーンの顔と言葉。考えるたびに、暗い雰囲気がリュートを纏っていく。それを察知したのか、リリが心配げに言葉をかける。
「リュートお兄ちゃん、大丈夫?」
「あ、あぁ……平気だよ」
声を掛けられて、リュートは振り払うように現実へと戻った。
「……夢かぁ、今の俺にはそんなのないかな」
今は、ただ逃げることで精一杯だった。これから何をしたいとか、何になりたいとか、そんなの考える余裕さえない。
「そうなんだ……。けど、見つかるといいね!」
「そうだな。リリは夢があるのか?」
「私はあるよ。叶わないかもしれないけど、叶えたい夢が……」
リリは広がる海の先を見つめていた。そこに何かが見えているのだろうか。リュートが少し気になっていると、リリから口を開いていく。
「私の夢はね、故郷に帰ることなの」
「リリ!その夢は捨てろと言ったはずだ!」
突然後ろで黙っていたユーラウスが怒鳴り声を上げる。
「どうして!どうして故郷に帰ることを願っちゃいけないの!?私は見てみたい!それはユーラウスだって同じなはずじゃない!」
「お前は何も知らないからそう言えるんだ!みんなに言われただろう……俺たちが故郷に帰れることはないんだ」
「故郷……?」
その言葉に違和感を感じて、リュートが疑問符を浮かべていた。故郷ならすでにあるではないか。アリフィスという、フェアリーの集落が。
けれどその疑問に答えるように、リリはユーラウスを無視して話を進める。
「確かにアリフィスはフェアリーの故郷だけど、私たち妖精には別の故郷があるんだよ」
「……そうえいばムークさんも妖精の故郷が何とかって言ってたような……」
リュートはふと数日前のムークとの会話を思い出した。
――最後に残された策はこのセクツィアを捨てて、ワシ等妖精の故郷へ帰ることだけ
――しかしワシ等の呼びかけに、故郷が応えることはなかった
「異界って知ってる?」
「異界……?」
「うん、異界。そこが私たち妖精の本当の故郷なんだよ。私は行ったことも見たこともないんだけどね……。だから私はそこへ行って見てみたいの!」
それがリリの夢なのだ。期待を膨らませるようにその未来を夢見るが、それが叶わないことなのだとリリはずっと教えられてきていた。
「それは……本当に叶わないのか?ムークさんも言っていたけど、故郷が応えなかったってどういう意味なんだ?」
「……本来、妖精も精霊も異界で生まれ、そして異界で還るべきなのだ。例えこのセクツィアで生まれようとも、俺たちの本当の故郷は異界だ。お前も聞いただろ?精霊は俺たちを許しはしなかった。異界への扉を開けることを、俺たちに許しはしなかったのだ」
補足するようにユーラウスが言葉を紡ぐ。その言葉にはリュートが理解できないほどの意味がたくさん含まれていた。
「何でだ!自分たちの故郷へ帰るのに何で精霊の許しを得なきゃいけないんだ!?それに異界の扉って……」
「人間には分からないさ!妖精にとって上位でもある精霊の存在は絶対だ。そもそも精霊がこうまでして怒るなど滅多にあるはずがない。それだけの罪を俺たちは犯したのだ……人間のせいでな!」
「ユーラウス……」
リュートは何も言えずに口を閉ざしてしまう。何度聞いても妖精が人間を憎む理由は正当なのかもしれない。けれど、それでもリュートは憎みあいたくはなかった。
「……すまない」
「いや……」
驚くべきことに、ユーラウスが謝罪の言葉を口にした。それはユーラウスが無意識にリュートという人間を認めた証でもあるのだ。
「異界か……それってどこにあるんだ?何なら俺も一緒についてって精霊に謝ってやるよ!」
「……何を勘違いしている。異界には人間は決して入れないし、辿り着くことさえ出来ない」
「そうなのか?」
「そうだ。そもそもお前は異界がどこにあると思ってるんだ」
「そりゃ……この国のどこかじゃないのか……?それとも、もしかして帝国とかにあるのか?」
リュートの言葉を聞くと、ユーラウスは呆れたようにため息を吐いた。その様子にリュートはムッとするが、黙ったままユーラウスの話を聞く。
「人間は世界がこの大陸だけだと思っているのか?」
「……?何当たり前のことを言ってるんだよ」
「だから人間は無知だと言われるんだ。世界はお前たちが思っているものより広い。この大陸だけでなく、海の嵐を越えた先には更に世界が広がっているんだ」
「あの海の嵐の向こうに……?何をやっても通ることの出来ないあの嵐の向こうに?」
かなりの昔、セリアンス大陸を囲む海を果てまで、学者たちが船で進んでいったことがある。しかしその先にあるのは天高くまで聳え立つほどの海の嵐だった。
海流が波立ち、荒波によって船は崩され、気づいたときには数人がかろうじて生き残るほどの規模。それはセリアンス大陸を囲むように出来上がっていた。
「あぁ。海の嵐を超えることは不可能だが、けれどその先には確実に世界は広がっている」
「お前は見たことあるのか!?その先の世界を!」
リュートは興奮気味にユーラウスに詰め寄っていく。
「あるわけないだろ!俺はセクツィアを出たことすらないんだからな」
「そ、そうか……。それじゃぁ異界も海の嵐を越えた先にあるのか?」
「いや、異界は違う。この世界とは別の次元にある」
「別の次元……?」
「……上手くは説明出来ないがな。とにかく異界には人間が決して辿り着くことはない。異界への扉を開くことが出来るのは精霊以上の存在のみ。俺たちがそこへ辿り着くには、俺たちの呼びかけに応えて扉を開けてくれるしかないんだよ」
だんだんとユーラウスの話はリュートの頭の許容範囲を超えていく。わけが分からないように、リュートは頭を混乱させていた。けれど海の嵐を越えた先にある世界に、リュートは誰が見ても分かるほどに心を奪われる。
「そうだったのか……。なぁ、ユーラウス。お前は海の嵐の越え方を知っているのか?」
「言ったはずだ。海の嵐を越えることは絶対に不可能だと」
「絶対に?」
「あぁ、絶対にだ」
リュートの浮上していた気分がここで一気に落ちた。知ったばかりであったが、その見ぬ世界へ行きたいと、そう思っていたのだ。そんな知らない世界へ逃げられれば、どんなにいいことだろうか。追っ手を気にする必要もなく、新たな生活を望めるかもしれない。
けれど、それは逃げることなのだろう。
「それじゃぁ無理だよな……」
「当たり前だ」
リュートは半ば落ち着きを取り戻し、そこで近くにヒースがいないことに気づいた。
「そういや、ヒースは?」
「……向こうにいるさ」
ユーラウスが視線を向けた方向は、頂上の反対側であった。そこには隔てるように障害物があり、ここから向こうを見ることは出来なかったが、そこを回ればす
ぐにでもヒースの姿が見える。リュートは歩き出し、そこへ向かうと、そこから見えた景色にも口を閉じて見つめてしまっていた。