Mystisea

〜想いの果てに〜



六章 為すべきこと


09 少女は一人で








「ひどいもんだな……」
 リュートは佇むヒースの近寄り、隣に腰を下ろした。ヒースはリュートに一瞥するだけで、何も言葉をよこしはしない。
  さっきまでいた場所から海が見えるということは、その反対から見えるのはセクツィアの景色だった。そこから見えるのは枯れ果てたセクツィアであり、緑豊か なセクツィアではない。きっと八十年前なら、最高の景色であったのだろう。リュートはそんなことを頭の片隅に思いながら、ずっと見つめていた。
「聖峰リヴァディス……その頂上から見える景色に誰もが眼を奪われる。このセリアンス大陸で一番天に近く、そして世界を一望出来る場所」
「ヒース?」
「そんな話を聞いたことがある……。実際に見る時が来るとは思わなかった」
 ふいに口を開くヒースに、リュートは心なしか危うげな感じを覚えた。ヒースにとってセクツィアとは多少因縁の深い国なのだ。ヒースが八十年前の戦争について、どこまで知っているかは分からない。聞く勇気さえもなかった。
「そうだな……。けど、俺はこれが緑溢れるセクツィアだったらもっといいと思う。そんな絶景を見てみたいんだ」
「セクツィアに緑が戻ると思うのか?」
「それは分かんないけど……信じたいんだ。このまま滅びていくなんて、絶対にダメだから……」
「……」
 二人は眼下に広がるセクツィアの光景を複雑な気持ちで見下ろしていた。どこか国全体から嫌な雰囲気も漂っている。ヒースだって過去のことを関係なしに、この国に緑が戻って欲しいとそう思っていた。
「ここってホントにいいとこだよな。綺麗で、絶景も見えるし、神秘的な感じもする。空にも一番近い場所だ」
「……」
「……俺は、もし死ぬならこういう場所で死にたい」
 リュートは誰に聞かせるでもなく、小さな声で一人呟いていた。本当はリュートだって疲れているのだ。ずっと追われていて、いつまでも逃げ切れるとは思っていないのかもしれない。マリーアたちと離れて、初めてリュートの弱い心が前へと出てきたのだった。
 けれどその言葉をかろうじて拾ったヒースは怒りを露にした。
「冗談でもそういうことを言うな!」
 それはヒースにとって親しい人間だけに向けられる言葉。もし知らない人間がそんなことを言っても怒鳴りはしないだろう。リュートだからこそ、ヒースは怒鳴ったのだ。誰しも親しい人間を失いたくなんてないから。
「……ごめん」
 リュートはヒースの前でそんな弱気な言葉を発した自分を責めた。だからこそ今までの暗い雰囲気を振り払うように、いつものように明るく振舞う。
「それよりさ!いよいよ明日は精霊の祠に着くんだよな?楽しみだよなぁ……」
「……別にお前は精霊も見えないだろ」
「そりゃそうだけどさ……けど一度でいいから見てみたいじゃん!」
  それが魔力のないリュートにとって叶わないことだと分かりながらも、言葉にせずにはいられない。精霊の祠に辿り着くということは、即ちリュートたちの処遇 も決まることになる。けれどリュートの中ではすでにヒースが精霊を従えることは決定済みだった。何の不安もなく、気楽でいる。
「どうなるかは分からないからな……」
 対照的にヒースは少しだけ不安な様子を見せる。
 ヒースが使う魔術は下位の精霊から力を借りる。それが魔法との違いだった。しかしこれから会う精霊はおそらく中位以上の精霊なのだろう。実体を持つ精霊とは中位か上位の精霊だけだ。そしてその数も極めて少ない。
「ヒースなら大丈夫だって!もっと気を楽にしろよ!」
 リュートが言うと、なぜだかそんな気になるのが不思議だ。ヒースは心が少しだけ軽くなる。リュートに感謝しながらも、それを口にすることはなかった。
「それより、傷は大丈夫なのか?」
「あぁ。全然平気だよ。何ていうか……慣れちゃったのかな」
 おどけたように言うが、それは決していいことなどではない。ヒースはいい顔はしなかったが、ここで何を言っても仕方がなかった。そもそも今回はヒースにも原因があると、自分では感じていたのだ。
「悪かったな」
「……?」
「俺がやつの動きを止めろなんて言わなきゃ、そんな怪我することもなかったかもしれないだろ」
「そんなのヒースのせいじゃないだろ!俺の不注意でもあったんだよ」
 予想通りリュートはヒースを責めることはない。ヒースはそんなリュートに知らず知らず甘えてしまうのだ。いけないことだと分かっていても。
「……そろそろ暗くなってきたな」
 夜ももうすぐそこだった。夕陽も落ちかかり、辺りもだんだんと暗くなってくる。リュートとヒースは立ち上がり、ユーラウスとリリのもとへと戻っていった。






「捕まえた反逆者は一人ですか?」
 皇の間にはただならぬ緊張感が支配していた。セリアの目の前に並ぶ者は、帝国でも知らぬものはない、皇帝と宰相。そしてセリアの隣には庇うようにシューイが立っていた。
「……はい。他の者たちはみな魔獣の襲撃により、海へと落ちてしまいました……。もはや助かるはずも……」
「……魔の子まで海に落ちたと?」
 アイーダは探るようにシューイを見ると、シューイはそれに無言で頷きを返す。その瞬間、アイーダの周囲に何やら黒いものが立ち込めたような気がした。けれどそれはすぐになくなり、気のせいなのだとシューイは錯覚する。
「……馬鹿な。これでは……」
 アイーダは誰にも聞こえない声で小さく呟いていた。ヒースが海に落ちて死んでしまっては、欲しいものも手に入らない。底が深すぎる海の中から、その死体と探し物を見つけることなど至難だ。
「まぁいい。つまり生き残ったのはその女だけなのだろう。ならばすぐにでも処刑の準備をしろ」
「父上!?」
 突然信じられない言葉を口にする皇帝に、シューイは思わず素の口調で叫んでいた。
「お願いです!処刑だけは思い止まってください!」
「何をそんなにムキになっている。……あぁ、そうか。そういえばそこの女はお前の想い人だったか」
「そ、それは!」
 やはり父は知っていたのだろう。シューイは父にセリアのことを話したことはなかった。けれど噂として結局は耳に入っていたのだ。本当のことを言い当てられ、シューイは口を閉ざしてしまう。
「お前は私の言うことが聞けないのか?」
「ち、父上……」
 その言葉を言われれば、シューイは従うしかなかった。それはいつものことで、結局シューイは父に逆らえないのだ。けれどやはりセリアのことはどうにかして何とかしたかった。もどかしい気持ちで黙ってしまうシューイを見て、今までずっと口を結んでいたセリアがそれを解く。
「シューイ、私のことは気にしないで」
「セリア……?」
「貴方に捕まった時から、死ぬことは分かっていた……。ううん、あの夜に逃げだした時から本当は分かっていたのかもしれない」
 もはや自分の死を悟ったセリアに、シューイは驚きで混乱していた。
「何を言ってるんだ!俺の言葉を信じないのか!?俺は絶対にお前を死なせはしないと言ったはずだ!」
「そうじゃない!私は貴方をいつだって信じてる!だから、だからこそ、貴方が皇帝の言葉に逆らえないのは分かってるわ!」
「……なっ!?」
「もう、無理しないで……。私のために貴方が必死になることなんてないのよ……」
 シューイはそのセリアの言葉を否定することは出来なかった。何て自分は情けない男なのだろうか。愛した少女を守ることも出来ないで、父親に逆らえないで。悔しさにシューイは唇を強く噛んでいた。
 すると突然皇帝は大きな笑い声を上げた。
「フハハッ!……面白い女だな」
 皇帝は立ち上がり、セリアの前へと近づいてくる。セリアはそれに緊張して、一歩だけ後ずさった。その二人の間にシューイは立ち塞がるが、皇帝は勢いよくシューイを吹き飛ばす。
「シューイ!!」
 横へ倒れながら吹き飛ぶシューイにセリアは叫びを上げる。今にもそこへ駆け出したかったが、それは皇帝がセリアの顔を掴むことによって阻まれた。セリアの顎を力強く掴み、自分の方へ向けさせる。皇帝から出る異様な雰囲気に、セリアは恐れが浮かび上がった。
「私が怖いか?」
「……」
「お前が泣き叫んで命乞いをすると言うなら、処刑は見逃してやってもいいぞ。何せお前は私の子の想い人だからな。私とてそんな者を殺したくはないのだ」
「止めてください、父上!」
 強烈な痛みにうまく立ち上がれないシューイは、遠くから非難の声を上げる。そんな声を耳にしながらも、セリアは気丈な振る舞いを見せた。
「私がそんなことをすると思ってるのですか?私は絶対に……貴方たちには屈しません!」
 それは皇帝だけでなく、アイーダにも向けられた言葉。皇帝にとっては屈辱的ともなる言葉に、怒りが膨らんでいく。その怒りのままに、皇帝はセリアの頬を裏手で軽く殴った。
「……ッ!」
「セリア!」
 軽くといえど、セリアにとってはかなりの痛みが伴う。口には傷が出来て、そこから血が少し流れていた。シューイはそんなセリアに駆け寄り父を見るが、その顔はなかなか見ない怒りの形相だった。
「貴様!この帝国の覇者たる私に向かってその言葉は何だ!」
 怒りを露にして、皇帝はセリアを睨み付ける。その様は再びセリアに殴りかかってもおかしくはなかった。
「ふんっ!やはり罪人には処刑しかあるまい!」
「待ってください、父上!」
 その言葉を聞いたシューイが慌てて、父へと突っかかる。しかしそんな息子の言葉ですら、皇帝には聞こえていなかった。
「……私は大丈夫だから」
「潔いな。別に泣いて許しを乞うてもいいんだぞ。最も今さら命乞いをしても無駄だがな……。アイーダ!すぐにでも処刑の準備に取り掛かれ!」
「父上!!」
 もはや誰の声も聞こえないような父に、シューイは危険を感じていた。どうにかしてセリアを助けないといけない。死なせるわけにはいかないのだ。
 そんなシューイの気持ちが通じたのかどうか、思いもよらぬ人物が皇帝を止めていた。
「お待ちください、陛下。この者の処刑は今すぐじゃなくてもよろしいのではないでしょうか?」
「何……?」
「私に考えがございます。今少し牢に入れておくだけで、処刑は後日に致しましょう」
 その言葉に、誰もが驚きアイーダを見つめた。特にセリアは一番信じられないように見ている。なぜ正体を知る自分を生かすのだろうか。ワケが分からなかった。
「……よかろう。好きにすればいい」
 皇帝はもうすでに興味を失ったように、それだけを言い残して奥にある自室へと引き返す。その様をシューイは呆然と、悔しい気持ちで見送っていた。そんなシューイにアイーダは無情にも告げる。
「ではシューイ様、その罪人を地下牢へとお送りしてください。くれぐれも逃がすようなことなどありませんように」
「アイーダ……」
 シューイはやり切れない気持ちで、その言葉に静かに頷く。まともにセリアの顔を見ることさえ出来なかった。






 アルスタール城の一階にある医務室。シューイはセリアを地下牢へと連れて行く前に、こっそりとそこへ寄る。皇帝に殴られて出来たセリアの傷を治すためだ。セリアはそれに無言で着いていくだけだった。
「セリアさん……!?」
 その医務室の主はセリアの顔を見ると、驚きと共に勢いよく立ち上がった。セリアもまたその主を見ると、知らずと涙が零れ落ちる。
「アランナ殿、セリアの傷を治してやってください。……私は外に待機していますので」
 シューイは二人を見て、自分がこの場にいないほうがいいだろうと思った。外に出て扉が閉まる音を聞きながら、突然のこの状況にアランナは混乱する。
「アランナさん……私…私……」
 医務室の主でもあるアランナは、セリアのことをよく知っていた。反逆者として、アルスタール城から逃げたことも。そのセリアがここにいるということは、答えは一つしかないだろう。
 アランナは泣きじゃくるセリアを目の前に、穏やかで優しい声を掛ける。
「セリアさん……気を強く持ってください。絶対に負けてはいけませんよ」
「アランナさん……」
 セリアはその言葉に、心が救われるような気がした。マリーアとはまた違った、母のような存在。
「そして、どうかシューイ様を信じてください。あの方は絶対にセリアさんの味方になりますわ」
 アランナもセリアを娘のように抱きしめて、その頭を優しく撫でた。
 セリアはどうしようもない、言葉では表せないほどの気持ちを抱えて、一人地下牢へと入る。
 その先にある未来は、絶望か、それとも希望か