Mystisea

〜想いの果てに〜



六章 為すべきこと


10 精霊








 聖峰リヴァディスの頂上を出発してから、しばらく経つと辺りの光景が少しずつ変わっていった。ただでさえ神聖な気が漂っているのが、そこに近づくにつれてさらに増す。次第には道の終わりとでもいうべきように、途中から神秘的な祠がリュートたちを待ち構えていた。
 それこそが四人の目的地である、精霊の祠への入り口だった。
「この中に精霊がいるのか……?」
 リュートの質問に、ヒースたち三人はゆっくりと頷いた。魔力のないリュートには分からないが、ヒースと、そして妖精であるユーラウスとリリは、精霊の気配を強く感じているのだ。
「行くぞ」
 ヒースが一番先にその祠へと足を踏み入れた。それに続き、リュートたちもヒースの後を追っていく。
  祠の中は洞窟のように薄暗く、ヒースの魔術である炎を浮かべてやっとだった。壁からは綺麗な水が少しずつ流れていて、それが床に溜まったのか、小さな水溜 りもいくつか見える。ヒースたちはそれを踏むたびに、その静かな祠に音が響いていた。けれど祠の中は広くはなく、すぐにでも奥へと到達する。
「ここは……」
 すでに最奥部なのだろう。今までよりも雰囲気がだいぶ違っていた。薄暗かった祠も、ここでは炎を消してでも見えるくらいには、多少明るくなっている。ヒースは炎を消し、辺りを見回した。
 壁に囲まれたその部屋ともいうべき場所には、道が正反対に二つある。一つはヒースたちがここへ来るときに通った道。そしてもう一つは異様な気配が漂う扉。その奥に何があるのか、分からないはずがなかった。
 仄かな明かりが漂い、道がない壁からは水が流れ、静けさと、僅かな寒さがその部屋を支配する。四人はみな、奥の扉を見つめていた。
「あの奥にいるんだよな……」
「そうだ。だが長老からは、あの扉はどうやっても開くことはなかったと聞いている……」
「それじゃぁどうやったら開くの?」
 リリの素朴な疑問に、誰も返答がなかった。リュートは扉に近づき、恐る恐るというように触れる。何度か触れ、何も起こらないのを確認してから、どうにかして扉を開こうとがんばった。しかしどんな頑丈なもので出来ているのか分からないくらいに、その扉はビクともしない。
「何だよこれ……」
 お手上げとばかりにリュートは諦め、その扉から離れた。全員が扉を睨む中、今度はヒースが近づいていく。扉の前に立ち、ゆっくりと手を出して触れた。
 すると――
「うぉっ!」
「すごい!」
  あんなに動かなかった扉は、まるでヒースに反応するかのように開いたのだ。後ろで見ていたリュートたちは驚きの声を上げる。ヒースはそのままゆっくりと進 み、奥へと足を踏み入れた。その奥は何やら光があり、視界を奪わせている。きっとその奥に精霊がいるのだろう。ヒースは一歩一歩その中へと進んでいく。
「な、何だこれ!」
  急に後ろでリュートの驚きの声が聞こえて振り返ると、そこには信じ難い光景があった。先ほどまで扉があった場所には、何か見えない壁があるようにリュート を拒んでいたのだ。手を出せば弾けるように火花が飛び散る。それはリュートだけでなく、ユーラウスもリリも同じだった。ヒース以外の者を拒む、結界。そう 認識できた。
「そこで待ってろ」
「けど、ヒース!お前一人じゃ……」
「どうせ入れないんだろ。待ってるしかないじゃないか」
「ヒース……」
 結界を挟んで、リュートとヒースは会話をしていた。心配そうな顔をするリュートに、ヒースは余り見せることのない笑みで答える。それを見たリュートは驚きながらも、諦めるような顔をした。
「……頑張れよ、ヒース」
「あぁ」
 お互いに視線を交わしながら、ヒースは振り向いて光の中へと足を踏み入れた。やがてリュートからはヒースの姿が消え、何も見えなくなる。心配はあったが、リュートはヒースを信じてそこで待ち続けていた。






 四方の壁から綺麗な水が流れていた。それは部屋の中心へと向かい、一点で四つの水は交わる。その一点の上に佇むように、水を纏った綺麗な女性がヒースを待ち構えていた。
 ――よく来た、血を受け継ぎし者よ
 その声はヒースの頭の中に直接響くように聞こえてきた。目の前の女性を見ても、口一つ動かしていない。けれどその声の持ち主が目の前の女性であることを、ヒースは疑わなかった。
「あんたが、精霊なのか?」
 ――いかにも
「そうか……なら話は早い。俺はあんたを従わせに来たんだ」
 ――なぜ我を従わせようとする。それがお前の望みか?血を受け継ぎし者よ
「……」
 ヒースと精霊は視線を交わしながら、お互いを観察するように見ていた。
「あんたを従わせれば、俺たちはここにいることが出来るんだ」
 ――この国にいることが本当にお前の望みか?過去、この国の者たちがお前の祖国に何をしたか、知らぬわけでもあるまい
「知ってるさ……。だけど、俺には……リュートには居場所がないんだ。あいつが外に行ったら、絶対にすぐ捕まってしまう……」
 ――友のために、この国にいることを望むのか?
「……」
 ――それは浅はかな考えだ、血を受け継ぎし者よ
「……ッ!さっきから何なんだ!血を受け継ぎし者?それは俺のことか!?」
 精霊の言っていることに、ヒースはわけも分からず怒鳴ってしまう。しかし精霊はヒースの取り乱しを前にしても、何も変わりはしなかった。
 ――そうだ。カーヌ=ルーベルアの血を受け継ぎし子孫よ
「カーヌ=ルーベルア?そいつが俺の先祖の名だと……?」
 知らぬ名を耳にし、ヒースは戸惑いの色を見せる。しかしそのファミリーネームは確かにヒースと同じものであった。
 ――知らぬか?カーヌこそ、我らの恩人。誇り高き、人間だった
「恩人?いったいどういうことだ!」
 ――今よりおよそ250年前、死に瀕していた我らを救ったのが、カーヌだ。その恩を返すためにも、我らはカーヌの子孫と、そして民たちを守り続ける。それがカーヌの願いであった
「俺の先祖が精霊を救ったって……」
 初めて知った事実に、ヒースは驚いてばかりだった。そしてその事実があることへ結びつくのだと、ヒースは瞬時に理解する。
「……まさか……エルフの長老が言ってたことは……」
 ――だからこそ、我らはお前たちに力を貸していたのだ。それなのに……ここの妖精たちは、それも知らずにカーヌの王国を攻めた。それは許し難き行為
「あんたたち精霊はずっと……ずっとノーザンクロス王国に力を貸していたのか!?」
 ヒースの問いかけに、精霊は綺麗に微笑んで頷いた。それを見たヒースは、やっと謎が解けたようにスッキリとした感じになる。本当はずっとそんなことを思っていたのだった。
 ――お前たちが使う魔術。それは我らの同胞である精霊たちの力が必要不可欠。ほとんどの精霊が異界へ帰った今、使える魔術はごく僅かでしかない。
 それこそが、魔法と魔術の大きな違いであった。魔法は自分の魔力を使い、大気中に散らばる元素へと呼びかけて発動する。しかし魔術は精霊を使役して、自分の魔力と合わせて発動するものなのだ。
「だったら……だったらあんたも俺に力を貸してくれるのか……?」
 ――それは不可能だ
「なぜだ!」
 ――我のように個を持つ精霊は、契約をして初めて従うことになるのだ
「……つまり契約をすればいいと?」
 なかなか話が進まないことに苛立ちながらも、ヒースは目の前の精霊を見つめていた。何を考えているのかも分からず、精霊は全てを見透かすようにヒースを見ている。
 ――確かに我がお前と契約をすれば、我を従わせることが出来る
「本当か!だったらすぐに」
 ――しかし、我はお前と契約をすることは出来ない
 ヒースの言葉を遮るように、精霊は無情にも言葉を下した。その言葉にヒースも戸惑いに似た怒りを見せる。
「なぜだ!俺たちに力を貸してくれると……!」
 ――それは契約という意味ではない。お前の強さは、我と契約するに値しないのだ
「……それは俺の力が弱いからなのか?」
 ――今一度問おう。カーヌの子孫よ、なぜ精霊を従わせようとする
「……それは……」
 ――お前の本当の想いを口にしろ
「分からない……分からないんだ……この気持ちが」
 ヒースは最近の間に芽生えた自分の感情に、戸惑ってばかりだった。ずっと人を避けて生きてきたのに、ずっと人を疑って生きてきたというのに。
「俺は……俺は……あいつと一緒にいたいんだ……。初めて俺を信用してくれたあいつと……リュートと一緒にいたいんだ!」
 ヒースは想いを昂らせるように声を出す。本当はそれを認めたくなくて、けれどどんどん強くなっていく気持ち。望んではいけないと思った、そんな気持ち。
「だからあいつがここにいることを望むなら、俺もあいつとここにいる!そしてあいつが無茶をしないように、守るために、力が欲しい!そのために、俺は精霊を従わせなきゃならないんだ!!」
 正直に自分の気持ちを認めて、ヒースは恥じない態度で言葉を出した。精霊の眼をしっかりと見て。
 ――いい答えだ、カーヌの子孫よ。お前の想いは本物だ……。今のお前なら、きっと精霊の呼びかけに応えることが出来るだろう
「……呼びかけに?」
 ――精霊は何も我だけではない。ずっとお前を見ていた精霊もいるのだ
「何……?俺を見ていたって……」
 ――気づいてないか?ずっと前から、その精霊はお前と共に在った。ずっと前から、その精霊はお前に呼びかけていた
「ずっと前……」
 気づいていなかった。けれど、ヒースはその言葉を知らずと受け入れていた。心のどこかで、その存在に気づいていたのかもしれない。
 ――心に耳を傾けろ。思い出せ、その精霊は何度もお前の危機を救ってきたのだ

 ヒースは精霊の言うがままに、心へと意識を集中させていく。すると、ふと周囲の全てが消え、ヒースは暗闇の世界の中心に立っていた。