Mystisea

〜想いの果てに〜



六章 為すべきこと


11 契約








  何も見えない、光がない世界。眼を開けても、眼を閉じた世界と何も変わりはしない。そんな世界にヒースは一人で突っ立っていた。

「……俺の中にいるのか?」

 自分の心の中へと問いかけ る。しかしそこに返事は何も返ってこなかった。

「聞こえないか?俺の声が聞 こえないか!?」

 精霊へと呼びかけの声を発 しても、帰ってくるのは暗闇の世界だけ。その虚しい世界に、ヒースはどこか自分と似ているような気がした。

「ずっとお前の呼びかけに応 えないで、今さら俺がお前に呼びかけるのは図々しいか?」

 図々しいだろう。自分で口 にしておいて、ヒースは答えを出していた。それでも諦めずに、ヒースは精霊へと呼びかけ、精霊の呼びかけを聞き逃すまいと懸命になる。

「俺にはお前の力が必要なん だ……。聞こえていたら返事をしてくれ!」

 その声に精霊は反応したの だろうか。依然と声は返ってこなかったが、その代わりにこの暗闇の世界に一つ小さな炎が灯る。宙に浮きこの世界を照らす炎から、ヒースは眼を離さない。

「お前が……お前がずっと俺 を守ってきてくれたのか?」

 さっきの水を纏った女性の 精霊の時と同じだった。ヒースは目の前にいる炎が精霊であることに確信を抱く。

 ――聞こえるのか?我の声が 聞こえるのか?

「聞こえるさ……。今まで気 づかないで、悪かった……」

 ――謝るな。こうして会う ことが出来て、それだけで嬉しいんだ

 その喜びを表すように、精 霊はいっそう大きく燃え上がった。そんな精霊を見て、ヒースも自然と笑みを零す。

「海で船から落ちた時、俺と リュートを魔獣から守ってくれたのはお前なんだろう?……それだけじゃない。もっと昔、リュートと出会う前にも、お前は俺の知らない間にいっぱい助けてく れた」

 ――そうだ。我はお前を ずっと守ってきた。お前が生まれた時より、我はお前と共に在ったのだから

「……」

 ――気づいて欲しくて、何 度も呼びかけた。我を知って欲しくて、見て欲しかった

「……悪い」

 ――謝るな。今日、お前は 我に気づいてくれた。我に呼びかけてくれた。我を、知ってくれた……

 その時、炎はこの世界を覆 いつくすほどに燃え上がった。ヒースまでも飲み込む炎だが、その中にいてもヒースは決して熱く感じることなどない。むしろ心地よかったほどだ。

 やがて炎が急速に静まり、 その後にあったのは今までとは違っていた。それは炎を纏った小さな竜。

「竜……?」

 ――竜を知っているか?だ が、我は竜ではない

「いったい……」

 ――竜の姿 をしても竜ではない。我は、精霊だ

 その小さな竜と、ヒースは お互いに見つめあう。心へと溢れてくる何か。それは精霊の想いなのだろうか。

「俺は……お前と契約出来る のか?」

 ――出来る。お前がそう望 むなら

「望むさ!俺は力が欲しい。 お前の力が欲しいんだ」

 ――精霊の力は強大だ。下 位の精霊を使役する魔術とは一緒にしてはならない

「分かってる……」

 ――そうか。ならば、一つ だけお前に問おう

 すると小さな竜は再び燃え 上がり、炎の球へと変わっていった。やがてそれは形を変えて人の姿へと変わる。それはヒースのよく見知った人間であった。

「リュート……」

 ――お前が一番に信頼する 人間だ。お前が力を欲し、我と契約するのは、この男と共にいたいということは聞いた。今まで誰一人他人を信じなかったお前にとって、それはとてもいいこと だろう

 リュートの姿をしながら も、精霊は口を開かずに直接声を響かせる。最初はヒースもそれに驚いていたが、今ではすでに慣れてしまっていた。

「……」

 ――だが、お前はその後に 何をしたい?そのまま死ぬまでこの国へ隠れ続けたいか?

「それは……」

 答えられるはずがなかっ た。いきなりそんなことを聞かれても、ヒースには答えが出てこない。しかし精霊はそんなことはとっくに見透かしていた。

 ――分からないのも無理は ないだろう。お前が答えることが出来ないのは分かっていた

「なら何でこんなことを聞く んだ……。先のことなんてまだ分かるわけないだろ!」

 ――そうだ。だが、これだ けは言える。例えこれからお前がこの国に隠れていようと、いつかは絶対に見つかるだろう。それこそ、お前の持つ物を捨てない限り

「俺の持つ物って……」

 ――そのトパーズの欠片だ

 それしかないだろう。ヒー スが持つ物など、ほとんど限られているのだから。

「お前はこれが何なのか知っ てるのか!?」

 ――残念だが、それが何で あるかは我は知らない。けれど、それを持っている限り、何も知らずに幸せに暮らすことは不可能だろう

「だが……これは……」

 ――お前の両親の形見。そ してそれと同時に、お前の一族が守り続けてきた物だ

「俺の一族が……」

 そんな大事なものを手放せ るわけがない。そんなことはヒースにも精霊にも分かっていた。例え幸せに暮らせないとしても、不幸になると決まったわけではない。揺るぎない決意を、ヒー スは胸に秘める。その決意だけでも、精霊は満足したように頷いていた。その証拠にリュートの姿をしていた精霊は、またも姿を変えて小さな竜へと戻ってい く。

 ――お前の決意は感じた。 契約を交わそう、ヒース=ルーベルアよ

「……あぁ!」

 ヒースは嬉しさに気持ちが 昂りながら、大きく精霊の言葉に頷いていた。その頷きに対し、精霊もいっそう炎を大きく燃え上がらせる。その炎は暗闇の世界とヒースを覆いつくしていっ た。

 ――さぁ、ヒースよ!契約 の証として、我の名を呼べ!我は、炎の精霊サラマンダー!!

 全てを覆いつくすほどの炎 の中にいながら、ヒースは笑みを零しながら口を開いていく。その心に精霊の言葉はハッキリと通じていた。

「お前の想いも感じた……あ りがとう……。さぁ……サラマンダーよ!今ここに俺と契約を交わせ!!」

 瞬間、ヒースの身体が燃え 上がるように胸が熱くなった。けれどそれは心地よく、いつまでもそうなりたいとまで思わせる。視界には全てを覆い尽くす炎の色。ヒースはその中で、ハッキ リとサラマンダーの存在を感じていた。

 やがて炎がだんだんと鎮ま り、ヒースの視界が元へと戻っていく。そこは暗闇の世界へと行く前にいた精霊の祠であり、目の前には水を纏った精霊が優雅に佇んでヒースを出迎える。最上 級の笑顔をして。

 ――無事に契約を果たした か

「……どうやらそのようだ な」

 ――ならばもう行くのだ。 これで妖精たちもお前を認めるだろう

「……」

 やけにあっさりとした態度 に、ヒースは少しだけ戸惑う。けれど精霊の言う通り、もうここには用はなかった。この祠に住む精霊と契約は出来なかったが、それでも大丈夫だろう。

 ――帰りは道を拓いておこ う

「……助かる」

 ヒースは振り返り、歩みを 進める。その先には、来た時と同じように光が輝いていた。ヒースは光の前まで歩き、最後に未練を残すように振り返って精霊を見る。精霊は変わらず、ヒース に視線をよこして見送っていた。

「一つだけ教えてくれ。あん たはなぜここにいるんだ?本当に妖精を見張っているのか……?」

 ――そうだ。過ちを犯した 妖精を、ここで見張っている

「本当にそれだけなの か……?」

 ――……行け、カーヌの子 孫よ。お前の友が待っているぞ

 はぐらかすように、精霊は ヒースを促せた。これ以上聞いても、きっと喋ってはくれないだろう。ヒースはそう感じて、これ以上の追求はしなかった。

「そうだな……。ありがと う……」

 そしてヒースは光の中へと 足を踏み入れる。その先には待ち構えたようにリュートが出てくるだろう。それすら簡単に想像出来てしまった。

 光の中へ入ると一瞬視界が 暗くなるような感じがしたが、それはすぐに元へと戻った。そして予想通りというように、ヒースの目の前にはリュートの顔が映し出される。

「ヒース!無事だった か!?」

「あ、あぁ……」

「良かったぁ……心配したん だぞ。何時間経ってもお前は戻ってこないし、いきなり壁は崩れるし……」

「壁が……?」

 いろいろとリュートの言葉 に疑問を持つことはあったが、ヒースはリュートをどけて前へと進む。ユーラウスとリリも、ヒースの姿を見て安堵していた。そして部屋の一面を見れば、 リュートの言う通り壁に大きな穴がある。それが直感的に、精霊の言っていた道なのだと分かった。

「帰りはここを進もう。多分 精霊が拓いた道だ」

「精霊って……じゃぁ従える ことが出来たんだな!?」

「ホントに!?」

 リュートとリリは自分のこ とのように、嬉しさに舞い上がっていた。

「あぁ」

「やったな、ヒース!…… ユーラウス、これでお前も文句ないだろ!」

「……本当に従わせることが 出来たのか?」

 ユーラウスは疑うような視 線をヒースに向ける。そんな態度にリュートとリリはムッとするが、ヒースは冷静に受け止めていた。

「分からないか?」

「……いや、悪い」

 ユーラウスはヒースの中に いる精霊を感じてしまう。まさか本当に従わせることが出来たことに、驚くと共にすごい悔しかった。なぜ自分たち妖精でなく、人間に手を貸すのだろうか。理 由はわかっていても、心が追いつかなかった。

「……精霊は俺たちのことを 何か言っていたか?」

「……別に何も」

「そうか……」

 それきりユーラウスは黙っ てしまった。すると少し暗い雰囲気が漂ってくるのを察したのか、リュートが明るく口を開く。

「よし!このことを早くムー クさんに知らせにいこう!この道を通っていけばいいんだよな?」

「そうだ」

 リュートは急に出来た道に 少し不安を覚えながらも、その中を進んでいった。その後をユーラウスとリリも続いていき、最後にヒースが後に続く。その前に一度だけ光を振り返り、それを 忘れないように見つめていた。







 ――お前に出会えて良かっ た、カーヌの血を受け継ぎし者よ

 そんなヒースが見えなくて も、精霊は最後まで綺麗な笑みで見送っている。その顔はどこか哀しそうでもあった。

 ――すでにノーザンクロス 王国は精霊といえど住める状態ではない。この大陸に残るには、ここしか居場所がなかったのだ

 精霊は視線を変えて、昔を 懐かしむように思い出していた。その視線の先は、すでに滅びたノーザンクロス王国。

 ――私はずっとこの大陸を 守り続けよう。お前が愛した、このセリアンス大陸を……。それが私の願いでもあるのだ。それくらい、いいだろう?カーヌ……

 水を纏う女性は、精霊なが らに人間を愛してしまった。昔、契約を交わした人間を。報われないその恋に、彼女はいつまでも想い続けるのだろう。けれど、それが彼女の幸せでもあった。




 その名は、水の精霊ウン ディーネ
 契約者に付けられた真名は――エルシェリア