Mystisea

~想いの果てに~



六章 為すべきこと


13 マリーアの想い








「そう……別に私は反対しな いわ」
「……ルミナはそう言うと 思ったさ」
 ユーラウスがあらかたの事 情をルミナに話すと、特に反対もしなかった。昔からルミナも人間に対してはそこまで敵意を感じていなかったので、ユーラウスもその言葉を想像できたのだろ う。最もヒースが精霊と契約したことで、反対する者などいないはずである。
「けど意外だわ。ユーラウス がそれを許すなんて……」
「仕方ないだろ。一応約束で はあるし、俺も妖精の一人だからな……」
 ユーラウスの人間嫌いは、 セクツィアの中で知る者がいないほどのことだった。そのユーラウスが例え約束といえど、人間と一緒に住もうとすることが半ば信じられないのだ。
「それに俺が許したのはヒー スだけだ。本当ならこいつはさっさと出て行って欲しいくらいだ」
「何だよそれ!」
 リュートを顎で示すユーラ ウスに、リュートは立ち上がって反論する。その二人の様子だけで、ルミナは笑いながらほぼ理解していた。本当はリュートのことを認めているのだと。ユーラ ウスにとって、その事実はとてもいいことだろう。これを機に激しい人間嫌いも、少しは治してほしかった。
 だからこそ、ルミナは今抱え ている問題をユーラウスに話してみようとする。今までのユーラウスを相手だったら決して話しはしなかったこと。
「ユーラウス、私も少し話が あるの……」
「何だ」
「……人間を……人間をもう 一人ここに住まわせてくれないかしら?」
「何!?」
 その言葉にユーラウスは驚 きの交じった声を上げる。
「ルミナさん、それどういう ことなの?」
 リリが乗り気のような感じ で前に出る。それを咎める視線を送りながら、ユーラウスは眼でルミナに説明を求めていた。
「……今、ここに人間の女性 が一人いるのよ」
「どういうことだ!俺はそん なの聞いてないぞ!」
「貴方に言ったら説明もなく 追い出すと思ったのよ」
「当たり前だ!人間をセク ツィアにいれるわけにいかないだろ!今すぐその人間とやらを追い出せ!」
「どうして!彼らはここへい てもいいのに、彼女はダメなの!?」
「こいつらは例外だ!他の人 間は誰一人認めるわけにはいかない!」
 結局はユーラウスは激昂し て、ルミナとの言い合いになってしまった。そんな二人の様子を周りはハラハラと見守るしかない。けれどリュートは、その人間の女性とやらに興味と、淡い期 待を持った。
「その人間ってどんな人です か!」
「どんなって……優しそうな 女性だわ。けれど、どこか思いつめているような感じもあるの……」
「その人間がどんな人間だろ うと関係ない!そいつは今どこにいる?お前が追い出さないというなら、俺が追い出す!」
「待てよ、ユーラウス!」
 今にも家を飛び出していき そうなユーラウスに、リュートは必死になって呼び止める。ユーラウスはリュートを睨むが、それに構っている余裕などなかった。
「俺、その人間に心当たりが あるんだ!」
「何……?」
「ルミナさん、その女性につ いてもっと詳しく教えてもらえませんか?」
「え、えぇ……」
 ルミナは少しだけ戸惑いな がらも、その女性について話し始める。
「一週間くらい前なんだけ ど、ここの近くにある浜辺に彼女は倒れていたのよ。全身傷だらけで、とてもではないけど見捨てることは出来なかったわ。どこから流れ着いたのかは分からな かったけど、私は彼女を一生懸命介護したの」
「一週間前……その人は今ど こにいるんですか!」
「今は多分いつもの浜辺にい るだろうけど……」
「浜辺ですね!?」
 今度はリュートが今にも家 から飛び出していこうとした。そんなリュートの様子に驚いていたが、ユーラウスはリュートを瞬時に捕まえる。
「おい!どういうことか説明 しろ。その人間とやらを本当に知ってるのか?」
「それは会ってみないと分か らないけど……けど、きっと先生だと思うんだ!」
「先生……?」
「とりあえず確かめさせてく れ!もし本当に先生だったら……」
「待って、リュートくん!」
 ユーラウスの腕を振りほど いて再び家を出ようとするが、今度はルミナの声によって阻まれた。リュートは振り返りルミナを見るが、彼女はどこか辛そうな顔をする。
「彼女に会う前に、これだけ は言っておきたいの……」
「……?」
「彼女は……記憶を失ってい るのよ」
 リュートはその瞬間、我が 耳を疑った。記憶を失うということ。それが何を意味するか、分からないわけがなかった。
「記憶を……!?」
「えぇ。自分の名前以外、全 て忘れてしまったようなの……」
「そんな……!名前は!?そ の人の名前は何ていうんですか!?」
「彼女の名は……」
 その名前をルミナが口にし ようとした時、リュートの目の前にある扉が激しい音と共に開く。みんながその扉へと視線をやると、その奥にいた人物にリュートは眼を離せなかった。
「お母さん!もう話は終わっ た?」
「アニラ!貴女何でここ に……」
「マリーアさんをここにいる 人間の人たちに会わせてあげようと思ったんだけど……」
 アニラは後ろで隠れるように いるマリーアを前へと押し出した。その姿にその場にいた誰もが注目する。リュートも思わずその姿に声を上げてしまった。
「先生!」
 マリーアはその言葉を放つ リュートと視線を交わす。その人物に、どこか懐かしいように胸が騒ぎ出した。けれどマリーアは、リュートにとって無情な言葉を告げる。
「……誰ですか?私が先 生……?」
 その言葉を受けたリュート も、誰が見ても分かるようにショックを受けていた。本当に記憶を失っているというのか。自分のことも忘れたというのか。その事実に悲しみが強く訪れる。
「俺のこと本当に分かりませ んか!?貴女の生徒のリュートです!」
「……ごめんなさい。分から ないわ……」
「そんな……!それじゃぁ ヒースのことは!?少し前まで一緒にいたんですよ!」
 マリーアはヒースへと視線 を向けるが、それでも尚、首を横に振った。その仕草にリュートは深い落胆を見せ、悔しさに唇を噛む。
「……ごめんなさい。私は貴 方たちを知らないわ……」
 マリーアもここにいること が耐えかねたのか、すぐにルミナの家を出て走り出した。向かう先はいつもの浜辺なのだろう。見かねてアニラが急いでマリーアを追いかける。
「先生……どうして……」
「リュートくん……。本当に 彼女はリュートくんの知り合いなの?」
「間違いない。俺もあの人間 は見たことがある」
 ユーラウスもまたマリーア に見覚えはあった。以前にセクツィアとの国境で出会っている。自分を犠牲にしても生徒を亡命させようとしていたのだ。嫌いな人間といえど、印象はなかなか 深かった。
 相変わらずヒースは無言で 何を考えているか分かりもしない。もはや動く気力もなくなったようなリュートに視線を向けていた。ルミナも可哀想に思ったのか、リュートに優しく声を掛け る。
「……とりあえず今日は休み ましょう。広くはないけど、みんなが眠れる場所はあるわ」
「……すみません、ルミナさ ん」
「彼女のことなら今はそっと しておいて欲しいの……。記憶を失って辛いのは、彼女も一緒なのよ」
 その暖かい言葉に癒されな がらも、リュートはマリーアのことを忘れられなかった。絶望にも似た想いを抱きながら、ルミナの甘えを受け入れて休息をいれる。けれど眠れるわけもなく、 いろいろな想いが駆け巡っていた。






 その日は結局マリーアに会 うことが出来なかった。夜になっても、夕飯の時間にも現れない。見かねたアニラが食べ物を持っていったようだったが、リュートはそれについていくことは出 来なかった。
 やがて日付も変わり皆が眠 りについた後、リュートは人知れず家の外へと出る。そこから見える海は暗く、全てを飲み込んでしまうほどに恐ろしい。なぜかその海に眼を奪われそうになる ものの、リュートは気を入れてディアレムスの外へと歩いていく。もちろんその行き先は決まっていた。
「先生」
 後ろから声を掛けたことに より、マリーアはハッとして驚きながら振り返る。声を掛けた人物がリュートだと認識すると、その顔を強く強張らせていた。けれど気丈な振る舞いをもって、 声を振り絞る。
「貴方は……」
「リュートです。リュート= セルティン。俺の名前に覚えがありませんか……?」
「……ないわ」
 マリーアはリュートの顔か ら視線を逸らし、さっきまでのように海へと向けた。その背中はどこかリュートを拒絶しているようだったが、リュートはそれでも気にせずに後ろから話しかけ る。
「それではセリアやレイの名 前は覚えていませんか?キットやキッド……それにガルドーという名前も……」
「……ごめんなさい」
「じゃぁライルという名前 は!」
 マリーアがライルを忘れる はずなどない。リュートはそう信じたかった。けれどマリーアはその言葉すら、無言で首を横に振っていた。
「先生、どうしてです か!?」
 リュートはありったけの想 いを言葉に込めて、マリーアへと詰め寄る。それはマリーアを責めるかのようで、ひどくマリーアは心が痛ましかった。
「何を言われても、私は貴方 のことを覚えていないわ……。全ての記憶がないのよ……」
「記憶がないなら、俺が思い 出させます!貴女はアルスタール帝国にある士官学校の教官だった!俺たちの先生で、いろんなこと教えてくれて、みんな貴女を好きだった!」
「違う……」
「違わない!俺たち生徒は誰 もが貴女を愛して、貴女は俺たちを愛してくれた!あの日の夜だって、貴女一人なら簡単に逃げ切れたはずなのに、俺たちをずっと守ってくれて……俺もレイも セリアも、ヒースだって、みんな貴女に感謝しているんです!恩返しなんて出来ないくらいに……貴女がいなければ、俺たちはとっくに死んでいたんです よ……」
 リュートは溢れそうになる 涙を堪えて、マリーアの背中へと訴えていた。リュートの想いを受けるマリーアは、その背中が少しだけ震える。
「私は……!」
「貴女は俺が知っている人の 中で、誰よりも優しい人です。貴女が俺たちを守ってくれたおかげで、俺は今ここにいる。優しいけど、時には厳しくて、貴女の存在がみんなを暖かく包み込ん でくれて。まるで母のように、女神のように。そんな貴女だから、俺は生きたいと、死にたくないと、そう思ってここまで来れたんです……」
「止めて!私は……私はそん な大きな人間じゃない!」
 マリーアは涙が溢れなが ら、リュートの言葉をとめるように叫んだ。リュートの言葉はマリーアの胸に深く突き刺さる。そんな優しい人間なんかじゃないことは、自身が一番よく知って いるのだ。
「先生……もしかして……」
「……ッ!」
 マリーアは緊張した様に、 身体を大きく震わせた。それを見たリュートも何となく悟ってしまう。
「……分かりました」
「……」
「結局俺は最初から最後まで 先生に迷惑をかけてたみたいですね……。きっとあの時俺たちが皇の間へ行かなかったら」
 リュートはその時のことを 思い出しながら、一歩一歩マリーアの背中へと近づいていく。その足音を感じていたマリーアは、聞こえるたびに身体を震わせていた。けれどリュートは止まる ことはせず、マリーアの背後に立ってそっと後ろから抱きしめる。その瞬間、マリーアの身体はハッキリとリュートを拒絶していた。
「少しだけ、こうさせてくだ さい」
「……」
「やっぱり、貴女は優しいで すね」
「私は……」
「ごめんなさい。きっと貴女 は自分が俺たちの人生を狂わせたと思ってるんでしょうね……。けどそれは全然違いますよ。俺もセリアもレイも、誰一人貴女を恨んでないし、後悔もしていな い。本当に俺たちは貴女に感謝していたんです」
 依然とリュートはマリーア をそっと抱きしめたまま、優しく小さな声で言葉を紡ぐ。その度にマリーアは涙を流したり、さまざまな反応を見せた。
「むしろ、俺たちが貴女の人 生を狂わせたんです……。俺たちがあの日真っ直ぐに部屋に帰っていれば、貴女は俺たちの面倒なんて見ることもなかった。俺たちのせいで思い悩むこともな かった」
「違う……違うわ……」
「今思い返せば、アルスター ル城を逃げてから、貴女は一度だって心から休んだ日はなかったですよね。いつも周囲に気を張り詰めて、魔獣が出れば真っ先に戦ってくれて、そうやって貴女 の心はどんどん疲弊していった……。本当にごめんなさい……」
「違うの……違うのよ……! 謝るのは私のほうだわ…ごめん…ごめんなさい……!!」
 マリーアは自分の前へと伸 ばすリュートの手を掴み、縋り付くように泣き叫んでいた。そんな初めて見るマリーアの様子に、リュートは深く罪悪感を残す。こんなマリーアは見ていたくな かった。自分たちのせいで、こんなになってしまったのだ。もう、リュートはマリーアを解放してあげたかった。
「もういいんです……。貴女 は記憶を失って、俺のことなんて忘れてるんですから。きっとユーラウスは貴女がここに住むことを許してくれます。だから貴女はここで……」
「そうじゃない!私は……私 は……!」
 もはや錯乱したようなマ リーアを落ち着けるために、リュートはいっそう力を込めて抱きしめた。相変わらず震えるマリーアの身体は、意外にも華奢なのだと初めて知る。自分よりも小 さな身体が、今まで守ってくれた。その事実だけでも、リュートは嬉しかったのだ。
「今まで、ありがとうござい ました。……これからは貴女の思うとおりに生きてください。俺たちは、俺はもう守られるほど弱くないですから……。だからもう、俺たちのことは気にしない でください」
「……ッ!ごめん、ごめん ね……リュート……!」

 いつまで も泣き止まないマリーアを、リュートはしばらくの間そのまま抱きしめていた。その場に聞こえるのは、マリーアの泣き声と、この静けさで目立つ海の波音だ け。