Mystisea
~想いの果てに~
六章 為すべきこと
18 儚い命
その報告を耳にした瞬間、
リリは考えるより先に身体が動いていた。その行動を視界に映したムークは、際立った顔で制止の声をあげる。
「いかん、リリ!どこへ行く
つもりだ!!」
「みんなのところよ!早く行
かないと危険だもん!」
「何を言う!お前が行ったと
ころで役に立つわけがない!大人しくここにいるんだ!」
「嫌!私は傷ついてる仲間を
放っておくなんて出来ない!!」
リリは一度だけ振り返り、
ムークの眼を見て叫んだ。そしてすぐに前を向きなおし、ムークに背を向けてその足を急がせる。そんな後姿をムークは呆然とした形で見守り、すぐに叫びなお
すもリリが止まることはなかった。その行き先は、今尚戦いが繰り広げられているであろうアルデリア砦。
このフェルスに耳を塞ぎた
くなるようなその伝令がきたのは、ついさきほどだった。アルデリア砦に駐留していたエルフの一人が、急いでこのフェルスへと走ってきたのだ。
人間が国境を破ってアルデリ
ア砦に攻撃を仕掛けたというその報告は、ムークを動揺させるには十分だった。人間との関係の悪化は前々から分かっていたが、まさか国に入って攻撃を仕掛け
てくるとは微塵にも思わなかったのだ。ムークはすぐにでもフェルスからアルデリア砦へと援軍を出し、それと共に他の集落たちにも伝令を使わした。特に今
ユーラウスがいるであろうダルフェスには、一番足の速い者を向かわせている。
その時だった。タイミング
の悪いことに、アリフィスからリリが帰ってきてその襲撃の話を聞いてしまったのだ。そういった傷ついた人を放っておくことが出来ない正義感からか、リリは
すぐにでもアルデリア砦へと向かってしまった。優しい性格故の行動ではあるが、今回ばかりはまずい。そう認識し、ムークはとつてもない後悔と、自責の念に
駆られる。
「すぐにリリを連れ戻せ!」
ムークは近くにいたエルフ
にすぐに命令する。まだ幼いリリを戦場などに向かわせるわけにはいかないのだ。確かにリリはフェアリーの治癒能力が他の者と比べて大きかった。しかしその
能力は体力を消費する分、まだ幼いリリにはなまじ強力な治癒が出来る分、逆に負担が大きいのだ。そして何より相手はアルデリア砦まで攻めてきた人間たち
だ。
アルデリア砦とはセクツィ
アに住む妖精たちの自治軍が駐留する砦。そこはアルスタール帝国との国境より僅かに南にいったとこにあり、いわばセクツィアの防衛の要。ここが落ちるとな
ると、瞬く間に人間はセクツィアへと侵攻し、妖精を根絶やしにするだろう。アルデリア砦を落とされるわけには絶対にいかず、そしてそんなアルデリア砦を
襲ったということは、人間たちもそれなりの覚悟をしてきたということだ。
妖精を、セクツィアを滅ぶ
す覚悟を。
「報告します!砦の前門は第
一部隊にてすでに制圧完了!現在第二部隊と第三部隊が砦内にて妖精の部隊と交戦中!第四部隊は後門にて妖精の援軍を阻止すべく待機!また、砦内に残ってい
る妖精たちは手練、且つ攻撃のバランスが良く我が軍は苦戦中!」
アルデリア砦は砦といって
も、実際は城のように大きい。軽く数百といった人数は簡単に収容出来る。
構造は国境から見た門が前門
と呼ばれ、セクツィア側にある門が後門と呼ばれている。二つの門の間は砦内の一階に通じていて、そこを通らないとセクツィアへ入れないようになっている。
実質ここが国境といってもいいくらいなほどだ。
また、その間の広間の両脇に
は二階、三階のフロアへと続く階段がある。現在はその上階で妖精が何とか踏ん張って戦いを繰り広げていた。しかしもはや逃げる道は残されていなく、まさに
背水の陣ともいえよう。
「分かりました。下がって結
構です」
その報告を聞いた人物は、
思ったよりも苦戦していることに僅かに驚いていた。しかし自分たちの勝利は確信したものであり、焦りは微塵も感じられなかった。
数に違いはあれど、妖精の
自治軍が善戦するのも無理はなかった。彼らの編成はドワーフが前にて豪快に斧を振り、その後ろでエルフが的確に弓で射抜く。また、傷ついた者はフェアリー
が即座に治癒するのだ。バランスの取れたその構成に、地形を熟知した砦内での戦闘は、妖精たちの優位に運んでいた。
更にこの場に攻撃魔術を得意
とするマーメイドがいたならば、それによって押し返すことも可能だったかもしれない。しかしすでに数が少ないマーメイドは、幸か不幸かアルデリア砦には一
人もいなかったのだ。
「報告!南より援軍と思われ
るエルフを確認!その数五十以上!第四部隊だけでは我が軍の犠牲も大きいかと思われます!」
更なる報告を受け、この場
にいる人間の中で一番立場が上と思われる者は、ゆっくりとその場に立ち上がった。しかしその顔に、未だ焦りは感じていない。
「動くのですか?」
隣に控えていた女性が、自
ら動きを見せた上司に確認を取った。その上司は頷きながら、部下である彼女にも命令を下す。
「こんな戦い、すぐにでも終
わらせるわ……。私は上階の方に行きます。貴女は援軍のエルフたちの方へ」
「……了解しました」
もはやこの二人が動いた時
点で、勝敗など簡単に喫していた。
第三騎士団のツートップ。そ
れこそが彼女たちだった。
シェーンはゆっくりと歩
く。アルデリア砦の前門を潜り、その中を一歩一歩確実に歩いていった。その音はまさに、死刑囚にとったら死神が近づいてくる音に聞こえただろう。
砦の中を歩くその姿は、輝
いているように目立っていた。仲間である第三騎士団の騎士たちも遠巻きになって彼女を見つめる。人だけでなく、動物だけでなく、意思があるはずない物質で
さえ、彼女になら迷わず道を明け渡すであろうほどの存在感。それほどな人物を、ここにいる者たちは今まで誰一人見たことさえなかった。それは幸せなことか
もしれなかったが、ある意味で不幸なことでもあっただろう。
後門に辿り着こうとする頃
には、そこはすでに戦場と化していた。遠くからエルフたちが弓で騎士たちを射抜けば、騎士はエルフへ近づこうとする。すると瞬時にエルフは素早い動きで距
離を取ったり、逆に距離をつめて近接戦闘を行う者もいた。
素人が見ても苦戦していると
分かる状況に、シェーンは僅かなため息を吐く。そしてその戦場に大きな一喝した声が響いた。
「何をやってる!苦戦するく
らいなら下がれ!」
その辛辣とした言葉と美し
い声音に、その戦場にいた誰もが動きを止めていた。敵味方から一斉に視線を注がれながら佇む彼女は、味方にとっては女神。しかし敵にとってはまさに悪魔と
言えよう。
「副団長殿!」
「下がれ」
「はっ?し、しかし……」
ちょうどシェーンの近くに
いた騎士は部隊長の男だった。シェーンにも見覚えがあるその男に、無情にも引き下がる命令を下す。それに対して男は言われたことを理解出来ないでいたよう
だったが、それを見たシェーンは更に同じ言葉を紡いだ。
「下がれと言ったのだ。お前
だけではない。部隊全員だ」
「な、何を仰りますか!あの
ような妖精共、我らだけで何とかいたします!」
「苦戦しているくせに何を
言ってる。私が出る。お前たちは邪魔だ。巻き込まれたくなったら下がれ」
言うだけ言って、シェーン
は剣を引き抜いて切っ先を地面へと向ける。その優雅な姿勢こそが、シェーンにとっての構えの姿でもあった。
それを見ていた部隊長は即
座にシェーンの本気を悟り、仲間へと退却の合図を出す。
「退け!死にたくないやつは
砦内へと退くんだ!」
騎士たちのプライドが傷つ
けられないと言ったら嘘になる。しかしそれを補うほどに、彼らは皆シェーンの実力を認め、そして神の子のシェーンを愛していた。言われるがままに、全員が
シェーンの後ろ、アルデリア砦の中へと引き返していく。
逆にそれを見て面白くない
のは、援軍のエルフたちであろう。この五十の数を相手にたった一人で戦おうなどとは、馬鹿にされているしか思えない。例え神の子であろうと、そんな強さを
持つはずがなかった。
「ふざけるな!神の子だろう
が知ったことじゃない!俺たちの国を攻めた人間を殺せ!!」
エルフたちは一斉にシェー
ンを目標にして、鋭く矢を放った。
五十本もの矢が全て同じ対
象を狙っているのだ。普通なら逃れるはずもない。エルフたちも、後ろにいた騎士たちでさえ、シェーンの最期を思った。
しかし彼らは、神の子へ
の、いや――シェーンへの認識が全然足りていなかった。
シェーンはエルフたちが矢
を放つと同時に、剣を華麗に、静なる動きで振るった。その風圧で出来た風の唸りと、五十もの矢がぶつかり合う。そして、まるでシェーンを見えない何かが守
るかのように、五十の矢はシェーンをそれて四方へといきなり方向を変えていた。その場に無言が支配しながらも、矢は無情にもアルデリア砦の城壁へと突き刺
さる。その光景をエルフたちは呆然と見つめていた。
「ぐぁっ!!」
それと同時に起こった仲間
内の悲鳴。すぐに眼を向けると、そこにはシェーンが剣を振りかざす姿が入る。ほとんどのエルフは、先ほどまでシェーンがいた場所に眼を向けただろう。余り
にも素早い、瞬間的な行動が信じられなかった。
「選択肢を与えよう。今ここ
で楽に死ぬか、今は逃げて後で無惨に人間に殺されるか」
シェーンは自分の剣を近く
のエルフの首にあてながら、ゆっくりとその言葉を紡ぐ。それほど大きくもなかったその声は、少なくともここにいるエルフたち全員には聞こえていた。
「ふ、ふざけるな!!」
シェーンに命を握られてい
たエルフは、片手で懐から短剣取り出し、それをシェーンの胸へと突き刺そうとする。シェーンはその行動を、選んだ答えが前者なのだと認識し、そのまま剣を
エルフの首へと押し込んだ。
「貴様ぁ!!」
情の欠片もない。そんな想
いが頭を過ぎりながらも、エルフたちは仲間を殺されて怒りを見せた。けれど、それと同時に目の前にいる存在に恐怖もしていた。
「前者でいいようだな。……
最も、どちらも結末は一緒だ」
シェーンが剣を一振りする
だけで、何人ものエルフが屍と化していく。その存在に恐れながら、果敢に攻撃をしていくも、全ての攻撃がシェーンには通用しなかった。
「ば、化け物だ……!」
エルフの一人はそう叫んで
いた。仲間の全てがそれに頷いただろう。シェーンでさえも、それに頷きかけていた。
感情もなく、妖精の命を確
実に奪う。何もシェーンは妖精が人間以下の存在だと、蔑んでいるわけでもなかった。むしろ人間と同じように、命を持つ者たちだと理解している。そんな妖精
たちを、シェーンは無情に命を奪う。それは、例え相手が人間だとしても同じだったのかもしれない。
「こ、これは……何というこ
とだ!」
遠くから新たな乱入者の声
が聞こえ、シェーンは彼らへと視線を向けた。その者たちは一様に、みな小さな羽を持って地面に浮かんでいる。すぐにフェアリーの援軍が来たのだと、理解し
た。
しかし戦う術を余り持たな
い彼らにとって、この大惨事は眼を逸らしたくなるほどだ。急いで彼らは治癒能力を、傷つき倒れ伏したエルフたちに使った。しかし、傍から見たらこれほど残
酷なことはないのかもしれない。回復してまた目の前の人間と戦うならば、いっそこのまま死んだほうが楽だっただろうか。
それすらも分からないまま、
エルフたちは再度シェーンへ攻撃を仕掛ける。また、それに便乗するように、数少ない攻撃魔術を使ったフェアリーたちも参戦した。
しかし、状況は何も変わる
ことはなかった。
「な、何だこの人間は……」
「銀の神の子……これほどま
でに!!」
シェーンの恐れを口にしな
がら、次々と妖精は一人一人、確実に命を奪われていた。最期まで戦い抜こうとする妖精たちの決意は天晴れでもあるが、シェーンにとっては愚かな行動にしか
映らない。
僅か数分の間に、瞬く間に
ほとんどの妖精が立っていることさえも出来なかった。無惨にも妖精の死体が転がる中を、シェーンはゆっくりと歩く。まだ息のある者もいるだろう。しかし止
めを刺す気にもならず、砦へ帰ろうと歩いていた。しかしそんな中、その場に一つの大きな声が響く。
「ぅ、うぁぁぁっっっ!!」
声にもならない叫び声を上
げながら、彼女はシェーンの背を目掛けて走った。
これ以上にないほど速く、速
く、速く。
そしてその手には、大きな
力。彼女にとっては、この状況で出た火事場の力。
彼女はそれを、シェーンへ
と向けた
シェーンは剣を、彼女へと
向けた
それは、大気に霧散した
剣は、彼女を貫いた
ある者は、化け物と呼んだ
ある者は、天使と呼んだ
ある者は、悪魔と呼んだ
ある者は、女神と呼んだ
そしてある者は、死神と呼
んだ
妖精の返り血を浴びなが
ら、妖精の血を垂らした剣を持ちながら、その死神はただ笑う
その冷たき、凍えるような
無表情の冷笑を
死神は、決して後悔などし
ていない
例え、どんな大罪を犯そう
とも、自分の道を貫くと決めたから
「リリ
―――――――――――!!!」
その悲壮
な声が、戦場に木霊していた。