Mystisea
~想いの果てに~
六章 為すべきこと
22 確執
その戦場から少しだけ離れ
た、アルデリア砦の後門。ここからは人間と妖精が戦う戦場が一望できる。武装しながらもその戦闘に参加しない彼女は、複雑な面持ちでそこから眼が離せな
かった。
命令だと言われれば、仕方
のないことだ。それは帝国に仕える騎士として、何よりも重要なことでもある。それでも彼女は、この命令とこの戦闘に納得がいかなかった。
数年前に第三騎士団長の任
に就いた時から、妖精との小競り合いは何度もしてきた。その度に妖精の命を奪ったこともあっただろう。それでも今更かもしれないが、心を痛めていたことも
事実なのだ。
今回下された命令は、帝国
に反乱の兆しがあるセクツィアを攻め込み、そこに住む妖精を一人残らず殲滅すること。今更そんな命令を下す帝国に疑問があるのも事実だったが、それでも彼
女にはそれを遂行する以外に道はなかった。もはや彼女にとって、何を信じていいのかさえも分からなかったのだ。
ライルとマリーアについて
の突然の報せ。二人とは士官学校を卒業以来、まともに交流はなかった。だからこそ、その報せは彼女を驚かせるには十分なことだった。それと同時に、信じら
れるはずもなかった。けれどヘレックから言われて、初めてそれが事実なのだと分かってしまう。沸き起こる怒り、疑問、嫉妬、悲しみ。それ以来彼女は、何
も、誰も、全てを信じられなくなってしまった。
「ライル……。貴方がこれを
見たら私を責めるのかしら……」
学生時代から、ライルは妖
精との関係が良くなるように訴えていた。だからこそ彼女は妖精と関わりある第三騎士団を希望したわけで、最初はそのために必死に頑張ったものだった。しか
し時間が経てば、それも虚しいことなのだと悟っていた。
「……後は時間の問題ね」
すでに戦況は騎士団の方が
優位に立っていた。ドワーフたちも善戦はしているけれども、帝国騎士団には僅かに力が及ばなかったかもしれない。次第に人間の方が多くなっているのだ。
自分が出ることもなかっ
た。そう思って、それが良かったと思うことに自己嫌悪する。これ以上自分の手を血に染めたくないと、自分勝手な願いを理解していたから。
だからなのだろうか。そん
な自分を責めるかのように、彼女の前へとゆっくり現れる人物がいたのは。
「……!?」
目の前の人物をまるで幽霊
を見るかのように、声にもならず凝視していた。
「……久しぶりね。……カン
ナ」
「な、何で……何で貴女がこ
こに…!マリーア!」
自らの名を呼ばれ、マリー
アは軽く悲しげな笑みを返す。こうやって二人で話すのはいつぶりなのか。それすらも分からなかった。
「時間がないわ。今すぐに騎
士たちを退かせて」
「何を急に……!」
「貴女だってこの戦いは本意
じゃないでしょう?」
まるで自分のことを何かも
分かってるという言い草。それが事実なだけにカンナは苦しかった。素直に頷くことも出来ず、頭が混乱した状態が続く。
「何で……海に落ちたっ
て……死んだって聞いていたのに……」
「海に落ちたのは事実だけ
ど、生憎と死んではいないわ」
「じゃぁ……本当に…生きて
いたの……?」
「えぇ。私は、まだ死ぬわけ
にいかないから……」
「……!?ふざけないで!ラ
イルを……ライルを殺しておいて、どうしてそんなことが言えるの!!」
マリーアが生きていたとい
う事実。嬉しさと怒り、相反する感情がカンナの中に流れる。
「違うわ!ライルを殺したの
は私じゃない!」
「嘘、嘘よ!みんな……みん
な貴女が殺したって!」
「私じゃないわ!お願いよ、
カンナ……それだけは信じて……」
「だったら誰がライルを殺し
たの!?あのライルがそう簡単に死ぬはずないじゃない!」
「それは……」
全てを信じたくて。けれど
全てを信じられず。カンナにだってマリーアがライルを殺したなどと、本気でそう信じているわけではない。けれどそう思ってマリーアに怒りをぶつけないと、
気がすまなかった。自分を強く保つために、そう思い込むしかなかったのだ。
言葉を濁すマリーアを、カ
ンナは縋るような眼で見つめた。
「……ごめんなさい。今は言
えない……」
「マリーア!」
「信じて、カンナ!今はそれ
だけしか言えないのよ!」
お互いに視線を交わす。カ
ンナはマリーアの言葉を信じたかった。けれどそう簡単に信じることができない。それは昔に起こったことが関係しているからで、それはカンナにとって初めて
マリーアを恨んだ時でもあったから。
「私は……」
「……無理もないわ。あの
時、私は貴女を裏切ったのだから。……だから、貴女が私を信じられなくてもいい。だけど!ライルのことは信じて!今貴女がしていることは、ライルが望むよ
うなことなんかじゃない!貴女だって分かってるでしょう!?」
「……!!」
何も言葉を返せなかった。
マリーアの言葉は正しくて、今眼に映る光景をライルは決して許さないだろう。すでに死んだ人間のことを思う必要などあるのかも分からないが、それほどまで
に彼女たちにとってライルという人間は大きいものだった。
しかし、それでもカンナは
そう簡単に頷くことはできないのだ。
「私は……私は帝国の人間な
のよ!命令が下されている以上、退くことは許されない!」
「カンナ!!」
「今さらよ……。今さら私の
前に現れて……この十年間どれほど私が惨めな思いをしてきたか!貴女は知るはずもない!」
「カンナ……」
「別に……あの時の一度だけ
なら私だって貴女を許せたわ……。だけど貴女たちは最後の最後でまた私たちを裏切った!私はそれが許せないのよ!貴女だけじゃない!ライルだって許せな
かった!」
その激昂と共に、カンナは
自ら剣を引き抜いてマリーアに攻撃する。マリーアは反射的にそれを避けるが、その眼は驚きに染まっていた。
「何を……!」
裏切られた人間の想いは、
やり場もなくどうしようもなかった。信じていたのに、突然の裏切りで。その後に、罵る時間さえ与えてもらえなかった。
カンナは湧き上がる想いを抑
えて、自らを帝国騎士なのだと強く心へと刻み込む。
「マリーア……私は貴女を見
逃すわけにはいかない。ライルのことで弁解があるのなら、それはアルスタール城で聞くわ」
「……」
剣の切っ先をこちらへと向
けながら、カンナは動揺を見せながらもそう宣言した。そしてマリーアの返事も待たずに、自ら動き出す。
「ッ!」
カンナもまた武器を剣とし
ているが、その形状は普通のよりも細い小剣だった。攻撃としての性能はやや劣ってしまうが、その大きさから素早く器用な攻撃が繰り出される。この小剣をカ
ンナは極めており、恐らくセリアンス大陸ではカンナの右に出るものはいないだろう。この力があったからこそ、若くして女の身ながら騎士団長の座まで辿り着
いたといっても過言ではなかった。
そのカンナの素早く鋭い攻
撃は、マリーアですら避けることで精一杯だ。反撃すらもままならず、防戦一方となりつつあった。
「止めて、カンナ!」
「貴女が素直に捕まるという
なら止めるわ!」
制止する声も振り払われ、
カンナは攻撃の手を休もうとしない。このままでは埒が明かないとマリーアは判断し、カンナに有効であろう言葉を投げかけることにした。
「貴女が第三騎士団に入った
のは妖精を滅ぼすためだったの!?貴女がしていることをライルが知ったら絶対に悲しむわ!」
「……ッ!」
例えライルを許せなかった
としても、それでもカンナにとっては大切な一人であることに違いはなかった。皮肉なことだろう。親友だった二人が同じ人間を愛したばかりに、その関係に亀
裂が入ったのだから。
動揺を見せたカンナに、マ
リーアは瞬時に動いて武器をその手から外させた。カンナは苦々しい気持ちでマリーアを睨みながらその距離を取る。その姿には後退という気持ちが微塵も感じ
られなかった。
「……どうあっても退かない
と言うの?」
「……えぇ」
「そう……。残念だわ、カン
ナ……」
突然マリーアは片手を上空
へと掲げ、空に眼に見えるほどの大きな<気>を発した。それはすぐに霧散していったが、マリーアのことを知るカンナは今の行動が何かを示していたことにす
ぐに気づく。
「何をしたの!」
「合図よ」
「合図……?」
「もし私の説得に貴女が応じ
なかったら、合図を出さなければいけない」
「いったい誰に……まさ
か!?」
これでも第三騎士団長でも
あるカンナは、今の会話だけで全てを悟った。セクツィアへ踏み込んでから未だ一度も見ていない種族がある。
「気づいたのね」
「……マーメイド」
カンナがその言葉を紡ぐと
共に、上空では何か変化が起こっていた。それをカンナは注意深く観察していると、その空より突然隕石のようなものが現れたのだ。隕石と呼ぶには程遠いもの
だが、その頑丈そうな石はその下である戦場へと落下していく。一つだけでなく、次々とどこからか現れたその石たちは全てが戦場へと降り注ぐ。しかもそれは
全て自分たち帝国騎士団の人間にしか当たっていなかった。
「これで戦況は逆転していく
わね」
「くっ……!」
「退いて、カンナ。これ以上
犠牲を出したくない。それは貴女だって同じでしょう?」
「マリーア……」
カンナは苦渋の顔に満ちな
がらも、残された道は一つしかないということを理解していた。潔く戦場の味方へ撤退の号令を出す。その様子を近くで見ていたマリーアはホッとしていた。
「ありがとう、カンナ」
「勘違いしないで、マリー
ア!私は貴女のことを許したわけでも、信じたわけでもないわ」
「……分かってるわ」
「貴女はすでに反逆者。次に
会うことがあったら、その時は私が貴女の命を貰う!」
「そんな時が来ないことを願
うわ……」
「……ッ!」
カンナは
それと同時に踵を返し、アルデリア砦を通って帝国領へと引き返していく。その後を第三騎士団の面々も続いていた。その様子をマリーアは横から見守っていた
が、誰一人後ろを振り返るものはいなかった。