Mystisea
~想いの果てに~
七章 歩みだす世界
01 エレン
生きていく上で最低限必要
なものしか置いていない狭い牢。その牢にセリアは一人ただその時を待つだけだった。
「セ
リア」
ふと自分を呼ぶ声が聞こえ、セリアは外を見る。鉄で出来た頑丈な扉の上部に、かろうじて外が見える鉄格子があった。そこから見えるのは、まだ少ない人生で
唯一愛した男の顔。久しぶりに見るその男の名を、セリアは口にする。
「シュー
イ……」
「……
すまない。会いに来ようとは思ってたんだが、忙しくて……」
「い
いのよ、別に」
謝罪するシューイに、セリアは嬉しさと悲しさの感情が押し寄せる。今までセリアに会いに来る人間といえば、アランナかリンダだけであった。だからこそ久し
ぶりに会ったシューイを嬉しく思うが、その一方で会いたくないという想いもあったのだ。
「セ
リア……もう少し辛抱しててくれ……。必ずお前をここから出してやるから……」
「シュー
イ……」
貴方は分かっていないわ。そう口に出したいけれども、セリアは何とかそれを押し止めて笑顔を見せる。
「心
配しないで。慣れれば、この生活も大したことないわ。別にひどいことされてるわけでもないし」
「だ
が!辛いだろう……。その首だって……」
シューイはセリアの首に巻かれる銀製の首輪を見る。これは魔力を一時的に失わせる物で、魔道士を牢に入れる時は必ずつける物だ。セリアも例に漏れず、無理
矢理これをつけさせられていた。
「シュー
イ。私は貴方の方が心配よ。お願いだから、私のために無理はしないで……」
「セ
リア……」
愛しく、その名を呼びながら、シューイは手をセリアのもとへ伸ばしたかった。セリアも同じようにシューイに触れたかったが、それも叶わないために二人は互
いに見つめあう。
しかし時間もなく、すぐにシューイは次の仕事に取り掛からなければならかった。
「セ
リア、俺を信じてくれ。絶対にお前だけは俺が守る」
そう言い残し、シューイは名残惜しみながらも背を向けて去っていく。残されたセリアは涙を流しながら、シューイの無事だけを祈った。
「……
ありがとう。その気持ちだけで十分よ」
一度想いだすとキリがなく、セリアは冷たい壁に背を向けながら、声を出さずに泣き始める。もはや心のどこかで近い未来を感じていたのだ。
そ
んな時――誰もいないはずの牢で確かにその小さな声がセリアの耳に届いた。
「泣
いているの?」
「え……」
小
さな、小さな声だった。けれど確かにそれを耳にしたセリアは、顔を上げて周囲を確認する。しかしそこにはやはり誰もいなかった。
「泣
いているの?」
「誰……?
誰かいるの……?」
それでも再び聞こえてくる声に、セリアは自ら問いかけた。
「聞
こえるの?私の声が聞こえるの?」
「誰
なの?どこから……」
「こっ
ちだよ。この壁の向こうにいるの」
それは確かにセリアが背を向けていた壁の方からだった。そこへ注意深く耳を傾け、もう一度セリアは確認する。
「こ
の向こうに、いるの?」
「そ
うだよ。やっと、通じた。あなたがここに来てから、ずっと話しかけていたの」
それはまだあどけない小さな少女のような声だった。けれどセリアはこの壁の向こうに誰かがいることに驚きを隠せない。
セ
リアがいるこの牢は頑丈なもので、重要な犯罪者を捕らえておく場所だった。そのために牢獄の中でも奥のほうに位置しており、この牢のさらに奥には隣にある
最も頑丈な牢屋しかないのだ。扉にも鉄格子など何もなく、壁でさえ他の牢よりも一際分厚く出来ている。まさに誰かを閉じ込めるためにあるようなものだっ
た。
しかしその牢には何年も、誰も入れてないと聞いていた。そのはずであった。
「嘘
でしょ……」
「ねぇ、
私の声が聞こえるんだよね?」
「貴
女はいったい誰なの?どうして誰もいないはずの牢に……」
セリアは恐ろしさに身が震えるようだった。しかしその声の持ち主は、無邪気に明るく自らの名を口にする。
「私?
私の名前はエレン。あなたは?」
「わ、
私は……セリアよ」
「セ
リアさんって言うんだね」
いるはずのない人物。あどけない声を放つその少女は、どれほどの罪を犯してここにいるのだろうか。姿は見えないけれど、しかしセリアはこの少女が何かの罪
を犯したとはとても思えなかった。
「私、
ここで毎日退屈してるの。ねぇ!良かったら私とお話して!私、外が知りたい……。今どうなってるのか……」
ふと絶望にも似た声になり、ますますセリアは混乱してしまう。けれどその寂しさがセリアにも伝わってきていた。知らぬうちに、口から言葉が出る。
「い
いわよ。私が知ってることなら、教えてあげる」
「久しぶりですね……」
またここへ来ることを、あの時のリュートたちは予想していただろうか。
港
町サレッタ。その奥にある港では、あの時のように多くの船乗りたちが騒がしく働いていた。
リュートたちはこの町に着くと真っ先にそこへ向かう。未だにマリーアたちはお尋ね者のままで、その顔が全ての国の町などに広まっているわけではないが、呑
気に街中を歩く度胸はなかった。
マールへ行くことが決まった三人であったが、そこへ到達するルートには船を選んだ。今でも国境のジュデール橋にも帝国騎士団が配置されていることはないだ
ろうが、確実性を言うなら船であろう。すでにマリーアはサレッタの船乗りが協力してくれるだろうと確信もあった。
港
に着くとマリーアたちは歩きながら目的の人物を探す。しかしその必要もないようで、向こうから三人へと接触しにきた。
「久
しぶりだな」
肩を叩かれ振り向くと、豪快な笑顔を見せたダインがいた。
「ダ
インさん……。良かった、探していたんです」
「そ
うか。……ここで話をするのもまずい。俺んとこの船室に行こう」
「……
はい」
マリーアとて好都合だ。ここにいる人たちが全て味方してくれると思っているわけでもないので、誰が聞いてるかも分からないとこで話すのも危ない。大人しく
ダインの後を着いていく。そしてその向かった船を見ると、驚きに声を上げていた。
「す
ごい……!これってダインさんの船なんですか!?」
「そ
うだぜ、坊主。驚いただろ!」
リュートは目の前にある大きな船に憧れの視線を向けていた。
「フィ
レーネ号。世界一の大きさを誇る船だ。そしてこの船の船長が俺ってわけだ」
「凄
いじゃないですか!なぁ、ヒースもそう思うだろ!?」
「あ、
あぁ……」
今となってはセリアンス大陸にある港町は4つ。それらにある
船の中でも、フィレーネ号はまた一段と格が違っていた。その名を知らぬ者は船乗りたちの中では誰一人いない。それほどに認知度も高かった。そしてその大き
な理由もあるのだ。
「俺
の夢はな、このフィレーネ号でいつかは海の嵐を越えることだ」
「海
の嵐を!?」
「そ
うだ。それが並大抵のことじゃないのは分かっている。過去にどれほどの船乗りたちがその夢を目指し、そして砕け散っていった。俺だってすでに一度失敗して
いる。無事に帰ってこれただけでも奇跡なのは分かってるんだ……。だがそれでも俺は絶対に叶えてみせる!それが男の夢ってもんだからな!」
話
している時のダインの顔はまるで子供のようだ。だけどリュートはそれが凄く格好良く見え、自分にもそれだけの夢が欲しいとも願った。
「まぁ
とりあえず上がれ!中に船室がある」
「やっ
たな、ヒース!この船に乗れるぞ!」
一人はしゃぐリュートに、ヒースは少しだけ笑顔を浮かべていた。こういうことに余り興味がいかないヒースにはよく分からなかったが、リュートが笑っている
だけで自分も笑えるような気がしてくるのだ。自分では気がついていないが、マリーアにはよく分かる。出会った頃はまるで感情もなかったけれど、今では全然
違っているのだ。
「上
がりましょう、ヒース」
「あぁ」
リュートを見るヒースにマリーアが声を掛け、二人もリュートに続いてフィレーネ号に乗り込んでいった。