Mystisea

〜想いの果てに〜



七章 歩みだす世界


10 最強の魔獣









「何で<グナー>がこんなとこに!?」

 マリーアは呆然とした想いでそれを口にする。

「あれが<グナー>……」

 リュートもまた初めて見るその存在に恐れを抱いた。しかしそれはリュートだけでなく、キットもキッドも、カールストンでさえも同じだった。そこにいる誰もが動けないでいると、<グナー>は静かに人間たちの近くへ来る。その眼は明らかに獲物を見る眼だった。

「グギァァァァァ!」

 <グナー>は奇声を上げながら物凄い速さで突進し、鋭い爪を持った前足を獲物に向かって一振りする。

「ウァァァッッ!」

 それにより数人の帝国騎士が吹き飛ばされ、一瞬で絶命する。すぐに<グナー>は次の獲物を定めるように眼を光らせる。

「ば、化け物だ!!」

「逃げろ!!」

 真っ先に恐れをなして逃げ出すのは、先ほどの攻撃を間近で見たほかの帝国騎士たちだった。散り散りに逃げていく帝国騎士団。それを見たカールストンが怒りと恥で顔を真っ赤にさせながら彼らに向かって怒鳴り散らす。

「何を逃げている!お前たちそれでも帝国第一騎士団か!?陛下に忠誠を誓う誇りを持て!あんな魔獣など我々が蹴散らすのだ!!」

「し、しかし相手は<グナー>ですよ!?人間が勝てる魔獣じゃありません!!」

「何を弱気になっている!戦う前から逃げてどうする!!いいか、これは命令だ!これより帝国第一騎士団の我が部隊は<グナー>と交戦する!逃げる者は帝国に逆らう反逆者だ!!」

 その怒声がリッシュ草原に響き渡り、カールストンを除く全ての帝国騎士たちは愕然とした。<グナー>と戦うことなど、自殺行為を意味するも同じだ。しかし逃げては反逆者となってしまう。

「止めなさい!いくら帝国騎士団でも<グナー>に勝てるはずがないわ!」

 戦おうとするカールストンに、マリーアは制止の声を掛ける。しかしカールストンはそれに鼻で笑うだけだった。

「我らを甘く見るなよ!安心しろ、あいつの次はお前たちだ!必ずお前たち反逆者を陛下の前に連行させてやる!」

 マリーアの言葉にも耳を貸さず、カールストンは剣を構えて<グナー>と対峙する。残りの帝国騎士たちも、観念したかのようにカールストンの後ろへと並んだ。しかしキットとキッドはやはり迷いを浮かべ、そしてリュートへと視線を向ける。

「キット!キッド!止めろ!!」

 リュートも同じように二人を止めようとした。勝てるわけがない。誰もががそう思っているのだ。しかし帝国に逆らえるはずもない。それほどまでに帝国という存在は大きかった。

「なぜこんなとこに現れたのか分からないが……覚悟しろ!」

 カールストンは<グナー>に向かって走り出す。これでも帝国第一騎士団の副団長の肩書きを持つ男だ。その実力は決して低くはない。しかしそんな男を以ってしても、<グナー>にとっては赤子を捻るも同然だった。

 <グナー>が迎え撃つように、走ってくるカールストンに向かって前足を踏みつけるように狙う。しかしカールストンはそれを予想していたように素早く避け、その頭に向かって勢いよく跳び、剣を振り下ろそうとする。

「いけない!!」

 それを見ていたマリーアは無駄だと思いつつ叫ばずにはいられなかった。そこにいた誰もが、その後の悲惨な光景を眼にする。

 <グナー>の一撃を避けたカールストンだったが、自身の攻撃を振り下ろす前に<グナー>の第二撃が自分を襲った。跳躍したカールストンはその態勢から動くこともできず、<グナー>は自分にその剣が振り下ろされる前に素早くカールストンの身体に噛み付いたのだ。

「ゥァッッ!!」

 声にもならない悲鳴を上げ、その場に<グナー>がカールストンの身体を噛み砕く残酷な音が聞こえる。それは人間を食べ物にするかのように、やがて<グナー>の体内へとカールストンの身体は飲み込まれた。

「そ、そんな……!!」

 恐ろしさに誰もが動けずに震えだす。しかし<グナー>はそれでも満足がいかないように、すぐに次の獲物に狙いを定める。人間よりも遥かに素早いその動きに、逃げる暇もなく次々と帝国騎士団はその数を減らしていった。

 無抵抗にやられていった帝国第一騎士団は僅か数分にも満たないうちに全滅し、残るはキットとキッドの二人だけになっていた。<グナー>は眼を光らせながら、キットとキッド、そしてその後ろにいるリュートたちに狙いを定める。

「ぁ……ぅぁぁ……」

 間近でその惨劇を見ていたキットは逃げなければと頭では理解しつつ、けれど恐ろしさに身体が動かなかった。

「キット、キッド!逃げなさい!!」

  マリーアは必死に二人に呼びかけるが、そこから二人は動けなかった。それが分かったマリーアは、二人を助けるために<グナー>の前に躍り出ようとする。し かしそれより早く、<グナー>が先に動き出した。狙いは動かずに震えるキットで、その身体に無残にも噛み付こうとする。

「キット!!」

 誰もがその直後に来る惨劇を目の当たりにするかと思えた。しかし<グナー>の攻撃はキットへと当たりはしなかった。
 何が起こったのかを理解するのに時間を要したが、やがてキットは自分と<グナー>との間で、苦しそうに顔を歪める半身を呆然と見つめる。

「何で……キッド……キッド!!」

 <グナー>がキットに噛み付く寸前、キッドが素早くその間に割り込んだのだ。剣で<グナー>の攻撃を防ごうとしたために、一瞬でその命の灯火を消すことはなかったが、その右肩には<グナー>の牙が鋭く突き刺さっていた。

「キッド!!」

 ようやくそこへ辿り着いたマリーアが、<グナー>に鋭く蹴りを入れる。すると<グナー>は軽い悲鳴を上げながら、後ろへと僅かに下がりマリーアを警戒した。<グナー>が離れ、その場に蹲るキッド。その身体を抱え、キットは懸命にキッドへと呼びかけた。

「キッド!しっかりしろよ!!キッド!!」

 先ほどまで震えて動けなかったにも関わらず、今はそれが嘘のように自由が利いた。キッドは痛みに顔を歪ませながら、キットの無事を確認して安堵する。

「お前が無事で……良かった……」

「何言ってんだよ!!何であんな馬鹿なこと!!」

 キットは涙を流して、怒りと悲しさと嬉しさを織り交ぜながらキッドに怒鳴った。

「キッド!大丈夫か!?」

 リュートもキッドの無事を確認するために側へとやってきた。けれどその傷の深さに思わず顔を顰めてしまう。

「リュート!キッドが……キッドが!!」

 錯乱しながら詰め寄るようにリュートの服を掴むキット。その姿をリュートは痛ましそうに見る。けれどここにはキッドの傷を回復できる人間はいない。リュートはただキッドを心配することしか出来なかった。そんな彼らのもとに、マリーアの大きな声が響く。

「リュート、ヒース!キットとキッドを連れて遠くまで逃げなさい!!」

「先生!?何言ってるんですか!!」

 マリーアは<グナー>と対峙して、改めてその存在に恐怖を覚える。きっと一人では絶対に敵わないだろう。けれど時間稼ぎにはなるだろうと思った。その間にリュートたちが逃げられればそれでもいい。

「いいから早く!すぐにどこかの町に行ってキッドを診てもらって!」

「ダメです、先生!一人じゃ勝てるはずありません!」

  リュートはマリーアを止めようとするが、マリーアと<グナー>はついに交戦を始めた。<グナー>の素早い動きを見切りながら、マリーアは攻撃をいれてい く。しかしやはり相手は最強と謳われる魔獣のうちの一体だ。強烈な体当たりがマリーアを襲った。吹き飛ぶマリーアに追撃を与えるように、<グナー>はさら に突進していく。

「先生!!」

 ここからではリュートはマリーアを助けることが出来なかった。マリーアに向かって叫ぶリュートだが、束の間にその身体を颯爽と横切る人物がいた。

「掲げる灼熱を以って、その身を焦がせ!」

 その詠唱と共に<グナー>の身体に発生する大きな炎。<グナー>は悲鳴を上げ、その場で暴れまわっていた。その隙にヒースはマリーアの側へと辿り着き、その身体を起こした。

「ヒース……ありがとう」

 マリーアはヒースに礼を言うが、ヒースは少し怒った顔でマリーアに詰め寄った。

「……あんた、言ったよな。……俺たちは守られるほど弱くない。自分を犠牲にして俺たちを守ろうとするな!俺たちは……仲間なんだろ?一人で戦おうとするなよ!」

「ヒース……」

 そのヒースの言葉に、マリーアとリュートは嬉しさと共に感動した。初めて仲間だと言ってくれたのだ。ヒースにとってリュートだけでなく、マリーアもすでに認めていたのだ。マリーアは激しい後悔をしながら、けれど凄く嬉しい気持ちでいっぱいだった。

「グゴァァァァァァ!!」

 マリーアが立ち上がると同時に、<グナー>は激しい奇声を上げて怒りの闘志を燃やしていた。すでにヒースが放った炎は消え去っている。

「あんたは少し下がっててくれ」

「ヒース!?」

「俺に考えがある……」

  <グナー>の怒りの視線を受けながら、ヒースは僅かに震えを見せる。話で聞いていた<グナー>という魔獣。生半可な魔術では倒すことはできないだろう。だ からこそ、ヒースはここで本気を出そうとする。それがどれほど強いのかも分からない。けれど確かにヒースには自信があった。

「ヒース!何をする気だ!?」

「黙って見てろ」

 ヒースは一度眼を瞑り、精神を高めて集中する。そして自分の心の中にいる存在へと呼びかけた。

「……今こそお前の力が欲しい。その大いなる炎を掲げ、我が前へと現れろ。出でよ……サラマンダー!!」

 瞬間、ヒースの身体から激しい炎が立ち昇った。けれどその炎からは熱さを微塵も感じない。その炎が全て天へと昇っていくと、それはヒースの前へと降り立ち、そして形へと為す。炎を纏った小さな竜が現れ、その存在に誰もが驚いた。

 ――やっと呼んでくれたのだな

「あぁ……。待たせて悪かったな」

 その声はヒースだけでなく、リュートたちにも聞こえていた。何が何なのか分からなかったが、真っ先にそれに気づいたのはマリーアだ。

「まさか……それが精霊……?」

 その問いかけに、ヒースは不敵に笑みを浮かべるだけだった。