Mystisea

〜想いの果てに〜



七章 歩みだす世界


11 サラマンダー









 マール城の魔導の間にて不穏とも言える空気が流れていた。
「リッシュ草原に魔獣の気配だと!?」

 その場にいる三人の男のうちの一人、ミラが部屋に響き渡るほどの声を上げた。それに対し副官であるラージュが的確に報告する。

「はい。先ほど、リッシュ草原より確かに気配を感じました。しかもそれはあの<グナー>です……」

「まさか封印が破られたというのか……」

 険しい表情をするミラとラージュ。それは<グナー>の強さを恐れているからこそだった。しかしそこにいたもう一人の男が、その話を全部理解できないでいた。

「いったいどういうことなんだ?あんたたちが言うなら<グナー>が現れたことも信じられるが、封印っていったい……?」

 マールにとって部外者でもあるその男の疑問は当たり前であり、その答えをミラは簡単に説明する。

「私も詳しく知っているわけではないのですが……昔からリッシュ草原には<グナー>が封印されていたのです。ジル様に聞いたところではそれも八十年前の出来事とか」

「八十年前……?そんな昔に何で<グナー>なんかが……。しかも八十年前っていえば、確かノーザンクロス王国との戦争があった頃じゃ……」

「そうです。その戦争と関係があったのかはジル様も教えては下さりませんでしたが、とにかくあそこに<グナー>が封印されていたことは確かです。今まで封印が破れる気配もなかったというのに、なぜ今になって……」

 ミラはその理由も分からず、困惑するばかりだった。<グナー>と直接対峙したことはないとはいえ、その強さは人間が容易に勝てる相手ではないことは分かっていた。このまま放っておくには余りに危険で、すぐにでも対応する必要がある。

「どうしますか?魔導師団はすぐにでも動けるよう準備は整っていますが……」

「分かっている。しかし肝心のジル様が……」

 いまだ不在であるこの部屋の主のことを思うと、ミラは怒りにも似た感情が湧いてくる。そんなことを思っていると、突然魔導の間の大きな扉が開いた。

「呼んだかの?」

「ジル様!!」

 悪戯が成功したような笑みを浮かべながら、そこには紛れもなく導王ジルが佇んでいる。ジルは三人の顔を見回しながらゆっくりと玉座に向かって歩き、そして余裕の笑みを以って玉座に座り込んだ。その姿はまさしく王の貫禄を放っていた。

「ジル様、今までどこにいたんですか!?帝国の使者もやってきて大変だったんですから!」

「悪い悪い。ちょっと近くまで散歩にな……」

「全く貴女という人は……。まぁいいです、それより気づいていますか?<グナー>の封印が急に解けてしまいました」

 ミラはすぐにジルに報告をするが、ジルはそれを聞いても慌てた素振りは一切見せなかった。

「分かっておる。恐らくは何者かが破ったんじゃろう」

「何を呑気なことを言ってるんですか!すぐに魔道師団を動かすご命令を!」

「そうじゃな……。ミラにラージュ、お主らが小隊を率いて行け」

「正気ですか、ジル様!?相手はあの<グナー>ですよ!?幾らなんでも小隊だけでは危険すぎるかと……」

 <グナー>の強さを知っているはずのジルから出た言葉は、ミラを驚かせるには十分だった。ジルの真意が読めず、ミラは困惑するばかりだ。

「大丈夫じゃ。お主らは援護をすればいい」

「援護……?いったい誰の……」

「行けば分かる。そうそう、お主も付いて行け。知ってる相手じゃぞ」

 そう最後に、ジルは一番後ろにいた翠髪の男に声を掛けていた。







 静かに対峙する<グナー>とヒース。その間にヒースを守るように立つのは炎の精霊サラマンダー。そしてヒースの後ろにはマリーアとリュート、キットとキッドが半ばその存在に呆然としていた。静寂する中、真っ先に声を上げたのは興奮気味のリュートだ。

「す、すげぇ……すげぇよ、ヒース!!これが精霊なのか!?」

「そうだ」

 興奮するリュートに対し、ヒースは淡々と答える。しかしその中でマリーアがふとした疑問を上げた。

「でも……確か精霊って私たち魔力のない人間には見えないはずじゃ……」

「あ!そういえば確かムークさんがそんなこと言ってたような……」

 しかし現にリュートにもマリーアにもサラマンダーの存在は認識できている。はっきりとヒースの目の前にその存在がいるのだ。その答えにヒースも分からず答えあぐねていると、代わりにサラマンダーの声が彼らの頭に響く。

 ――それは契約していない精霊のことだ。我のように契約した精霊は、魔力を持たない人間にも姿が見えるようになる

「そう……」

 マリーアは自分の頭に響くその声に戸惑いながらも、僅かに頷いた。

「けど凄いじゃないですか!俺たちにも精霊が見えるんですよ!?」

 興奮が抑えきれないリュートは騒ぎ立てるようにサラマンダーへ近づこうとする。しかし途端に膨れ上がるサラマンダーの炎の熱さに顔を顰めた。

 ――やはり面白い男だな……

「……?」

 ――危険だ。お前は下がっていろ

 サラマンダーはリュートを下がらせると前を向いて<グナー>と無言の視線を交わした。<グナー>はすぐにでも襲い掛かるような小さな唸り声を上げていた。

「やれるか?」

 ――もちろんだ。お前の期待に応えよう

 ヒースの問いかけに頷くサラマンダー。その身体は小さいが、強さはかなりのものだと分かる。辺りに緊張した空気が流れ、やがて<グナー>とサラマンダーが同時に動き出した。

 敵と定めたサラマンダーに素早く突進する<グナー>。それに対しサラマンダーは口から大きな炎を<グナー>に向かって吐き出した。それは通常の魔道士の魔法よりも強烈な威力であり、その炎が<グナー>の身体を包み込む。

「グギュァァァァッッ!!」

  先ほどのヒースの魔術を受けた時よりも大きな悲鳴を上げながら、けれど<グナー>は構わずにサラマンダーの前へと走る。大分離れていた距離は一瞬ともいえ る間に縮まり、<グナー>は炎に包まれながらもサラマンダーへ噛み付こうとした。しかしそれを受ける前に、サラマンダーは素早くその攻撃を避ける。それは リュートたち人間から比べればかなりのものだったが、<グナー>の常識を超える素早さには敵いはしなかった。すぐさま<グナー>はサラマンダーを追い、そ の身体に勢いよく噛み付く。

「サラマンダー!」

  小さな身体に無惨にも噛み付く<グナー>。サラマンダーの悲鳴が今にも聞こえてきそうだと思った時、サラマンダーの身体は急に激しく燃え上がった。その熱 さに思わず<グナー>はサラマンダーの身体を離す。身動きが自由になったサラマンダーはそのまま後退しながらも素早く炎を<グナー>に向かって吐いた。 <グナー>はその攻撃を直撃しながらも、逃さずに百八十度自身を回転させ尻尾で強烈な一撃をサラマンダーに当てる。その攻撃でサラマンダーもヒースの近く へと吹き飛ばされた。

「大丈夫か!?」

 ――……問題ない

「サラマンダー……」

  精霊という存在がどれほどの強さを持つのかヒースはまだ知らない。そしてまた<グナー>という魔獣がどれほどの強さを持つのかも知らなかった。しかしこれ だけはヒースにも分かる。サラマンダーも<グナー>も、どちらも今ここにいる人間たちよりも遥かに強いということだ。ヒースはサラマンダーの助けになれな いことを悔しく思った。

 ――下がってくれ。ここにいてはお前も危険だ

「だが……」

  ヒースはこちらを睨む<グナー>に視線を向けた。良く見れば<グナー>の身体の何割かはサラマンダーの炎によって火傷を負っている。しかしそれでも<グ ナー>に弱った感じは見られなかった。精霊と魔獣の壮絶な戦い。そこに人間である自分が加わることに意味があるのだろうか。そう思った時、ヒースの両隣に 二人の人物が立っていた。

「リュート……マリーアさん……」

 二人は真剣な眼をしながらも、ヒースに向かって笑いかける。

「いくらなんでも精霊一人に任せるわけにはいかないだろ」

「私たちは仲間よ。リュートもヒースも……そして精霊もね」

 <グナー>の強さを知らないわけではあるまい。けれど、それでも二人はこの戦いに参加しようとしていた。

 ――馬鹿な真似は止せ。あの魔獣の力は人間が敵うものではない

「そうかもしれない。けど、俺は馬鹿なんだ」

「精霊だからという理由で、一人で戦おうなんて思わないで。ヒースは私たちの仲間よ。貴方がヒースの精霊だというなら貴方も私たちの仲間じゃない」

 二人の想いにヒースは自然と胸が熱くなる。するとすぐにヒースも決意して立ち上がり、二人と共に並んだ。

 ――ヒース……

「やるぞ、サラマンダー」

 ――……分かった。だがお前は我が必ず守ろう

 リュートたちがサラマンダーと一緒に並んだ時、<グナー>もまた咆哮を上げてリュートたちを睨みつける。その視線に恐れを抱き、彼らの戦いを止めようとした人物もいた。

「止めろよ……リュート!先生!」

「キット……」

 傷つき今にも気を失いそうなキッドを抱えながら、キットは涙を流して二人へと叫んだ。

「あいつの強さは見ただろ!?副団長でさえ一瞬でやられたんだ!!勝てるわけないじゃないか!!」

「そうね……確かに私たちだけじゃ勝てないかもしれない。けれど今は強い仲間がいてくれてるわ」

 マリーアがキットに優しく声を掛けた。キットにはその言葉が何を意味しているか分からない。呆然とマリーアの眼を見返していた。

「心配するなって。俺たちにはヒースと精霊がいるんだ」

「ヒース……」

 キットはずっと前から気になっていた魔の子へと視線を向ける。最近聞いた反逆者たちと行動する魔の子という存在。それはこの眼で見るまで信じてもいなかった。けれどそのヒースという魔の子は、今キットの目の前にリュートと一緒に肩を並べていた。

「お前はキッドの側にいてやれよ」

「リュート……何で……」

 何で。その続きの言葉が言えなかった。キットは傷ついたキッドに視線をやり、大事そうにその身体を気遣った。自分と全く同じ顔をした半身。兄弟でもなく、他人でもなく、それは本当に自分自身でさえも思えた。

「グゴァァァァァッ!!」

 <グナー>が幾度目かの咆哮を上げる。それを聞いたリュートたちは汗を一つ流しながら、緊張した面持ちで<グナー>に対峙した。サラマンダーによって火傷の痕が出来ているといえど、未だ<グナー>は健在に変わりはない。

「俺たちはここで倒れるわけにはいかない!」

 リュートは剣を構えて<グナー>に向かって走り出した。