Mystisea
〜想いの果てに〜
七章 歩みだす世界
13 不死身の男
黄金色に輝いていく<グナー>の身体。それは<グナー>の最期の瞬間だった。黒き魔獣が、まるで光り輝く聖獣へ昇天するかのようだ。
「倒せたのか……?」
「信じられないわ……」
その様を見ながら、リュートとマリーアが驚くように口にする。決して人間が敵わないとされる魔獣だ。そこには確かに精霊の力が加わったかもしれないが、それでも人間が倒したのだ。最強と謳われる魔獣の一体を。
「大丈夫か?」
傷ついた身体のマリーアたちを心配するようにヘルムートが声を掛けた。そこでマリーアは再びヘルムートの存在に意識を奪われる。
「ヘルムート……」
ジュデール橋で確かにマリーアはヘルムートを置き去りにしたのだ。普通なら生きているはずがない。それなのに、こうしてヘルムートはマリーアの目の前に立っていた。
「そんな顔をするな……」
「あなた…どうして……」
マリーアの言葉にヘルムートはどこから話せばいいか分からなかった。とりあえず何かを口にしようとした時、後ろから追いついてきたミラたちがやってくる。
「ヘルムート様!」
「ミラ」
「ご無事でしたか。まさか本当にあの<グナー>を倒せるとは……」
「お前たちのおかげだ。助かった」
それは確かに本当の言葉だった。彼らの放った弱体化の魔法がヘルムートたちに勝機をあげたのだ。
「もったいないお言葉です。それでこの後は……」
ミラはヘルムートの隣にいるマリーアに視線をやりながら言葉を濁した。手配書だけでなら彼女の顔は見たことがあった。それは確かに国家反逆罪で、今では一番の大罪人でもあるマリーア=ホーネットだ。
「ヘルムート……いったいどういうこと?」
「あぁ……お前たちには説明しなきゃな」
マリーアは魔導師団と一緒にいるヘルムートに疑問を覚えた。あの時ジュデール橋には確かに魔導師団がいたのだ。その彼らとヘルムートがこうして一緒にいることがマリーアには不思議でならない。そう思っていると、ヘルムートはゆっくりとあの時のことを口に出した。
「あの時、俺は魔導師団に囲まれてお前たちをマールへ逃がした。すぐにアイーダたちも追いついてな、前には魔導師団、後ろにはアイーダと帝国騎士団。逃げられるはずもなかった。俺は少しでも時間を稼ぐために戦った……」
ヘルムートは自分の屈辱ともいえたあの出来事を思い出していた。
「所詮はこの程度。それでよくも大きな口を叩けたものですね」
「ぐっ……!」
ヘルムートは槍を立てて、それを必死で掴みながら立っているのがやっとだった。服はボロボロに破け、身体中の至る所に傷がある。その全てから血が少しずつ流れていた。
「ひどい……」
その戦いに加わることも出来ず、ただ逃がさないために周囲から見ることしか出来なかった魔導師団と帝国騎士団。どこからか、無残にもやられているヘルムートを哀れむ声も聞こえてきた。
「……そう思っても口にするな」
「しかしラージュ様!」
部下の一人をラージュは咎めた。帝国騎士団はともかく、ここにいる魔導師団の誰もが思っているのだ。力の差を感じずにはいられない。ボロボロになってまで戦うヘルムートを、出来ることならば助けてあげたかった。それでも、そんなことが出来るわけもなかった。
「貴方如き、私に勝てるわけもないのですよ」
「どうかな……まだ終わっちゃいないぜ」
「その身体で何が出来るというのです。……そろそろ終わらせてあげますよ」
アイーダは消えるように素早く動き、瞬間的にヘルムートの前に移動した。そのまま腕を突き出し、思い切りヘルムートの首を掴んで上に持ち上げた。ローブの先から見えるその細い腕のどこに、ヘルムートほどの男を持ち上げる力があるのだろうか。
「ぐはっ……!」
咳き込んで苦しむヘルムート。そんな姿を見ながらアイーダはただ微笑を浮かべるだけだった。
「だから言ったでしょう。素直に逃げていれば関係ない貴方の命は助けてあげたものを。最も自らあんな反逆者どもに加担した時点で……ッ!?」
ヘルムートを持ち上げた態勢で喋るアイーダに、ヘルムートは怒りを込めて上から唾を吐いた。その行動に微笑を浮かべたまま、怒りを募らせるアイーダ。
「やはり死にたいのですね」
「なめんな……。俺は不死身の男だ……お前なんかにゃ殺せねぇよ……!」
「……ふざけた人間め……。ならばその不死身の力とやらを見せてもらいましょうか」
アイーダはヘルムートの首をいっそう強く締め上げ、そして力のままに横へヘルムートを放り投げた。行き着く先は固い地面のジュデール橋の上ではない。透き通った水が浮かぶジュデール橋の下に広がる海の中だった。
「むごいな……」
響き渡る音。ヘルムートはゆっくりと海の中へと沈んでいく。ラージュはその最期を見て、誰にも聞こえないように声を漏らした。
「果たして不死身の男はその中から生きて出られるのでしょうかね……?」
(俺は死ぬのか……?)
頭の隅で感じる自分が海の底へと落ちていく感覚。ヘルムートの意識も僅かに残るだけだった。ここで意識を閉ざせば、それこそ死は間近かもしれない。
(ハッ……あれだけの大口を叩いてざまぁねぇな……)
それでもヘルムートは何とか意識だけは残すように最初は踏ん張っていた。ここで死んではならないのだ。しかし悪魔はそれを許さないかのように、ヘルムートに死神の遣いを与えた。
何もない真白な空間。そこはヘルムートの頭の中ともいえた。誰もいない、何もない世界にヘルムートはただ一人。
「これが俺の世界……?」
呟くように呆然とするヘルムート。それを肯定するように後ろから女性の声が聞こえてきた。
「そう。これが貴方の世界よ」
聞き覚えのあるその声に、ヘルムートは瞬時に振り向いた。そこにいたのは、十年前と変わらないその美しい姿。一つだけ違うのは弱々しさが見えないとこだ。
「おふくろ……」
ヘルムートはやっとのことでそれだけを口に出すと、目の前の女性はにっこりと笑った。
「やっと貴方に会えるのね。こんなに大きくなって……」
「何でここに……?」
「何で……?ここは貴方の世界よ。そこに母親がいてはいけないの?」
ヘルムートは二度と会うことが出来ないと思っていた母親を前に、嬉しさと戸惑いがあった。
「さぁ、こっちへ来て。貴方の顔を近くで見させて」
「おふくろ……」
幼少の頃に病気で亡くした母親。満足に甘えられなかったその存在に、恋焦がれるようにヘルムートはゆっくりと一歩を踏み出していた。
「本当にそれでいいのか?」
次に現れたその声は、母親とは打って変わった少ししわがれた老婆とも思えた声だった。後ろを振り返るが、そこには誰もいない。
「振り返らないで。貴方はここへ来ればいいの。さぁ、私の坊や……」
「俺は……」
ヘルムートはそこで僅かに迷いを見せた。
「お主の帰りを待つ者は多いぞ」
もう一度聞こえたその声。それに呼応するかのように現れた大柄な男。その身に騎士の鎧を纏い、ヘルムートを真っ直ぐに見つめた。
「ヘルムート様……」
次に現れたのは背も高く線の細いスラリとした女性。大柄な男と同じように、ヘルムートを真っ直ぐに見つめる。
「早く……帰ってきてください……」
「ノレイユ……レメリア……」
懐かしい顔にヘルムートも心を昔に奪われそうになる。そして次々と現れていくヘルムートが今までに出会った者たち。その誰もがヘルムートの帰りを待つように、ヘルムートから視線を外さなかった。
「騙されてはダメよ!さぁ、ヘルムート……十年ぶりに会ったんだもの。再会の祝いに抱き締めてあげるわ。早くこっちへ……」
「ヘルムート様!」
ヘルムートを挟んで両者からの呼びかけが聞こえてくる。思わず頭を抑えたくなる状況に、ヘルムートはどちらに進んでいいかも分からなくなってきた。そこにいる誰もが自分の名を呼んでくる。
「ヘルムート……」
も
はやその声が誰なのかも認識できないでいるはずなのに、ふと聞こえたその声にヘルムートは瞬時に振り返った。大柄な男と細い女性を先頭に、後ろに続いてい
く見覚えのある人たち。そしてその一番奥からその声はやってきた。赤い髪をした、笑顔の似合う女性。彼女は確かに笑っていた。
「マリーア……」
守ると誓った女性。彼女を見たとき、ヘルムートの答えはもう決まっていた。
「さぁ、ヘルムート……」
母親はヘルムートにゆっくりと手を伸ばす。同じように返せばそれは届きそうなほどの距離でもあった。しかしヘルムートはその手を首を振って拒む。
「ごめん、おふくろ……。俺はまだそっちにはいけないんだ……」
「どうして……?私はずっと貴方に会いたかった……」
「ごめん……。俺はまだやり残したことがいっぱいあるんだ……。だから会うのはそれからだ」
そうだ。ヘルムートはマリーアの顔を思い浮かべる。まだ彼女を守ってなんていないのだ。
「あぁ……ヘルムート……大きくなったのね……」
「おふくろ……」
「さぁ、そっちへ行きなさい。まだこっちへ来てはいけないわ」
「……あぁ」
名残惜しい気持ちはあった。十年振りに会えたのだ。しかしそれでもヘルムートは彼女に背を向けた。自分を待つ者たちに向かって、マリーアの姿に向かってゆっくりと歩き出す。
そして視界は暗転し、再び眼を開くと見知った幼い顔が見えた。
「貴女は……」
「久しぶりじゃの、ヘルムートよ」
「……ジル殿」
ヘルムートは目の前にいる存在に驚きながらも、水に濡れた自分の姿を見つめる。
「見違えるほどに大きくなったの。最後に会ってから何年経ったか……」
「助けてくれたんですか……?」
思い出そうとするジルを見て、ヘルムートはそれだけを尋ねた。
「……まだお主が死ぬには早い」
「……」
「何を落ち込んでおる。お主の取り柄は元気な所じゃろ」
ヘルムートは不甲斐ない自分に後悔がいっぱいだった。大きな口を叩いたくせに、アイーダに勝つことも出来ない。これじゃ守れる者も守れるはずがない。
「俺はあいつに負けました……。不死身だとかいって、貴女に助けてもらわなければ死んでいた……」
「不死身か……。そういえば昔も言っておったな」
それはまだ何も知らなかった少年時代。その頃を知るジルにヘルムートは気恥ずかしい気持ちになった。
「真に不死身の人間などおらん。それでも不死身と呼ばれる人間は確かにおる」
「……?」
「それは悪運の強い人間じゃ。そして同時に、それは強い想いを持った人間でもある。ヘルムート、お主は確かに強い想いを持った不死身の人間じゃ」
「ジル殿……くそっ!」
ヘルムートは拳を地面に叩きつけ、悔しい想いでいっぱいだった。そんなボロボロになったヘルムートを見て、ジルは優しく声を掛ける。
「まずはその傷を癒せ。考えるのはそれからでも遅くはない」
「……俺は……」
「全てはそれからじゃ。今動いても追いつけはしない……。まずはワシの城へ来い」
ヘルムートはその言葉にただ頷くだけだった。