Mystisea

〜運命と絆と〜



三 章 紫電の盾


13 降り注ぐ雷








「ど、どうして……!」
 男は目の前にある光景を信じられないような眼で見ていた。仰向けに倒れている自分を覆う格好で、空に背を向けているザガート。その背中にはいくつもの矢が刺さっていた。
「……大丈夫だ。これくらい何ともない」
 なぜザガートが自分を庇っているのか。考えれば考えるほど、男の頭は混乱していく。先ほど自分はザガートに反抗して、殴られたというのに。そんな自分を、どうして。
 ザガートがゆっくりと立ち上がる姿から、男は眼を離せなかった。
「落ち着け!ここで乱れれば敵の思惑通りだぞ!」
 最前線で混乱しきっている反乱軍に、ザガートは大きな声で一喝を入れた。矢と炎の雨によって多くの兵が倒れ、そして前方から来る帝国兵の波に押し寄せられている。まずはこの混乱を収めなければならず、ザガートは生き残った兵士を指揮していく。
「まずは戦線を矢や魔術が届かない所まで下げろ!戦列を乱さずに後退するんだ!」
 その号令に、反乱軍の兵士たちは少しずつ落ち着きを取り戻していく。ザガートに反抗していた兵士さえも、その命令に忠実に従っていた。しかし最前線にいるザガートには後ろの状況が見えていなかったのだ。
「駄目です!後ろから新たな魔獣が現れ思うように下がれません!」
「魔獣だと……!?」
  その報告にザガートは苦渋の面持ちを浮かべる。これでは攻撃が届かない場所まで逃れることも出来なかった。このままでは為すすべもなく、次々と反乱軍の兵 の数が減っていくだろう。この現状を打破するには、一つの作戦しか思いつかなかった。しかしそれを果たすことが出来る人物はここにはいない。
「まずは落ち着いて行動しろ!守りを固めて敵は確実に倒せる奴だけを倒せ!」
 自分がここですることは犠牲を最小限に止めて、ここで耐え抜くことだろう。






「この状況は危険です!ヘイス様は後ろにお下がりください!」
「馬鹿なことを言うな!俺だけ下がれるわけもないだろう!」
  隣にいるマーブルがヘイスを守ろうと勧告していた。しかしヘイスはそれに耳を傾けず、その場に残る。ヘイスが今いる場は前線で、矢や炎が降ってくる場所で もあった。それに当たらないようにロッドとマーブルが守っているが、もしものこともあるだろう。魔獣もいるがここよりは安全である後方へ退避させようとし ていた。
「しかし……!」
「今だってかろうじて兵を抑えているんだ。指揮官の俺が後ろへ下がれば動揺するだろ」
「それはそうかもしれませんが、貴方にもしものことがあれば……」
 二人の諫めをヘイスは頑なに聞き入れることはなかった。それよりも城壁にいる弓兵と魔術師をどうにかする方が大切だ。
「マーブル、あの城壁に魔術が届くか?」
「魔術……そうか!」
  勉強などサボってばかりで苦手ではあるが、こういう時には頭が回る。弓は無理だろうが、こちらも魔術で城壁にいる帝国兵を倒せないか。そう思って魔術師で もあるマーブルに確認したのだ。それにロッドがいい案だとばかりに、頷いていた。しかしマーブルはどこか渋い顔をしている。
「……出来ないことはないでしょうが、少し難しいかもしれません」
  魔術は単純に見えて結構複雑なのだ。魔術にも効果が届く範囲が限定されていて、それは術者から遠ざかるごとに多大な魔力を必要としている。それは属性や術 にもよるが、大抵はそんなに遠くまで及ぶことは出来なかった。魔力が高ければ限定されている範囲を超すこともできるが、それでも無限でないのだ。そして弓 でも同じだが、上から下へと放つよりも、下から上へ放つほうが距離は出ない。
 今マーブルがいる場所から城壁まではかなりの距離がある。全く届かないことはないだろうが、それでも不安なところだった。そもそもマーブルが得意とする氷の属性は余り遠距離に向いてはいない。遠距離に向いている属性といえば、風や雷だろうか。
「とりあえず試してみます」
「頼む」
 そしてマーブルは集中して詠唱を始める。
「研ぎ澄まされた一筋の雫、我が願いを以てして氷となり、砕け散れ。それはこの天に在りし意志。今こそ解き放ちて、自由へ穿て!」
 マーブルの頭上に現れる幾つもの氷の破片。それが勢いよく、城壁にいる帝国兵へと飛んでいった。
「よし、いけるか!」
 何ら衰えることのない速さで進む氷を見た、ヘイスの希望に満ちた声。しかしそれはすぐに落胆の声へと変わった。
「そんな!」
 さすがにマーブルも驚きの声を上げていた。確かにマーブルの魔術は城壁へと到達し、帝国兵に当たる距離でもあった。今にも魔術が帝国兵に当たるという時、それを拒むかのように城壁を覆う障壁が発生したのだ。
「防御魔術……攻撃魔術師だけでなく回復魔術師もいるなんて……」
 ロウエンが使うような簡易な大地の防御魔術じゃない。ちゃんとした、魔術を防ぐ立派な障壁だった。
  回復魔術師だって何も回復しか出来ないわけではない。こういった身を守る障壁なども張れることが出来るのだ。しかしこれらは全ての回復魔術師が使えるわけ でもなかった。使えたとしてもほんの小さなものだろう。帝国兵が展開した障壁は城壁を丸々覆うもので、通常の魔術師が一人で使うことが出来るはずもなかっ た。何より魔力の高いマーブルの魔術を防いだことから、恐らく複数の魔術師が協力して展開しているのだろう。障壁を展開した魔術師より魔力が高ければ簡単 に障壁を壊すことが出来るのだから。
「くそっ!打つ手はないのか!?」
「お役に立てず、申し訳ありません……」
 どうにも出来ない状況に苛立ったヘイスが呟くと、それが聞こえたマーブルは違うと分かっていても、自分が怒鳴られているようで気づいたら謝っていた。
「悪い、お前のせいじゃない」
「……魔術師が全員で攻撃を続ければ、恐らく破れると思うのですが……」
 しかし、それにはかなりの時間が必要になるだろう。その間に味方がやられていっては意味もないのだ。それを分かっていても、マーブルは口には出さずにはいられなかった。
「魔術師か……」
 その時、ヘイスは頭の中を一人の女が横切っていた。
 だからなのだろうか。奇跡が起きたのは。
「ヘイス様、あれを!」
 異変を察知したロッドがヘイスの名を呼んだ。それに何事かと思いながら、ロッドが示す方向をヘイスは見上げる。
「あれは……」
 それは城壁の天高くに突然浮かび上がった大きな雷雲。それは地上にいるヘイスの眼から見ても雲の中を雷が駆け巡っているのが分かった。そしてヘイスが瞬きをした一瞬、大きな音と共に雷が落ちたのだ。
「すごい……」
 その光景に思わずマーブルを見惚れ、気づいたら声を出していた。
  雷雲から放たれた幾つもの雷は、城壁にいる帝国兵たち目掛けて落ちた。それは障壁をも軽く壊し、そこにいた百以上もの帝国兵を一瞬にして戦闘不能にさせて いたのだ。その攻撃に地上で戦っていた誰もが唖然とし、けれど帝国軍からの矢と魔術の攻撃が終わったことに反乱軍は歓声を上げていた。そしてその声に呼応 するかのように、雷雲もまた消えていった。
「……この機会を逃がすな!皆で攻め立てろ!」
 ヘイスもそれを見て惚けていたが、すぐに気を取り直して攻撃を再開した。味方の士気は上がり、敵の士気は下がり始める。魔獣だけが、相も変わらず攻撃を繰り返していた。
「俺たちも前へ出るぞ」
「はい」
 すでに上空からの攻撃がなくなった今、後方へ下がることもないだろう。ヘイスが前線へと出て行くのに、ロッドとマーブルも後に続いた。






「今のはいったい……」
「まさしく、天の助けなのかもね」
 同じように雷雲の出現とその攻撃に見惚れていたアイラとグレイだった。二人は後方で魔獣と戦っている。中々途切れることのない魔獣に二人の疲れも次第に溜まっていた。
「とにかく今ので状況は私たちに傾きました。もともとも数もこちらの方が多いですし、前方にいる帝国兵もじきに片付くでしょう」
「となると問題はこっちの魔獣ね」
 次々と現れる魔獣をアイラは文句を言いながら攻撃していく。その隣でグレイもまた、自分の槍であるサラザードを振り回していた。一振りで複数の魔獣を倒すグレイを見ていると、時々自分も槍を使いたいとアイラは思ってしまう。剣ではそうもいかないのだ。
「全く……羨ましいわ」
「……?」
「何でもない」
  何の脈絡もないアイラの呟きにグレイは視線で問うたが、特にそれに返すことはしなかった。例えアイラが何度そう思ったとしても、結局自分に槍を扱うのは無 理だと分かっているのだ。槍はリーチも長く強いけれど、その扱いは剣の何倍も難しい。剣よりも重いし、問題は何よりその長さだろう。自分の身長とそう変わ らない武器を自由に使いこなすなど、アイラには到底無理なことだと思った。
「……ふぅ。そろそろ疲れたわね」
「そうですね……。けれど、休む暇は与えてくれないみたいです」
 目の前にいる魔獣を斬り一息ついていた所で、グレイは一点を見つめて険しい声を出した。アイラもグレイが見つめる場所を見やると、うんざりした気持ちになる。
「いったいどれだけ魔獣を飼ってるのよ」
 二人が見ていた方向から、再び新たな魔獣が現れたのだ。いい加減にしてほしいと思い、毒づきながらもアイラは剣を構えた。






「魔獣が無限に出てきては数の差も意味がないわ」
 魔獣の再度の到来の報告を聞いたマーブルも呆れ果てていた。隣で同じく聞いていたヘイスたちも同じような顔をしている。
「流れを止めるには……源を断て、か」
「……?」
「昔、兄貴から教わった言葉だ」
「……兄君、ですか」
 その兄が誰を指すのか、ロッドとマーブルにはすぐに分かった。二人の様子にヘイスは少しだけ苦笑してしまう。
「悪い。そういうつもりじゃなかった」
「いえ、構いません」
「それより、何か考えがあるのですか?」
「あぁ。お前たちにも手伝ってもらう」
 そのときのヘイスの顔を見た二人は思わず息を呑んだ。
 余りにも似ていたのだ。

 ヴィズがよくした悪戯を思いついたような顔、と。